霜後桃源記  

安心、安全と美味しさへのこだわり
そんな「こだわりの農業ブログ」を毎日更新
主役の妻は生産部長、夫は営業部長兼雑用係

堆肥撒き

2014-11-24 19:08:38 | 機械
安曇野の清流に感動している間もなく百姓の現実に戻った。
遅れていた小麦の種蒔きは「ぬかるみ畑」でトラクターが三度も動けなくなる苦戦を
しいられながら何とか終えることが出来た。

やっと「ぬかるみ」から解放されたと思いきや今度は田んぼの堆肥撒きで悪戦苦闘が
続いている。
何度も紹介したように今の季節に雨が降ると田畑は乾く暇がない。
特に水はけの悪い田んぼは稲刈時のコンバインの車輪の跡に水が溜まったままの状態
となっている。

それでも「クローラー式のトラクターなら堆肥撒き機を引くことが可能」との営業マン
の甘言に騙され、我が家の圃場には通用しない機械を導入してしまった。

田んぼの中で何度も動けなくなりバックホーで曳航するしかない悲惨な光景が出現した。
二台の機械を操作するには二人必要で、しかもバックホーの進む速度が遅く時間は倍
以上かかった。
大豆の脱穀作業で忙しい生産部長の仕事を中断させたのも痛かった。



午後は予定を変更し比較的水はけのいい高森を先に攻めることにした。
その作戦変更が功を奏し、二時間弱でトウモロコシ予定地の畑二枚と田んぼ六枚を終え
ることが出来た。
圃場の条件さえ良ければ「機械導入のメリット」は十分にあるようだ。

秋晴れの好天が続く10月中に「堆肥撒き」と「秋掘り」を済ませばいいことは重々承知
しているが、その時間を確保できない現実となっている。
来年に向けた課題がまた一つ増えてしまった。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安曇野

2014-11-23 19:02:38 | 旅行
松本に一泊した翌日はA君夫妻が安曇野を案内してくれた。
ちひろ美術館を経て「大王わさび農園」に着いた時、北アルプスが育んだ豊富な
地下水を集めた清流に圧倒された。



子供の頃から「豊富な湧水」や「清流」に憧れを持っていた。
松本市内も市街地の側溝を水量豊かに地下水が流れていて羨ましく思ったが、高い山の
近くで暮らす人々への「天の恵み」なのかもしれない。



清流にも驚き感激したがそれを利用した広くて大きなワサビ田を見て更に驚いた。
創業者の着眼力と労苦に敬意を表したい。



農園内に創業者の銅像が立っていたが、創業者と並んで奥様の銅像も立っていた。
さすが「長野県にはインテリが多い」と言われるだけのことはあると感心させられた。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松本

2014-11-22 20:48:40 | 仲間
松本へは高山からバスで山越えすることにした。
一番高い峠では道路の周辺にも雪があっし、岩手と違って急峻な山が多いのに
驚かされた。



夕暮れに近かったが約束時間よりも早く着いたので松本城を見学した。
待っている間にライトアップされた松本城も見ることが出来た。



松本ではA君宅にお世話になることにしていた。

A君は変人の部類に入る人間で偏屈者の私とは何故かウマが合った。
昔、A君が結婚する際に招待されたが「貧乏人の子沢山」のピーク時で長野までの
旅費が工面出来なかった。
親友の結婚式に出席出来なかったことがずっと「負い目」として残っていた。
そんな訳で今回訪問した際の第一声は「結婚おめでとう」だったが、初孫が出来た
ばかりの夫婦には当然のことながらピント外れの挨拶となった。

ご馳走になりながら会話が弾んだが、料理の美味しさだけは覚えているが話しの
内容は全く記憶に残っていない。
もしかすると私が一方的に喋っていたのかもしれない。


(遠く乗鞍岳を望む)

A君はマンションの最上階の六階に住んでいた。
丁度外壁の工事中でその足場を利用して屋上の更に上にも登ることが出来た。


(中心の尖った山が常念岳)

山男のA君はスイスイと登ったが高所恐怖症の私はオソルオソルだった。
しかし、快晴の朝の松本市内を360度のパノラマで一望出来たのはラッキー
だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

N君

2014-11-21 20:46:09 | 仲間
高岡に住むN君は研修時代のバレーボール仲間。
高い打点から重いアタックを打つスーパーエースで、セッターの私は
彼に打ち易いトスを上げることに専念するだけでよかった。

頑健な肉体とワイルドな面構えに似合わずコートを離れると緻密で繊細
なキャラクーの持ち主だった。
その彼が急遽決まった名古屋~富山~松本の電車時間を調べ、氷見の
温泉旅館も予約してくれた。


 (富山湾を眺めながら朝食)

「あれから40年」で変わるのは女性だけではない。
若い頃は比較的無口な方だったN君が旅館では勿論のこと車を運転しながらも
よく喋った。
お蔭で地元の「伝統の祭り」の世話役等をしながら孫子に恵まれ堅実で幸せな
人生を歩んでいることを十分に理解することが出来た。

肝臓結石で九カ月も入院したというのを聞いていたので「お見舞い」を兼ねた
つもりだったがその心配は無用だった。

翌朝、氷見の大きな「魚の産直」で買い物を済ませた後、N君夫妻は高山まで
車で送ってくれた。


(今の季節の日本海に「晴れ」は期待できない。有名な「雨晴海岸から見える
 立山連峰」に二人がタイムスリップできたのはN君の配慮)


♭ 立山に 両の掌合わせ せめて便りが 噂が欲しい ~ 

山形時代に覚えた成世昌平の「はぐれコキリコ」を思い出した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長かった「三泊四日の旅」

2014-11-20 22:16:43 | 旅行
四日間の不在となったため今日は産直出品物の補充に追われた。

それでも午前中は気が張っていたが午後になると長旅の後遺症が現れ、
時差ボケのような初歩的なチョンボが頻発した。
こんな日は「早めに寝る」に限るが、ナマッタ身体を一気に回復すべく
バドの練習に出かけた。

練習後の夜道の寒さもあってか、家に戻ったら「顔面蒼白」だった。


(写真は名古屋の名鉄犬山ホテルで開催された同窓会。
丁度二人が写っていたのでSさんがアップした掲示板の写真を借用した)

新幹線は以前よりも大分時間短縮されていて(東京~一関間が二時間余)
快適な旅を楽しめた。
しかし、ドン百姓が身体を動かすこともなく食事をする毎日が四日間も
続くと体調がおかしくなるようだ。
それが今後の反省材料となった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする