ピレモンへの手紙 1−16節
雨の待降節第二日曜日、礼拝には4名の新しい方がお見えになりました。お一人は日本から出張でおいでになった方、そしてもうお二人は私たちの近くのお住まいの方。どちらも教会のウェブページを頼りにおいでになったとのことです。「ここにも日本語の教会があるというのは感動です」と出張の方はおっしゃっていました。
「みことばの光」12月号は、例月とは違いあちこちと聖書を読みますが、きょうと明日はピレモンへの手紙を読みます。使徒パウロが同労者のピレモンに、ピレモンのもとから逃げた奴隷のオネシモを送り返すので、「奴隷以上の者、愛する兄弟」として受け入れてほしいと頼んでいるのがこの手紙の内容です。パウロは信仰ゆえの迫害にあって投獄されていたのですが、そこでオネシモに会ったのです。獄中で、パウロはオネシモを信仰に導きました。それゆえパウロは、オネシモのことを「獄中で生んだわが子」と呼んでいます。
さらにパウロは、オネシモのことを「以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても役に立つ者となっています」とも言っています。そして、オネシモは「私の心そのもの」だとも推薦しています。
一度大きな問題を起こした人がカムバックするのは、有名な人であってもそうでなくても簡単なことではありません。パウロはオネシモのカムバックを助けたいと思っているのです。心に留めたのは8、9節のパウロのことば。彼はピレモンには、「オネシモを送り返すので受け入れよ、以上!」と命じてもよい間柄だけれども、そうはしないと言っているパウロの姿勢。彼は愛のゆえに懇願しているのです。奴隷としてではなく主にある兄弟として受け入れてほしいので、そのようにしたのでしょうか。
かつての迫害者だったパウロもまた、アナニアという人物のゆえに主の教会の交わりに入ることができました。あの時に、自分にしてもらったことを終生忘れることのなかったパウロは、今はオネシモにとっての「アナニア」としての務めを買って出るのです。愛のわざは連鎖していきます。