goo blog サービス終了のお知らせ 

霜後桃源記  

安心、安全と美味しさへのこだわり
そんな「こだわりの農業ブログ」を毎日更新
主役の妻は生産部長、夫は営業部長兼雑用係

マザコン亭主

2014-04-19 20:25:33 | 思い出
三人の幼子を抱えた20代後半は当然のことながら薄給で家計を維持しなければならなかった。
やり繰り上手な若き日の生産部長は、家計を顧みないマザコン亭主の「過度な親孝行」に苦しみながらも、
「夫の気持ち」を尊重することに努めていた。

しかし、毎月お金を渡す亭主も受け取る実家の母も生産部長の涙ぐましい努力など殆ど「眼中に無かった」
という。


(先日に引き続き市野々の梅の花。遠くから見ると桜の花かと見間違えるように満開になった)

農作業の一服の時間に時々そんな昔話しを聞かされるが、マザコン亭主の記憶には殆ど残っていない。
今聞かされると「なぜそんな優先順位を間違えるような行為をしたのか」不思議に思えると同時に、それ
に不平も言わずに支えてくれた「妻の偉大さ」に感心させられている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国民栄誉賞

2013-05-05 20:47:03 | 思い出
始球式で場内アナウンスが「四番サード長嶋、背番号3」と紹介した時は思わず身震いして鳥肌が立った。

子供の頃に野球に熱中した経験から「プロ野球の選手になれただけでもヒーロー」と思っている。
そんなヒーローの中のヒーロー、スーパーヒーローの長嶋が国民栄誉賞を授与されると聞いて、「安倍
政権の人気取り策かも」と思いつつも田植えの開始時間をずらして涙を流しながら「TV観戦」となった。

現役時代を知る世代が「国民的ヒーローを一人挙げよ」と問われたら迷わずに「長嶋」と答える人が多い
と思われるが、それぐらい「夢を叶えてくれた選手」だった。

脳梗塞を患ったにもかかわらず「立ち姿が素晴らしい」とは野球を知らない妻の弁。
同じ脳梗塞でリハビリ中のバアチャンと重ね合わせたのかもしれない。



田植えの前半戦は「もち米」。
明日で終わらせ明後日からは「ウルチ米」に変わる。
今日植えた田んぼには、少しでも根付きが早まるよう少し離れた上の田んぼから温かい水を入れて
やった。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クラス会

2012-08-18 21:39:43 | 思い出
「打てば響く」という言葉があるが、「打っても響かない」メンバーが多かった
高校一年時のクラス会が初めて開催された。



73歳で山田町議に復活した恩師は挨拶で「君達のクラスはあまり手をかけて
やれなかった悔いが残っている」と述懐していたが、それは反応の悪い生徒側
に大半の責任があると当時も感じていた。

クラス会開催案内の往復ハガキを返送してくれなかったクラスメイトが多かった
のも「当然の結果」なのかもしれない。

それでも「打てば響く」メンバー12名が集まった。
一人ひとりの思い出話しを聞いていて「殆ど記憶に残っていない」内容が多かった
のに驚いた。
約50年前のことだが、真面目に授業を受けていなかったことの証明かもしれない。





関東方面からの参加者は交通費だけでなくホテル代のかかる人もいて大きな負担が
伴った。
「二次会経費は免除」という形で少しばかりの「気持ち」を示した。



  ♭ 下町の~ 空にかがやく 太陽は~ よろこびと悲しみ 映すガラス窓    

チビッコの印象のあったE子さんは高校二年になってから165cmまで身長が伸びたという。
その変身振りにビックリすると共に、透き通るような美しい声で歌った「北上夜曲」と「下町の太陽」
に聞き惚れてしまった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

授業以上の経験

2012-06-14 21:57:18 | 思い出
先日のクラス会が引き金になったのか農作業をしていて高校時代のことを思い出すことが
多くなった。

二年生の夏休み以降は殆ど部活のバレーボールのことばかり考えていた。
顧問の先生が指導してくれる訳ではなかったので毎日の練習メニューはキャプテンだった
自分が考えなければならなかった。

その種の本を読んで勉強する訳でもなくガムシャラに取り組むだけだったが、午後の授業
時間は殆どその日の練習メニューと時間配分の検討に費やしていた。
大会直前になると口出しを始める顧問の先生と衝突するオマケまで付いた。

その努力(?)が実って、練習試合も含めて二年間一度も勝ったことが無かったチームが
秋の新人戦で県のベストエイトに入る快挙となった。

授業は二の次になったものの、その経験が社会人になってから「授業以上に役立った」
と思っている。



後山の畑の下には集落最大の水源地がある。
このアングルだとやや神秘的な感じがする堤だが、ここでも外来種のウシガエルの声が鳴り
響いている。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「セピア色のアルバム」

2012-03-08 22:20:48 | 思い出
高校二~三年の担任だった恩師佐藤裕先生を「偲ぶ会」を6月に予定しているが、
現時点での参加者は20名となっている。

大部分は既に退職し「悠々自適」と推測し日曜日の夜に一泊する計画としたが、未だ
仕事を続けてる仲間も少なくなく、前回のクラス会よりも参加者が少なくなってしまった。
泊付きで会費が高くなったのも影響したのかもしれない。

そのクラス会に向けて所沢市在住のT君が「セピア色のアルバム」というDVDを作成
しクラスメイトにプレゼントしようと準備していて、その0次案が今日送られて来た。


(DVDの冒頭部分)

懐かしい曲をBGMに「思い出の写真」があたかも動画のように現れる手の込んだ
素晴らしい内容となっていた。
「理系のT君にこんな芸術作品を作る特技があったとは!!」と驚かされた。


(裕先生)

クラスメイト一人ひとりの顔をアップする場面の背景には、何と我がブログの風景写真の
数々が使われていた。
T君からは「DVDの監修者」として名前を使うことを要請されているが、とてもとてもそんな
芸術的センスは無いので、せめて作成協力者として名を掲載して貰えるよう手持ちの「思い
出の写真」を送るつもりでいる。


(授業風景)


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする