みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

会う前から知られている

2022年07月07日 | ヨハネの福音書

ヨハネの福音書 1章43−51節

 「みことばの光」左側のページには、「一年で聖書通読」という欄があります。ここに記されている聖書を読み進めていくと、1年で聖書全巻を読み終えられるようにスケジュールが組まれています。私も挑戦していますが、ちょっと遅れ気味。斜め読みをしないために、最近は「聴くドラマ聖書」で情景入りの朗読を聴きながら進めています。

 1章後半には、イエスと人々がどのように出会うのかが書かれています。ここでは、ピリポ、ナタナエルが登場します。前の段落に登場するアンデレたち二人は、自分たちからイエスを求めて近づきました。しかしピリポの場合は、イエスの側から声をおかけになったのです。ここでは、どちらが良いかということではなくて、イエスとの出会いは人さまざまだということなのでしょう。

 イエスの招きに答えたピリポは、イエスが誰なのかが分かりました。誰かに話さずにはいられないほど重要な発見だったので、彼はナタナエルを見つけて言ったのです。それは、40節でアンデレが兄弟シモンに言ったことばと同じだったことでしょう。

 しかしナタナエルは、ピリポが「ナザレの人で」といったことばを聞いて、ありえないことだとしました。目に留まったのは、ナタナエルが否定するのを聞いたピリポの態度です。彼はなたなえるに反論しません。議論して説得を試みようとはしないのです。「来て、見なさい」と一言伝えました。

 そして、ピリポのことばに反論したり無視したりしないで、イエスに近づいて行ったナタナエルの人となりにも目が留まります。イエスがナタナエルについて言われたことは、ナタナエルの耳にも届きました。イエスとナタナエルが会うのはこれが初めて。しかし、イエスはすでに彼がどのような人なのかを知っておられるのです。

 イエスは彼を「まさにイスラエル人と呼ばれました。」かつてヤコブは、神から新しい名をいただきました。51節のことばはヤコブが目撃したこと。ヤコブが目撃したように、あなたがたもそれと同じことを見ることになると、イエスは約束されました。

 会う前から私を知っておられるお方。そうであるならば、ついて行くしかありません。


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