列王記第一 19章
「エリヤよ、ここで何をしているのか。」 列王記第一19章13節
月曜日は「聖霊降臨月曜日」として、当地ではお休み。つまり日曜日と月曜日が「聖霊降臨日」の祝日としておぼえられています。日本でも集まっての礼拝が再開されつつあると聞いていますが、どのように聖霊降臨日曜日の礼拝を持たれましたか。
ことしの聖霊降臨日は、これまでになく意義深いものがありました。大切で喜ばしい日であることはこれまでもずっとおぼえていましたが、見える交わりがなかなか持てない中での、聖霊の内住の恵みがどれほど大きなものかを改めて覚える年となりました。
19章には、これまでとは違うエリヤの姿が描かれています。アハブの妻イゼベルの脅しのことばが引き金になったのか、大きな神のわざを達成したエリヤは、なぜ? と思うほどに力を失ってしまいます。
今回この箇所を読み、「エリヤよ、どうして?」ということではなくて、タイトルにも書いたように「どちらもエリヤ」なのだと思ったのです。神のために善きことを達成する時もあれば、恐れおののいて力を失うことも信仰者にはあるのだというのは、なぜかホッとさせられるのです。
そうならなければ、分からないこともたくさんあります。失敗がなく、挫折がなく、落ち込むことがなかったとしたら、それはそれでありがたいことですが、神について、また自分について知ることもできないのではないでしょうか。
「エリヤよ、ここでで何をしているのか」と、神はどのような口調で問いかけられたのだろうか、と考えます。