みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

神の語りかけに頼る

2011年10月31日 | ローマ人への手紙
ローマ人への手紙2章17ー29節


 日曜日はどのようにお過ごしになりましたか。
 通っている教会では、礼拝の後少年野球チームのみんなとバーベキューを楽しみました。土曜日の子ども英会話クラスのお友だちにも参加を呼びかけたら、そのご両親も参加してくださり、うれしい「想定外」の事態に…。「肉!」[肉!」と差し出される子どもたちのお皿に次々に焼肉が入り、あっという間に売り切れになってしまいました。けれども、おにぎりや焼きそばでみんなのお腹はいっぱい。楽しい時間を過ごしました。2


 「人は見に見えるものに囚われやすいものです」とは「みことばの光」の祈りのことばです。

 ユダヤ人は自分たちが律法を持ち、割礼を受けていることを誇り、そうでない人をさばいている…。これがパウロが指摘していることです。律法を持っていても違反していたら割礼を受けているのも意味がない、律法を持っていなくとも律法を守り行なっている人がいたとしたらその人から非難されてしまうだろう、というのです。

 ここで非難されているユダヤ人だけでなくて、私たちも同じだと思います。「制服を着用するのは職務に励むため」という理由があります。そうかも知れません。ただし、外見を気にするあまり、内側が見えにくくなることがあるということには、注意しなければなりませんね。

 礼拝の後、クリスマスに洗礼をお受けになる予定の方と準備の学びをしています。
 昨日の主題は「聖書を読む生活」。どうして聖書を読むのかという質問を一緒に考える中で、もし聖書を読まなかったならば、私たちに残っているのは「洗礼を受けた」という「外側」だけなのだということを思いました。
 
 容易に神さまの心から離れてしまうような私たちが、もし神のことばに聞かない生活をするのなら、大変!…なのです。
 祈りのことばの後半を心を込めて祈ります。
 「見えない神の語りかけに頼ることを選び取る心を、私に与えてください。」



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