みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

神に会う場所

2021年05月08日 | 使徒の働き

使徒の働き 7章36−50節

 一か月ぶりの当地、気温が低くてびっくり。しまっておいた冬用のタイツを履いてみました。近くの公園の林檎の花が満開でした。

 ステパノの弁明はクライマックスに近づきます。アブラハムからモーセへ、そしてここではモーセからダビデ、ソロモンの時代へと話を進めてきたのです。

 ステパノは演説をしているのではなく、自分が訴えられている事柄についての弁明をしています。彼は訴えられている事柄には根拠がないことを、歴史をたどりつつ語っています。モーセからヨシュア、そしてダビデまでは幕屋の時代というべきで、荒野を旅する間も、約束の地に入る時も、ダビデが王となった時も幕屋は彼らの神礼拝の中心でした。

 この幕屋は、エルサレムにあったものではありませんでした。ステパノは、このように歴史を語ることによって、自分を訴えることには意味のないと言っているのです。

 今でも「聖地」と呼ばれる所には、多くの人々が訪れています。帰国中に近所にある神社に人が参拝にやって来る様子を見ました。そのような時、キリスト者はある特定の場所でなくても、どこででも神に会え、神を礼拝できると思います。

 そのようなことを考えるのと同時に、はたして自分はいつでもどこででも神に会おうとしているのかとの問いかけも受けるのです。


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