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霜後桃源記  

安心、安全と美味しさへのこだわり
そんな「こだわりの農業ブログ」を毎日更新
主役の妻は生産部長、夫は営業部長兼雑用係

ノミュニケーション

2008-02-16 20:01:06 | 思い出
一関在住の会社時代の先輩諸氏五人で年に一~二度「ノミュニケーション」の機会を設けている。
ブログを見てくれている方が殆んどなのでこちらの動きは筒抜け状態だが、相手の動向はこの機会が無いと把握できないので、双方向で情報交換ができる貴重な場となっている。
昨夜も閉店時間の九時が直ぐ来てしまったと思えるほど話しが盛り上がり「アッ」という間の三時間となった。

話しの盛り上がりと並行して酒も進むので、この会はいつも予算をオーバーしてしまう。
しかし、予算と言っても単なる目安でしかなく「呑み放題、金の払い放題」が原則。
それでもいつもは一人四千円程度で済んでいたのに、昨夜はそれをかなりオーバーしてしまった。
ところが、普段は年金暮らしの慎ましやかな生活をしているにも関わらず、呑むと気が大きくなるのが哀しい「男のサガ」。
皆、五千円を出して「釣りは要らん」と大見得を切った。

今朝になって後悔している人間がオジサン以外にも何人か居たかもしれない。



会場はいつも「さかえ屋」さんに決めている。
バッケやシイタケ等旬のものを持参すると、調理してもらえるので有り難い。
今回は、ブログで吹きまくった「三たての蕎麦」をご馳走しようと思った。
「さかえ屋」さんは食堂でもあるので、当然蕎麦もメニューの一つとなっている。
そこにド素人が稚拙な腕で打った蕎麦を持参して茹でて貰おうというのだからかなり図々し。

その蕎麦を食したメンバー、元々「臍が横に付いているのでは?」と思われる御仁も若干名。
「うーん、この蕎麦は随分甘味があるね。大分砂糖を使ってるんじゃないか」とか「この蕎麦の切り方はどう見ても素人だね」などと悪口を言いながら喜んで食べていた。
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旧友

2008-02-12 18:06:10 | 思い出
先日の同級会の翌朝はかなりの積雪となった。
「かんぽの宿」八階からの雪景色は、関東方面から参加した級友達に見事な水墨画の世界を見せてくれた。
今の季節は雪景色が一番美しいので、グッドタイミングな「歓迎の雪」となった。



40年振りに逢ったE君と直ぐには別れ難く、「雪の毛越寺もなかなかいいよ」と案内役を買って出たところ「ご無沙汰している叔母のお墓参りをしてから帰りたい」とのこと。
「それならば」ということで、我が活躍舞台となっている「産直」や自宅周辺を案内しながら墓参りに同行した。
既に両親のお墓は静岡に移しているとのことなので、一関との縁は殆んど切れているようだ。

墓参後、電車の時間にまだ早かったので、大分前に売却したという昔住んでいた家を見に行った。
意外にも未だ壊されずに残っていて、思い出がいっぱい詰まっている「自宅」をE君は懐かしむよういとおしむように写真に収めながら「妹に見せたらきっと喜ぶにちがいない」と嬉しそうに呟いた。

中学時代に何度か遊びに来たことがあるその家を一緒に眺めながら、故郷を離れ永遠に静岡の人となってしまった友を思い、ふと寂しく悲しい気持ちになってしまった。



30人ほどの社員を抱える会社の社長とのことだが、社長というより学者然としているE君が「結婚前に随分とノロケ話しを聞かされた」と思い出を語ってくれた。
全く記憶に残っていなかったこの話しを聞いて、自分のノロケ癖は若い頃から身に付いている「筋金入り」のものと確信した。

今回もその「筋金入り」を聞かされ、結婚して40年近くなるのに未だに「妻という名の恋人」に変わらぬ愛を注ぎ続ける一途な(哀れな?)「男の一生」を見たE君が果たしてどのような印象を抱いたことだろう。
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同級会

2008-02-10 21:09:20 | 思い出
還暦祝いを兼ねた中学の同級会が近くにある「かんぽの宿」で宿泊付きで開催された。
中学時代は勉強も部活も中途半端だったので苦い思い出しか残っていない。
参加しても顔も名前も知らない人も多いので参加すべきかどうか正直迷った。
それでも参加を決めたのは「当時憧れだった彼女に一目逢ってみたい」と思う一心だった。

これまでも毎回欠かさず参加して来たがその都度期待は裏切られていた。
当然、今回もその繰り返しになる可能性が高いが、万が一彼女が参加していたら「一生悔いを残す」ことになるのでそれだけは避けたいと思った。
しかし、「期待は裏切られるためにある」の言葉どおり今回もその「淡い期待」は見事に裏切られた。

それでも、「捨てる神あれば拾う神あり」で三年の時に親しくしていた静岡在住のE君と40年振りに逢うことができ、しかも宿泊する部屋も同室だったので思う存分旧交を温めることができたのは大収穫だった。

宴席で80人の参加者が個別に自己紹介する時間があった。
一番印象に残ったのは、中学時代から才媛の誉れ高かったSさんのスピーチ。
オーラを発し光り輝いていた。
隣の席に座っていたC県在住という女性が「彼女はC県庁の部長で県内ではマスコミにも良く紹介されている有名人よ」と解説してくれた。



締めは一年の時の担任で教育長を8年も勤めたO先生の音頭で、肩を組んでの校歌斉唱となった。
歌詞を殆んど記憶していなかったことで、オジサンの劣等生振りが改めて明らかになった。
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第二回「収穫感謝祭」

2007-11-17 12:30:45 | 思い出
会社時代の同期の仲間が集まって旧交を温める呑み会を毎年開催している。
昨年は、オジサンの脱サラ一年目の慰労を兼ねて「収穫感謝祭」と銘打ち、我が家を会場とした。
田舎暮らしや農業と無縁のメンバーが多いので物珍しさも手伝って、今年も「我が家で」ということになった。

ただ呑んで食べるだけというのも芸が無いので、今年は実際に農業体験をして貰う事になった。
自然に親しめ適度な肉体労働が伴うものを物色した結果、
・蕎麦の実を洗って磨く作業
・シイタケのホダ木を運搬して並べる作業
・雑木林での落ち葉拾い
を候補として考えた。
午後の三時間ぐらいなので、どこまでやれるか分らないが、時間があったら柿モギやダイコン抜きもやれたらと思っている。

今年のもう一つの目玉は、研修時代にお世話頂いたA先生が東京の同期二人をお供に特別参加されること。
A先生はブログを通じて知ったオバサンに逢うのを楽しみにしている。
実物に逢って「ガッカリ」ということのないよう「美容院にでも行っ来たら」と冗談を言ったが、そんな時間的余裕は勿論無い。
いずれにせよン十年振りの再会となるのが楽しみ。

今回の我が家のウリは三つ。
一、手作りのお酒が美味しくできあがったこと。
二、初収穫の蕎麦で「挽きたて、打ちたて、上げたて」の手打ち蕎麦が食べられること。
三、好天に恵まれ満天の星空が眺められること。
この内のどれか一つでも満足してもらえたら、と思っている。



そんなことで今夜は「禁煙スナック千代」が久し振りに開店する。
ママのスッピンの笑顔を酒の肴に、サラリーマン諸氏の仕事のウサを晴らしてもらおうか。
コメント (2)
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野球の思い出

2007-08-10 21:25:02 | 思い出
農作業用に作業用ズボンを購入している。
ジャージと違ってベルトをしないとずり落ちてしまう。
暑さの中で作業をしていると日に三~五回の着替えをするので、汗を吸って濡れたベルトは昼休みに乾かしている。
それでもサラリーマン時代に使用していたものなので傷みが早く、今使っているのは二本目だ。

濡れたベルトを見て、小学校の頃に野球で使った野球ベルトを思い出した。
皆が貧しかったあの当時、野球ベルトを締めユニフォームを着るのが憧れだった。
「♪子供の頃から、エースで四番」というCMソングがあるが、その栄誉はすべて親友で運動神経抜群のO君に譲り、オジサンは「ショートで五番」だった。
守備ではエラーの記憶しか残っていない。しかし、、打つ方はではチャンスにめっぽう強く「得点圏打率」はかなり高かった。

テクニックはイマイチで「気合いで勝負する」流儀はその後どのスポーツをやっても同じで、農業への取り組み姿勢もその傾向が強い。

小学校時代の思い出は、野球以外はあまり覚えていない。
朝から晩まで野球ばかりやっていたように記憶している。
中学校入学後も当然のごとく野球部に入った。
しかし、一年生の後半から新聞配達を始めたため辞めてしまった。

半世紀を超える人生を振り返ってみると、「人生の岐路」となった大きなジャッジミスを何度もしているが、中学時代の野球部退部がその最初だった。



帰省した娘がお土産に佐賀の焼酎を買って来た。
オバサンもオジサンも焼酎はあまり得手ではない。
娘二人がロックで「美味しい」を連発しながら呑んでいた。
コメント (3)
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