テトスの手紙 2章
日曜日、礼拝のために教会に着いてみたら鍵が…。家に戻り、同じアパートに住む方にまず玄関の鍵を開けてもらい、…ちょっと遅れての礼拝スタートとなりました。この日は印刷物も家に置き忘れるというミスも…。今回もまた、注意深く一つ一つのことをするようにとの促しを、神さまからいただきました。
クレタ島にある教会を立て直すために、パウロはテトスを島に残しました(1章5節)。これは、ローマに護送されたパウロが行動の自由を得て、アジア(現トルコ西部)からマケドニアに出かけ、主の教会を励ました中での出来事でした。悪評高いクレタ人の中に誕生したクレタの教会は、その影響をもろに受け、さらには誤った教えを吹聴する者たちによってガタガタでした。
テトスはこの島に立つ教会のメンバーに、その世代に応じてクリスチャンにふさわしく歩む(行う)ようにと勧めなければなりません。ここからわかるのは、健全な教えにはふさわしい行動が伴ってくるということです。逆に言えば、クリスチャンのあるべきふるまいとは健全な教えが土台になっているということです。
そしてテトスは、彼自身が良いわざの模範にならなければなりません。自分が教えたことが力をもって相手に届くためには、その人が何をするか、どのように生活するかということにかかっています。
11節以降は、なぜ健全な教えを守り、それにふさわしい生き方をすることの動機が明らかにされています。それは、神の恵みが現れたからです。クリスチャンは、クレタの人のように、嘘をつき合い、人の者をむさぼり、仕事をさぼり、大食いに明け暮れるような生き方をなぜしないのか、それはやがてイエス・キリストがおいでになるからだというのです。
私たちの生活の動機は、実にこの一つのことにあると気づかされます。