未唯への手紙
未唯への手紙
数学者、化学者、生物学者では「待つ」単位が異なる
未唯へ。今日から、9月です。あと半年です。今月のテーマは<変革>にしました。括弧はプチという気分です。スケジュール厳守とICレコーダで<変革>を見ていきます。今は私の時代なのに、変革の時代なのに、なぜ、皆は変わろうとしないのか、がテーマです。
<変革>で必要なのは「さあ!」です。気分を変えてやりぬこう、という意味とサファイアの{Sa-}を日本語化した意味が重なっています。この心がけです。あと、一ふんばりすることにします。
朝は、4時から起きることができました。感謝! 生きていることに感謝しましょう。
先月のDr.Reiとのおしゃべりの中で、気づいたことがあります。それは彼女の生物学者としての時間感覚です。生物の場合は、種をまいてから、変化が起こるのは月単位です。その間は観察するだけです。それに比べると、数学者の場合は、気付くのは一瞬です。忍耐強く、考える時間があった後に、馬車から降りる時、風呂に入った時、暖炉の前でくつろいでいる時に、変化が起こります。一瞬で完成します。それを皆に分かるようにするのに、膨大な時間と努力が必要になります。
理学部に居る時に、化学の連中がいつも、前の芝生で、ソフトボールを行っていたことを思い出します。化学反応が起こるまでの間に体力をつけているとのことでした。数学と生物の間ぐらいにあるのでしょう。
皆、「待つ」までの時間の単位が異なります。私は今、ひたすら待っています。指示とか支持を待っているのではなく、販売店での反応を待っています。それにしても、名古屋の文化系の連中には、目標がないから、時間感覚がないように感じます。それでも待つしかないのですね。
では、どんな世界を待っているのでしょうか。アタリ氏は将来は国の単位ではなく、<ノマド>が支配すると説いています。ここでのノマドはハイパーなローカルの時代を示しています。そこまで、待っていられるか不明です。
ノマドの意味は、別にモバイルではありません。組織をもたない近傍系です。その近傍系がつながる道具として、モバイルがあるかもしれないけど、つながり方が多様です。
国とか会社という組織より、グループが中心になり、それらが柔軟につながっていく社会なのでしょう。
目の前の人間関係を気にするのはやめます。遠いところとつながります。目の前は風景です。
<変革>で必要なのは「さあ!」です。気分を変えてやりぬこう、という意味とサファイアの{Sa-}を日本語化した意味が重なっています。この心がけです。あと、一ふんばりすることにします。
朝は、4時から起きることができました。感謝! 生きていることに感謝しましょう。
先月のDr.Reiとのおしゃべりの中で、気づいたことがあります。それは彼女の生物学者としての時間感覚です。生物の場合は、種をまいてから、変化が起こるのは月単位です。その間は観察するだけです。それに比べると、数学者の場合は、気付くのは一瞬です。忍耐強く、考える時間があった後に、馬車から降りる時、風呂に入った時、暖炉の前でくつろいでいる時に、変化が起こります。一瞬で完成します。それを皆に分かるようにするのに、膨大な時間と努力が必要になります。
理学部に居る時に、化学の連中がいつも、前の芝生で、ソフトボールを行っていたことを思い出します。化学反応が起こるまでの間に体力をつけているとのことでした。数学と生物の間ぐらいにあるのでしょう。
皆、「待つ」までの時間の単位が異なります。私は今、ひたすら待っています。指示とか支持を待っているのではなく、販売店での反応を待っています。それにしても、名古屋の文化系の連中には、目標がないから、時間感覚がないように感じます。それでも待つしかないのですね。
では、どんな世界を待っているのでしょうか。アタリ氏は将来は国の単位ではなく、<ノマド>が支配すると説いています。ここでのノマドはハイパーなローカルの時代を示しています。そこまで、待っていられるか不明です。
ノマドの意味は、別にモバイルではありません。組織をもたない近傍系です。その近傍系がつながる道具として、モバイルがあるかもしれないけど、つながり方が多様です。
国とか会社という組織より、グループが中心になり、それらが柔軟につながっていく社会なのでしょう。
目の前の人間関係を気にするのはやめます。遠いところとつながります。目の前は風景です。
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