goo blog サービス終了のお知らせ 

霜後桃源記  

安心、安全と美味しさへのこだわり
そんな「こだわりの農業ブログ」を毎日更新
主役の妻は生産部長、夫は営業部長兼雑用係

Kさん

2007-08-01 21:24:52 | 思い出
ブログに時々コメントを入れてくれている横須賀のkemeさんことKさんご夫妻が昼過ぎに突然訪ねて来た。
20年振りの再会となったので、顔を見ただけでは誰か分らなかったが、声を聞いてKさん夫妻であることに気がついた。
一関にあるご主人の実家に遊びに来ているとのこと。
懐かしい思い出話しや近況報告やらで暫し時間の経つのを忘れてしまった。

我々家族が横須賀に住んでいた当時からKさんは釣り船を保有しており、一度誘われて相模湾に出たことがあった。
桑田のPL学園と水野の池田高校との決勝戦をラジオが中継している暑い夏の日だった。
船に弱いオジサンは直ぐに船酔いしてしまいずっと横になっていたが、その間にKさんはイナダを100匹以上釣り上げたと記憶している。
オジサンはその後釣りに行くことは無かったが、時々Kさんから釣果のおすそ分けを頂戴することがあった。
その中で黒鯛の刺身をご馳走になった時の感激は今も忘れることができない。

最近は地球温暖化の影響で潮の流れが変わってしまい、あまり釣れなくなったという。


(田んぼの土手に咲いているフロックスの花。日当たりが良いと花も一段と美しくなるようだ。)

ブログで知人・友人を紹介する時に頭文字を使うが、不思議にイニシャルがKとなるケースが多いのに驚く。
特別意図があって「Kさん」としている訳ではない。
我が家も熊谷だしオジサンの旧姓も小岩でやはりKなので、Kとは何か特別な糸で繋がっているのかも知れない。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

セピア色 その二

2007-07-18 21:49:44 | 思い出
高校時代、オバサンをゲットするためには「彼女と同じ大学に進学せねば」と決意したオジサンは、三年になってから猛然と勉強を開始した。
まさに「男のエネルギー源は女」を地で行く集中力だった。
その甲斐あって、気合いを入れて臨んだ夏の大学模擬試験では素晴らしい成績をあげた。
ノーマークの生徒がいきなりダントツの成績をあげたので、先生方もビックリしたようだった。
「劣等性だってやる時にはやるのだ」と密かに胸を張った。

「これで何とか彼女と同じ大学に進めるかも…」と思ったとたん「彼女が進学を諦めた」とのニュースが飛び込んで来た。
元々下心あっての進学希望だったので、もう勉強する気力も失せ、当然のごとく既に内定していた会社に就職することに方向転換してしまった。

この一途さ単純さは、齢を重ねた今も少しも変わっていない。
だから、人が羨むような厚遇の会社を辞め百姓にも飛び込めたと思っている。



ようやく除草剤を使わないで育てている田んぼの「手取り除草」が終わった。
写真は、除草直前の田んぼの畝。
これだけ雑草が密生すると稲の生育もかなり阻害される。
ここの田んぼに気を取られていたら、他の田んぼの一部ではホタルイが稲を隠す勢いとなっていた。
草との戦いに「終わり」はないようだ。

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

セピア色

2007-07-17 18:39:31 | 思い出
先日のクラス会で40年振りに再会した所沢市在住のM君が、懐かしい高校三年時代の写真をメールで送ってくれた。
校舎が放火で消失し、かろうじて残っていた体育館をバックに撮影したもの。

この体育館は、バレーボールの練習場所としてだけでなく、新人戦県大会で強敵盛岡一高を破りベストエイト入りを果たした思い出深い体育館でもある。
ベストエイトなどそれ程威張れた成績ではないかもしれないが、それまでの二年間は先輩達の無様な負け試合の連続だったことを考えると「大躍進」と言えた。
部活は特に顧問の先生が指導してくれる訳でもなかったので、授業中にその日の練習メニュー作りに知恵を絞る充実した毎日だった。
お陰で学業成績はイマイチだったが、この時の経験が社会人になってから大いに役に立った。



オバサンとオジサンは二~三年と同じクラスだった。
オジサンはこの時既にオバサンと結婚することを心に決めていた。
何も知らないオバサンは、今よりもふっくらとして幸せそうな顔でカメラに収まっている。
今で言う「ストーカー」に悩まされる日が近づきつつあることなど、この時は気付くはずもなかった。

あれから40年も経つのに、まるで昨日の事のように鮮やかに甦って来る。


今日は曇りの予報が外れて雨。
雨合羽を着て二人で「手取り除草」に勤しんだ。
40年前に今日の「晴れ姿」ならぬ「雨姿」を誰が予想したであろうか。
百姓の道を選ばなくても進むべき道はあったのに、敢えて二人がこの道を選んだのは凄いこと。

ああ、神よ! 我に艱難辛苦を与え賜え!
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クラス会

2007-07-15 20:46:09 | 思い出
予定したメンバーが全員参加してクラス会を無事に終えることができた。
飲食代も酒飲みが少なかったせいか予算よりも少なく済み、更には予期せぬ寄付なども有つたので、集めた会費が大分残ってしまった。
それを活用して四月に癌で亡くなったクラスメイトのMさんにお花を届けることにした。

半分近くが遠方からの参加で帰り足や宿の心配をしていたので、次回からは宿泊付きで温泉で開催した方が参加し易いのではないかと思われた。



青森の三沢に住んでいるK君は55歳で退職後に彫金をビジネスとして営んでいるが、今回の出席者全員に名前入りの素敵なストラップを作ってプレゼントしてくれた。
K君はクラス会開催のたびに、絶大な協力をしてくれている。
前回は、母校の写真と校章入りのCDにスナップ写真を収めて送ってくれた。
このようなクラスメイトを持てた事は本当に幸運だった。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人は何のために生きるのか

2007-06-26 18:38:41 | 思い出
PCに古い原稿が残っているのを見つけた。
三年前、社内紙みたいなものに掲載するため書いたものだった。
改めて読んでみて、この時の心境がそのまま一年後の農業への転身につながったように思えるので、少し長いが紹介してみたい。  

           「人間性を高めるために」  
                 
最近ある人に薦められて「稲盛和夫の哲学~人は何のために生きるのか」(PHP文庫)を読み大変感銘を受けた。
著者は、現役を既に引退しているが、仏門に帰依しながら京都の若手経営者を育成するなど現在も精力的に活躍している。
本書の中で感銘を受けた幾つかを紹介してみたい。
『人間は自由だから欲望をいくらでも追求していける。しかし、足るを知って、欲望の肥大化を抑えるべきである。これが叡智である。過剰な自己愛は自らの破滅を招く。』
「過剰な自己愛は自らの破滅を招く」については武富士会長の盗聴事件の例を挙げるまでもなく枚挙にいとまが無い。また、自分の生活を見ても、手段たるお金がいつの間にか目的になったり、趣味が高じて趣味に振り回されたり、酒を呑むつもりで酒に呑まれたりと、限りない欲望にいつも翻弄され、自己嫌悪に陥る毎日である。
今の私に必要なのは「欲望を満たすこと」ではなく「欲望の肥大化を抑える叡智」なのだ。

『自分が自由を謳歌すると他人が不自由になる。自分が自由を謳歌すると影として「悪」が生じる。』
「自分の自由は他人の不自由」 短い言葉でこれほど自由の本質を鋭く突いた言葉を私は知らない。過度の自由の強調が戦後教育の欠陥とも言われるが、その教育をまともに受けた私の自由の謳歌で、どれだけ周囲に迷惑をかけて来ただろうか。 特に、最も身近な「他人」である妻には数えきれない「悪」の限りをつくして来たに違いない。残された人生でその借りをどこまで返せるかが大きな課題である。

『死によって肉体は滅びるが意識体は存在し続ける。現世での実績や財産は何も意味をなさない。価値として残るのは、現世で作り上げた人格、人間性、魂、意識体である。人間性を高めるために我々は現世で生きている。』
『人間性を高めるためには、自分よりも相手に良かれという「利他の心」を持って生きること。また、働くことの目的は生きる糧を得ることに止まらない。働くことを通じて人格を磨くことが大切。
死ぬまでにどれだけ人格、品性を高めたか、それが人生の勲章であり、誰でも目指せる目標である。』
 人生の節目を迎え、何を目標に生きるのか漠然としていた私にとって、まさに目から鱗が落ちる思いがした。これで結果を気にせずに何事にも挑戦できる。たとえその挑戦が失敗に終わっても若しくは志し半ばで挫折したとしても全く構わない。大切なのはそのプロセスなのだ。
 また「働くことは生きる糧を得ることに止まらない」も有難い言葉で、店で一本数百円で買える長芋を、畑で大汗をかきながら半日がかりで掘り起こすことの意義もこれで見出せた気がする。
「利他の心を持って生きる」これは多分一番難しいことだろうと思われる。頭では理解しても体が思うように動かず、直ぐに大きな壁にぶつかりそうだ。自分中心の行動パターンが完全に染み付いてしまっているのだ。
 でもご安心あれ、稲盛さんでさえもエゴに走る自分を戒めるため、仏教の本をいつも携え、日に三回は見るようにしているとのこと。私のような器の小さい人間が即実行に移せるはずがないのである。

読み終えた今「エゴを無くし利他の心を持ち人間性を高める」という大きな目標に向かって歩き始めようする素直な気持ちの自分が居た。

ところで、この本を貸してくれたのは他ならぬH社長である。日頃の私のお粗末な人間性を見て、この本を通じてそっとアドバイスしてくれたものと心から感謝している。



「美味しい蕪ができた」とオバサンは喜んでいた。
ところが「道の駅」では全く売れなかった。
大根が豊富に出回っている時期と重なったのが災いしたのかもしれない。

この原稿、職場の仲間から好評だったので得意になってオバサンにも見せた。
ところが、「口では何とでも言える。これからの行動を見てから判断しましょう」と冷たく言い放ってポイと捨てられしまった。

その後のオジサンの「行動」をオバサンがどう評価をしているかは、恐くて確認できないでいる。



コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする