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霜後桃源記  

安心、安全と美味しさへのこだわり
そんな「こだわりの農業ブログ」を毎日更新
主役の妻は生産部長、夫は営業部長兼雑用係

同級会

2009-08-13 22:19:02 | 思い出
オジサンが学んだのは一学年一学級の小さな田舎の小学校。
当然のことながらクラスメイトは六年間一緒なので知らない顔は無いものと思って昨夜の同級会に参加した。

約半数の25名の参加だったが、その内の二名の女性については名前を名乗られても全く覚えていないのに驚いてしまった。
その内の一人は今日になってようやく記憶の糸を探り出したが、もう一人はアルバム写真で当時の顔を見ても全く思い出せないでいる。

「男の顔と名前は忘れても女性は決して忘れない」を信条としているオジサンとしては、少なからずショックで、記憶媒体は既に大分錆び付き古い記憶は消え去っているのかも知れない。




(オバサンの自信作のオクラ畑とオクラの花。だが、天候に恵まれないためこれまでのところは実の付き方がイマイチ。好天続きの予報が出ている明日からに期待をかけている)

今回の幹事長は千葉哲男君。
地元の農業高校を卒業後、農業一筋で生きて来た生粋の農業人。
観光ぶどう園を経営しており東北自動車道の一関ICを下りると直ぐの場所で直売所も開いている。(今年はこの17日から営業開始。)
今は一関市農業委員会の会長という要職も兼務している彼の思い出話しが面白かった。

今なお健在な三人の恩師の内、唯一参加された三年生の時の担任だった遠藤先生の授業中のこと。
昔は身長順に席に着いていて背の低かった彼はいつも一番前の席で先生の唾を浴びながら授業を受けていた。

黒板に岩手県の地図の形を書き真ん中に二本の曲線を縦長に引いた先生が、「哲男、この線は何だ?」との質問に対し「蛇」と答えたら、「馬鹿、北上川だろう」と言ってゲンコツが飛んで来た。
「それがあまりにも痛かったので未だに忘れることができないでいる」とのこと。

当時は教師の鉄拳制裁など日常茶飯事で、誰もそれを気にも留めないおおらかな時代だった。
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原風景

2008-11-04 22:34:51 | 思い出
新潟の魚沼で野菜作りをしながら専用の産直も営んでいるスベルベさん。
その人生を謳歌しているブログには触発されることが多いが、今日掲載された写真を見た時は驚いた。



この写真はスベルベさんが子供時代にお母様と一緒に蕎麦を背負っている時のもの。
蕎麦を柴に代え山道を歩いているシーンに置き換えれば、オジサンの子供時代の原風景そのものになる。

当時我が家では晩秋や早春に刈り払いをした山から柴を運び、それをカマドの燃料として薪と併用していた。
山の麓からはリヤカーで運ぶが、そこまでは細い山道を人が背負って運び出すしかなかった。
今考えると気の遠くなるような距離を何度も登り降りしたものだった。

せいぜい一、二度しか体験しなかったこの仕事を未だに忘れられずにいるのには訳がある。
その時、刈り払って見晴らしの良くなった山の上で食べた弁当の味が格別だったからだ。
当時よく使われたブリキの弁当函にギッシリとご飯が詰め込まれオカズは沢庵が数切れ入っているだけというお粗末なものだったが、美味しさはその後の人生で食べたどんなご馳走にも勝っていた。

もし自叙伝を書くとしたら「少年時代の思い出」として絶対外せないシーンとなるものだが、このような写真が残っていたら余計な説明は不要となったにちがいない。



今日は朝から快晴の良い天気だったが強風が吹き荒れた。
遠く栗駒山を眺めながら大豆の収穫ができるのは来週後半からか。
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恩義ある方

2008-09-06 21:19:57 | 思い出
お客様に品物を選んで貰い送付している「新鮮パック」の評判が良く、追加注文を頂いている。
個別に荷造りして発送するのは手がかかる作業となるが、味の違いが判る人に食べて貰えることは生産者として大きな励みであり歓びともなっている。

そんな時に、山形のSさんからも注文を頂戴した。
山形時代に職場で大変お世話になった方で、本来は注文無しでも何かを贈らねばならない恩義のある方。
会社を辞めて間もない頃に春の山菜等を贈ったら、逆に秋に高価な葡萄を贈って貰い恐縮したことがあった。

今回は注文と同時に温かい激励のメッセージも頂戴した。
職場ではお世話になりっ放しだったのに、何の恩返しもしない内に退職後もまたお世話になってしまった。

Sさんとの思い出話しは素面の時にジックリと紹介したいと思っている。



収穫だけに熱中していると秋以降に収穫するものが無くなってしまう。
トウモロコシを片付けた畑にオバサンは大根を蒔いた。
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2008-07-13 21:53:26 | 思い出
今、産直では梅干し用の赤シソが良く売れている。
「新鮮館おおまち」では予約注文分の仕分けで大忙しのようだった。

我が家の梅干し作りは梅も赤シソも当然自前のものを活用する。
ただ、梅が少ないので毎年近くの親類から梅を貰って来て不足分を補充している。

貰うときは直接梅の木からもいでくるが、梅の木に棲む虫に刺されることがしばしばある。
刺されると吹き出物のようなものが沢山出て酷い痒みに悩まされる。
いつも完全防備で臨んでいるつもりなのだが、今年も一週間前の梅もぎで長袖シャツの上から腕を刺されてまい、その痒みが未だ癒えていない。



今日は一人暮らしの母から「ウメッコが採り頃になったヨ」との電話を貰い行って来た。
息子が採ったもぎ立ての梅を選別している母の姿が昔懐かしい光景で絵になると思ったが、残念ながらカメラを持っていなかった。
母が元気で働いている姿をもっと写真に記録しておくべきと悔やまれた。
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「桑の実」と「干し草」

2008-06-23 22:30:04 | 思い出
昨日、仙台からのお客様を案内して圃場等を巡った。
都会暮らしの方々がどんな事に関心を味を示すかに興味があった。

後山の畑に行った時に桑の木を発見した人が居て、黒く熟したその実を食べて皆一様に「甘い」と言って喜んで食べていた。
子供の頃は「何も食べるものが無いから食べていた」程度の記憶しか無かったオジサンも半世紀振りに食べて、その甘味の強さに驚かされた。
これなら今でも十分に食用として通用する味ように思われた。



家に戻って草を干しているハウスを案内した時、そこに充満している「干し草の臭い」にも皆さんが大きく反応した。
昔、馬や牛の餌となる干し草が置いてある場所は子供達のかっこうの遊び場となっていた。
干し草独特の臭いが、忘れていた子供時代の記憶を甦らせたようだった。
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