安心、安全と美味しさへのこだわり
そんな「こだわりの農業ブログ」を毎日更新
主役の妻は生産部長、夫は営業部長兼雑用係
昨日の毎日新聞の社説は「総崩れの原発輸出」と題し、「 安倍政権が『成長戦略』の柱に
据える原発輸出事業が、総崩れの様相を呈している。」ことを報じていた。
そして、イギリス、トルコ、リトアニア、ベトナム、インドへの原発輸出が頓挫した経緯を
述べ、もはや「成長戦略にはなりえず」と断じ、最後に「脱依存への転換が急務」として、
「このまま原発輸出に執着していては展望は開けない。政府は、世界の潮流を見据え、速や
かな脱原発に向けて原子力政策を抜本的に見直すべきである。 」
と結んでいた。
(フードパワーの産直コーナーの一角。今年は動きが鈍い)
政府が原発輸出に積極的に取り組んでいることは、疑問に思いつつも知っていたが、それが
「頓挫している」ことまでは全く知らなかった。
改めて社説が「ニュースの経緯を理解するにも役立つ」ことを確認できた。
老眼対策として新聞の「社説」等の主要コラムはネットで見るようになった。
特に、冬期間は比較的時間に余裕のある早朝に読めるので、朝刊が届く前に精読出来るように
なったのは「想定外の大きな収穫」だった。
そして、社説の魅力は新聞社の評論家的主張よりも「事実の経緯と問題点」が述べられている
点にあることに気付いた。
(スプレッターを外した後のトラクターにロータリーを苦戦しながら取り付けた。)
そんな気付きの後に、ネットの社説欄の冒頭に以下のコメントが記載されているのを読んで
合点がいった。
「明治から続く毎日新聞の社説は、連日論説委員が議論を交わしてテーマを決めます。
ニュースの経緯を理解するにも役立ちます。」
我々の世代が受けた英語教育はスピードラーニングが指摘するように文法や英文解釈が
メインで、ついつい小難しく捉えがちだった。
しかし、英語も「コミュニケーションの一手段」と考えると随分と気が楽になる。
「習うよりも慣れよ」で、日常生活でも毎日使えば否が応でもソコソコの英会話がマスター
出来るものと思われる。
(堆肥撒きのスプレッダーを洗ってから倉庫に収納した)
札幌で暮らす娘夫婦は、満一歳を迎えた娘の英語教育に強い関心を持っているようだ。
しかし、幼児に英会話をマスターさせるために「特別な教育」は不要で、単に家庭内の
会話を「英語オンリー」にするだけで済むような気がする。
当然のことながら、その波及効果で親も英会話をマスターできるはず。
年末に帰省する娘夫婦に、そんなアドバイスをしてみようかと思っている。
もし、受け入れられたら、いつの日か英語で孫娘と話す機会が訪れるかもしれない。
軽トラとトラクター各二台のエンジンを始動するとスピードラーニングのCDが動き出すように
設定して既にかなりの年数が経過している。
一巻当たり500回程度聞き、これまでに全48巻中37巻まで進み、英会話に耳が慣れて来て
いることは間違いない。
しかし、残念ながら「話す機会が皆無」なので会話の実力はゼロのままとなっている。
入国管理法が改正され日本国内でも英会話が益々重要性を増すことから、この低迷を何とか打破
したいと思っている。
(各巻のCDにはテキストが付いているが、読んだことはない。)
今聞いている巻の「日本の英語教育の行方」に、次のような会話がある。
「英語を習うことは、どういうことなのかをもう一度、日本の英語の先生たちはみつめ直した方が
いい。
文法を暗記したり、英文を解釈することではない。
言葉としてしゃべり、相手とコミュニケーションをとること。
知識として持つことではない。
英語は全身で覚えなくてはならない。
頭だけではだめ。
英語は聞いて、話して、読んで、書いてという全身のアクションで身につけなくてはならない。」
⇒「全身で覚える」それが英会話マスターの「決め手」と受け止めた。
不当な権利侵害に対し「物言わぬ農民」ではなく「闘う百姓」を目指していることは
当ブログで何度も表明している。
「農政のデタラメ」を糺すのも、他産業から農業に参入した者の「使命」と受け止め
ている。
(堆肥搬出後の鶏舎に新しい籾殻を敷いた)
先日、農水省の課長補佐に三度目の抗議の電話をした。
自ら主管する業務の制度趣旨さえ理解せず、関連する法律知識も無いまま、単に傲慢で
威圧的な対応に終始する人物であることは、これまでの二回のやり取りで熟知していた。
そんな法律オンチの人間から「法廷の場で決着をつける」と告げられビックリポンだった。
もとより、現場の窓口となっている市役所に対し民事訴訟を提起する準備を進めているが、
「誰のための農政か」も理解出来ないまま唯我独尊で踏ん反り返っている霞ヶ関の住人に
対しても「鉄槌を下す」必要がありそうだ。
他の案件の「デタラメ農政」も含め、新聞・TV報道各社に「詳細な文書でリーク」する
つもりでいる。