津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「阿部茶事談」(23)釈文

2020-01-22 07:37:09 | 史料

23        其外討手の面々一同尓そ出立ける 数馬草
         鞋を踏ミ其緒を結ひ切すこし同廿一日未明
         尓阿部か屋敷尓押寄門前尓て馬乗放し
         表門を押破り手鎗掲真先尓進み入阿部
         兄弟の者共ハ討手を態と入立討取んとや
         思ひけん 表の方尓ハ敵壱人もなし数馬人数
         を下知して玄関長や臺所其外屋敷内
         尓廻し自身ハ臺所の内を指て入けれども
         阿部兄弟之者壱人も不見鎖ノ口を細目
         尓引立有けるを数馬押明ヶ奥の様尓進み
         入らんとす 其時乙名嶋徳右衛門立塞り殿ハ
         ハ今日の討手惣大賞尓阿らすや敵の謀略も
         知らす無躰尓進み給ふ事勿躰なし御先
         仕らんと真先尓進ミ入阿部兄弟兼て侍
         もふけたる事な連ば鎗を以志たゝか尓突
         徳右衛門眼尓當てよろ/\として数馬尓
         倒連懸らんとせしを数馬押のけいらざる先
         尓進ミ足まとひと成と云て鎗提て進み
         ける尓左右ゟ鎗付る 本分討死と覚悟せし
         事なれハ少しもひるます勇気を震て
         終尓討死す 生年廿一才無比類働き惜マぬ
         者被なかりけり 副頭添嶋九兵衛野村も共         

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■巻物・木筒玉火矢之事秘伝(大筒図入)・文政12年・細川肥後守光尚公・古文書・古書・砲術

2020-01-21 14:09:28 | オークション

                       ★巻物・木筒玉火矢之事秘伝(大筒図入)・文政12年・細川肥後守光尚公・古文書・古書・砲術★
            
                   

 文政12年に書かれた細川御家流の「木筒玉火矢」の秘伝の書だとされる。
水野伝右衛門から上原七郎左衛門にあてたものだが、後者の名前は細川家家臣としては確認できないでいる。陪臣か。
出品に当り、大変丁寧な写真が添えられていて、大方の詳細を知ることができて有難い。貴重な資料である。

これは「肥後武道史」(p50)にみえる、「御家御一流木石火矢」であろうと思われる。
稲富流砲術の流れをくむものらしく、光尚公の時代に内尾七左衛門が一流を立てた物らしい。
内尾家が代々相伝する中で、安永二年七月には内尾源八・直兵衛らとともに、この水野傳左衛門も奥義を極めたものと思われる。

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■細川小倉藩(129)寛永三年・日帳(五月十八日)

2020-01-21 11:22:44 | 細川家譜

                        (寛永三年五月)十八日

         
              十八日
         |

忍冬葉ノ乾燥   |一、すいかつらのは拾石□五斗取候て、ほし候て、可上由、御小人頭與介に申渡候事、
         |         〃〃
         |   (之昌)                 (国遠道倫)      〇御物之品被 仰付よつて入申候間、此もの借可給由申遣候処ニ
源順和名類聚抄十 |一、佐方宗佐へ、したがう和名之事、道輪尓写被申ニ付、かりニ遣候処ニ〇昨日十冊被差越候事、
冊ノ借写     |                     〃〃〃〃〃 〃〃〃〃〃〃〃
         |                                 (林)
薩摩へ綱買ノ者帰 |一、さつまへ御買物ニ被遣候御鉄炮衆明石源左衛門組池田次兵衛、御船頭木々與右衛門今日罷戻申
着ス       |  候、           (坊津、川部郡)
薩摩ノ船改厳重  |一、薩摩ニて、舟改殊外稠敷候て、ぼうの津にて船改ノ奉行両人、乗候舟ノ内、きがへ袋迄改可申由
         |                 (鹿児島)
小倉舟故改ナシ  |  ニ候へ共、小倉舟ノ由両人申ニ付、かご嶋へ飛脚を遣、舟改奉行衆被得御意候処ニ、小倉舟無紛
         |                                 (山川、捐宿郡)
         |  候は、すくニ可通由、さつま御奉行衆ゟ被仰付、すくニとをし申候、又山河と申湊ニても、右同
         |  前ニて候由申候事、
         |一、かご嶋ニ舟着候ても、右之御改ニ候へ共、小倉舟ノ由申理ニ付、御せんさく無之由ノ事、
宿主幽齋ノ旧縁ニ |一、右之次兵衛・與右衛門さつまへ着候て、白石仁右衛門と申者之所ニ宿仕由申候、此宿主仁右衛門
ヨリ懇切     |  ハ前かと幽齋様ニ居申白石勘解由と申人之子ニて候由ニて、殊外懇ニ仕候由候、
七島蓆十枚ニツキ |一、七嶋むしろ十枚ニ付、薩摩ごろ五十宛うわ米出申筈ニ候へ共、小倉舟之通、宿主白石仁右衛門
薩摩ごろ五十   |  見及理申ニ付、右之うわ米も出不申候由候事、
上米ヲ免ゼラル  |
帆別銀ナシ    |一、ほべつノ銀も出申由候へ共、是も同前ニ宿主理被申ニ付、銀子出し不申由事、
薩摩ニテ買物之覚 |    さつまにて御買物之覚
 赤つぐ網    |  一、赤キつぐづな三十ぼう、内一ぼうハおない、
 七嶋蓆     |  一、七嶋むしろ百四十枚、
 黒つぐ網ハ音信 |  一、黒キつぐつな十ほう、是ハ薩摩様ゟ御音信として、同舟ニつミ参申候、
遣残銀子ヲ銀奉行 |一、御銀子弐貫八百め持参候処、壱貫百五十弐匁三分遣余候て、持戻候を、御銀奉行宗田伝左衛門ニ
ニ戻ス      |  渡させ候事、
         |                                     (阿久根、薩摩郡)
         |一、さつまノかご嶋を出申候時、舟改奉行衆被参、ふねノ内荷物被改、其上かご嶋ゟあぐねと申ミな
         |  とまで、奉行を被乗せ、無事ニ上り申由候事、
         |
         |    (久元)    (忠続)       (松井興長)(小笠原長元)
嶋津家家老ノ書状 |一、嶋津下野守・喜入摂津守両人ゟ、式ア殿・民ア殿へ状言伝り参候、則式ア殿へ持参候へと申遣候
         |  事
         |     以 上
         |                               (林)
大橋ノ柵建設   |一、上林甚介ニ、大はしのしからミ仕候へと申渡候、奉行無之候は、弥五右衛門組を付候へと申候事、                                       (津和地、伊豫温泉郡)
         |一、因幡へ被遣御飛脚のせ参候御小早ノ御船頭中靏弥吉、 殿様御舟ニ、つわニて懸御目候処ニ、被
         |  成 御書候を持来候、則頂戴仕候事、
         |                       平兵衛より              (由宇、周防玖珂郡)
借小早      |一、寺嶋平兵衛ゟ、かり小早ニて書状差下シ被申候、 殿様へ之御請ハ、御舟中ゆうと申所ニて、上
         |  ケ候由申候事、則かり小早船頭九兵衛と申者持て上り候也、
松ノ丸へ移ル   |一、松御丸へ移申候事、
諸職人手間料ヲ相 |一、諸職人手間料、此以前ハ直段奉行被仰付候へ共、今ゟハ相対次第ニ被仕候へと、御町奉行衆へ申
         |  入候也、
三斎へ宇治丸鮓  |一、御賄米不足仕ニ付、御小早さし上せ候ニ、三斎様へ田川郡ゟ被進候うち丸の御請、長舟十右衛
対次第トス    |                  (久盛)
         |  門・沢井次右衛門ゟ被差上候、又中川内膳様ゟノ御返書、二通共ニさし上せ申候事、
         |一、私共ニ、ゆうゟ 御書被成下候、則御請仕、右同前ニさし上せ申候事、
         |    (幸長)
賄米不足ノ相談  |一、野田小左衛門方へ、御賄米不足仕候間、如何被仕候や、急度様子可被申越由、申上せ候事、右書
         |   御小早船頭
         |  状〇中嶋二左衛門二上せ申候事、
         | (苅田村、京都郡)
苅田牧ノ子馬生ル |一、かんたの御牧馬、子をうミ申由、松山ノ百性申来候事、
         |

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■原文に触れる「阿部茶事談」(25)

2020-01-21 07:23:46 | 史料

                               

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■ヤフオク出品物から

2020-01-20 16:09:01 | 花押

            

 ヤフーオークションも最近は好事家のみならず、再販業者の応札が多分に見られ落札価格が随分上がってきているものがある。
どうしても欲しいものは、清水の舞台からでも飛び降りる覚悟はあるが、最近は金欠病も有りシュンとしている。
中でもお目当ての古文書は、いろんな情報を伝えてくれる。このような花押も非常にありがたい。
これ等の人々は綱利時代の奉行之面々である。

    吉田善右衛門  天和3年8月18日(前職・目付)就任~宝永5年5月隠居退任
    藤掛忠右衛門  元禄8年10月28日就任      ~元禄14年11月19日、退任か
    尾藤市左衛門  元禄10年11月29日(前職・御側弓十張頭)就任~宝永4年6月免職
    横井佐左衛門  元禄11年1月15日(前職・使番)就任~正徳2年12月退任、二十挺頭となる(後・牛右衛門)
    津田 半兵衛  元禄13年2月18日(前職・目付)就任~正徳3年9月7日退任、 同上

 

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■細川小倉藩(128)寛永三年・日帳(五月十五日~十七日)

2020-01-20 10:31:46 | 細川家譜

                        (寛永三年五月)十五日~十七日

         
              十五日
         |
立花宗茂接待   |一、飛騨様内裏へ被成御着、御振舞之御用ニ、諸白樽当町にて相尋候へ共無之付、地酒樽壱つ、書状
         |  相添、利根川道孝へ遣候事、但、三宅清兵衛ニ御小早申付、右之御樽乗せ遣候、上乗り続亀介組
         |  工藤八兵衛遣也、
年酒       |一、右同御用ニ、式ア少殿ゟ諸白ニましたる年酒樽壱つ、内裏へ被遣候事、    (栗)
国中米銭ニテ賄ノ |一、御国中米銭ニて、五月ゟ八月半迄賄之目録、野田小左衛門判形ニて残置候を、粟野伝介方へ相渡
目録       |  候事、
         |   (親英)
走者抱ノ書物   |一、松野織ア、宇佐郡ゟ抱候もの、江戸ゟ走来ニ付、留主居兵左衛門書物、金出孫兵衛ニ渡候事、
         |一、山口半次、壬四月廿八日ニ御暇申上、肥後へ被罷越、五月十四日ニ罷帰由ニて、十五日ニ登城被
         |  仕候事、
宇治丸鮓進上   |一、中津へ被遣候飛脚罷帰候ニ、宇ぢ丸ノすし請取上ヶ申候との、長舟十右衛門・沢井次右衛門請状
         |  壱つ、 殿様へ上り候言上壱つ持参候事、
         |                      (松本)(豊岡)
造作料過上    |一、中津松田円斎ゟ、造作料過上有之由申来状、彦進・甚丞預り被申由候事、
         |  〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
立花宗茂出船   |一、飛騨様内裏へ今日被成御着、同今日被成御出舟候事、
         |

         
              十六日
         |  (津川辰珍)
組外衆ノ書付   |一、津河四郎右衛門尉殿へ、組はつれ衆之書付渡候事、
高山次左闕所ノ道 |                (大津留)
具帳ヲ明屋闕所奉 |一、高山次左衛門闕所之道具帳一冊、大靏六左衛門・溝口理兵衛両人へ渡候事、
行へ渡ス     |
         |一、御闕所物之帳ハ、ひかへを中神與兵衛、金子喜左衛門手前ニてひかへ申はつ也、
         |                               (浅山)    (西郡清忠) (横山)
南条元信借米返上 |一、南條左衛門尉殿当座借り五十石之御米返上候而、借状御取戻候、浅清右衛門・西形ア少・横助進
         |  両三人印判けし候也、但、寛弐十月廿九日ノ切手也、使左衛門殿内木付角右衛門持来候、
         |

         
              十七日
         | (中川久盛)
         |一、中河内膳様ゟ御返書、今日此方御飛脚持帰、
         |      (二階)  (播)
         |一、小倉にかい町幡磨やノ下使五右衛門と申者、国東郡ノ内御荷籠村へ去年ゟ商ニ参、惣兵衛惣吉と申
         |                                       〃〃〃
         |  者之所ニ宿仕候処ニ、宿主置申間敷と申ニ付、同村之太右衛門と申者所ニ、彼五右衛門宿仕居申
         |  候処ニ、宿主太右衛門ハ留守ニ而、五右衛門斗居申候処へ、始之宿主惣吉参候而、彼五右衛門を
女敵討之詮索   |  なたにて切り申候、何たる子細そと、惣庄や尋候ヘハ、女かたきニ切り申由申候、女かたきの証
         |  拠不知候間、御郡奉行衆へ能せんさく被仕、重而様子可被申越通申渡候也、
         |          (伝)
         |一、小林里右衛門・河崎権右衛門、今日相果候由、松本・豊岡両人申渡候事、
         |

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■「阿部茶事談」(22)釈文

2020-01-20 07:03:17 | 史料

22        おもふらん 殉死の面々ハわけて故有物也 我臆
         病尓して生なからへ居る尓非す 君尓も外記
         か申所尤と思召討手を被仰付たり 先代拝
         趨の者ハ當代何の用尓も立ず生存て何か
         せん潔討死するより外なしと憤りを含ミ
         退出すとそ 光尚公尓も此度討手を蒙る事
         面あて成外記か申様数馬憤りを含みし
         由被聞召上と云共一端被仰付事故指替ら
         る事も難成て数馬尓御意有けるハ原の城
         尓ても武勇無比類叓也必怪我なく首尾
         能仕て帰連と追々御懇意の被仰付有ける
         尓只難有とのみ御請申上けるか既尓廿日の夜
         尓成けれハ沐浴し身をを改め月額を剃
         髪を梳りけるが白菊と云名香を拝領して
         持けるを飽迄留木尓そ志たりける 偏尓討
         死の覚悟成ける故白無垢尓白たすきを掛
         自然を以鉢巻を強く志め 忠利公ゟ御手
         つから拝領せし関の兼光大業物を帯し
         又重代の村正弐尺五寸の刀兼ねて覚有業
         物を帯し左の肩尓討手相印の角取紙
         を附千余石の軍役人数討手譜代の乙名
         嶋徳右衛門副頭尓ハ添嶋九兵衛野村庄兵衛

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■細川家臣・松見氏史料

2020-01-19 10:04:30 | オークション

 現在ヤフオクに細川家家臣・松見氏の宛行状など数点が出品されている。
    江戸前期 『 熊本藩士 奉行衆 知行目録2通 』 元禄十三年 細川綱利 肉筆 古文書
    江戸前期 『 熊本藩四代藩主 細川宣紀 書状 』 正徳六年 肉筆 古文書
    江戸中期 『 熊本藩六代藩主 細川重賢 書状 』 寛延元年 肉筆 古文書
    江戸期 『 肥後国熊本藩士 松見家の古文書7点 』 御奉公 隠居 宗門 家督 先祖附 肉筆    
またばらばらになるかと思うとやり切れない気がする。参考の為に侍帳をご紹介しておく。

   ■ 松見太郎八  (南東38-15) 
    1、上田長三郎(長右衛門)
    2、長右衛門
    3、文左衛門・貞仲  百石 御番方十一番御留守居組
    4、吉之允       百石
    5、権次(長右衛門) 二番与 百五十石
    6、喜平次(仁左衛門)  
    7、卓右衛門   八代御城付八代御番頭組 文武稽古所見繕役 高百石之御擬作
                 細川斎護公御書出(弘化四年)百石
    8、太郎八   須佐美権之允組 御留守居御番方 御擬作高百石

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■細川小倉藩(127)寛永三年・日帳(五月十三日~十四日)

2020-01-19 08:58:38 | 細川小倉藩

                        (寛永三年五月)十三日~十四日

         
              十三日
         |

忠利出船ス    |一、殿様、今日辰之上刻ニ被成 御出船事、
豊後横目へ音信  |一、豊後御横目衆へ 御書箱壱つ、上野焼御茶入、杉ノ箱ニ入 壱つニ、御鍬之者弐人ニ持せ遣候
上野焼茶入    |  事                        
         |一、御小々性田中伝蔵事、可罷上之旨被 仰下候ニ付而、廿丁小早申付、差上申候、御舟頭は東次

         |  幷御横目宗や相添、差上申候事、
諸紋ノ鍵     |一、西魚や町うらの御門のかき、
西魚屋町裏手ノ門 |               酒井勘兵衛持上ル、
手拭町裏ノ門   |一、てのこい町うらの御門のかき、
松山権兵衛口ノ門 |一、松山権兵衛口御門ノかき弐つ、日置八左衛門・杉田久介 持上ル、
楊梅       |一、田川ゟ山もゝ四こ持来候を、則跡ゟ御船へ持せ差上候事、
         |一、今日両度 御書被成下候、申ノ刻、申ノ下刻ニ
三斎へ宇治丸鮓進 |一、三斎様へ、宇治丸鮓□可被成御進上旨ニて、持せ被下候事、
上        |
         | (八木)
医師ヲ江戸随行ニ |一、慶閑御小早二て急乗、御供ニ可参旨被 仰下、則申付候事、
呼ブ       |
         |                          (幸長)
日向ニテ新造ノ舟 |一、日向ニて御作せ被成御舟ノ絵図、其外書物三つ、野田小左衛門ゟ清右衛門請取置候を、舟瀬里
ノ絵図書物    |  兵衛ニ相渡候、使御鍬ノ岩田喜右衛門遣也、
         |

         
              十四日
         |

宇治丸鮓     |一、三斎様へ被成 御進上宇治丸鮓、今日御飛脚ニ持せ遣候事、但、岩田喜右衛門組久五郎・七左衛
         |  門遣候、
         | (立花宗茂)(大里、規矩郡)
立花宗茂通過ニ網 |一、飛騨様大裏へ御着之刻、あミひかせ申奉行ニ、歩之御小姓寺戸仁兵衛申付候 御鉄炮衆樋市左衛門相添候也
漁ノ奉行     |
行水ノ奉行    |一、同御行水、彼是ノ御奉行八谷新介、
         |   (惟成)
         |一、竹原少左衛門へ、中津郡大村二郎右衛門下人之儀ニ付而、書状遣、但、日付ハ昨日の日付ニて
         |                 (田脱)
         |  候、昨日調置候へ共、今日ノ便岩喜右衛門組久五郎・七左衛門ニ遣候事、
祇園浜手門ノ鍵  |一、祇園はまての御門番上田三右衛門かき壱つ持上ル、かミノはこニ入置候也、
         |               (松井興長)    (有吉英貴)     (米田是季)
松山権兵衛口門ノ |一、松山権兵衛口ノ御門のかき、式ア少殿・頼母佐殿・監物殿被得 御諚候て、明申筈ニ御座候由、
鍵        |  式ア少殿之内堀口少五郎使ニて申来候、則かき戻申候事、御門番日置八左衛門・村田久介ニ相渡
         |  也、
東猟人町海手門ノ |一、東猟師人町海手之御門、堀口五介預りのかき壱つ上る、但、野原善太郎持来候也、
鍵        |    〃
         |        (朽木昭和)
         |一、福田吉介方、三渕内匠殿組ニ御入被成候、此由内匠殿へ申入候事、
囚人護送     |一、田川郡ゟ日田へ、囚人境目迄送参、相渡、切手取帰候、則此切手他国ゟ走来と有之帳ニゆいてけ
他国ゟ走来帳   |  置候事、
         |  (立花宗茂)                          (松野親家)
立花宗茂猪膝着  |一、飛騨様内裏へ被成御着ニ付、 御亭主分ニ、利根川道孝今日内裏へ御越候事、但、飛騨様ハ今日
松野厭家ヲ饗応ノ |  (猪膝、田川郡)  
亭主分トス    |  いのひさへ御着被成候事、
         |
                  

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■原文に触れる「阿部茶事談」(24)

2020-01-18 20:55:53 | 史料

                                 

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■「阿部茶事談」(21)釈文

2020-01-18 13:51:07 | 細川家譜

21       出男子五人有て何連も被召出と也 中尓も
        数馬は幼年ゟ忠利公児小姓尓被召出御
        意尓叶ひけると也 嶋原の折も供奉致し二
        月廿七日落城の節十六才尓て働き疵を
        蒙り武者振見事尓有けると也 柳川の城
        主立花弾正是を見て感状を送給ふ 帰
        陳の上三百石の新恩を蒙り千百五拾石の身
        上也 御側物頭三十挺也 今年廿一才壮年之
        若武者也 此度討死と定ける 其意趣を
        聞尓数馬は忠利公の近習ゟして其御心尓
        叶ひけり 又林外記と云者有て當時双なき出
        頭尓して光尚公御側さらす 大目付約を蒙り
        大小となく政道の筋口入せしか 如何成故尓や
        数馬と不和なり 此度の討手をハ誰かハ被
        仰付之事と御讃談之席尓て外記申けるハ
        誰かれとなく竹内数馬ハ御先代御取立の者
        也高恩身ニ余此度何とて高恩報しさらん
        や数馬こそと申ける尓より数馬尓一決しける
        と也 高見も同役たる尓より同討手の仰を
        蒙りけり 此趣を数馬傳聞て心得ぬ外
        記か言葉哉我本ゟ御取立の事ハ世の知る所
        也 殉死をも可致者の生き存へて居るとや

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■お安く読む・角川ソフィア文庫「明治日本写生帖」

2020-01-18 07:04:30 | 書籍・読書

  先に同文庫が出したエミール・ギメの「明治日本散策 東京・日光」を読んだ。
帯には「失ったものの大きさに日本人はいつか気づくだろう」とある。写生もさることながら、文章に大いにひかれた。
この本と対の形で出されたのがこの本である。ギメを読んでレガメを読まないのは片手落ちだろうと思い注文した。

レガメについては河鍋暁斎の絵で承知している。この本を読んだら次はこの奇才・暁斎を読もうと考えている。
まずは・・・

 明治日本写生帖  

          

<article class="book-header pc">

明治日本写生帖

  • 定価: 1,100円(本体1,000円+税)
<article class="book-details"></article> </article>
 

245の図版で見る明治──議会、軍隊、寺社、学校から、相撲、歌舞伎まで

開国直後の日本を2度訪れたレガメ。紙とペン、そして旺盛な好奇心を携えたフランスの画家は、憧れの異郷で目にするすべてを描きとめた。誕生したばかりの帝国議会の様子は? 富裕層と庶民の学校はどう違う? 市川團十郎の歌舞伎の舞台裏とは? 天皇、軍人、僧侶から、名もなき人や子どもまで、明治の人と風景を克明に描く図版245点。ジャポニスムに火を付けた画家の知られざる全貌、日仏交流史における意義に迫る解説を収録。

もくじ

■ 明治日本写生帖(LE JAPON EN IMAGES)

 国土と国民
 政治と文明化
 軍隊
 宗教・風俗・慣習
 音楽と踊り
 芝居と相撲
 公教育
 芸術と芸術家

■ フェリックス・レガメと日本  林久美子
■ 日仏文化交流史の中のギメとレガメ  稲賀繁美
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■細川小倉藩(126)寛永三年・日帳(五月十日~十二日)

2020-01-18 07:03:11 | 史料

                        (寛永三年五月)十日~十二日

         
              十日
         |
石囲爐裏     |一、中津御奉行衆へ、石いろりの儀申遣候書状之返事、今日来ル、此飛脚申候ハ、 三斎様御上洛廿
三斎上洛延引   |  七日迄相延申候由申候事、
忠利端午節供ニ出 |一、煩候而、五月五日御節供ニ不出之者、煩之様子せんさく可仕旨、被 仰出候、
仕セザル者ヲ詮索 |
セシム      |
扶持放 国払   |一、右御節供ニ不出ニ付、市村十左衛門ハ被放御扶持候、但、御借米・同銀不残返上仕候而、他国可
         |  仕旨、 御書出シ出申候事、
竹屋ハ宥免サル  |一、竹や喜兵衛事、右同不出ニて候へとも、内々能御奉公仕ニ付、被成 御免候事、
         |十一日
         |一、立花飛騨様・鍋嶋信濃様へ被進 御書御返事、御飛脚今日持帰也、
         |  〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
三斎へ楊梅進上  |一、中津へ山もゝ被成御進上候、御小人ニ持せ、久持作丞被遣候事、
         |

         
              十一日
         |   (宗茂)
         |一、立花飛騨様へ被進 御書御返事、今日御飛持帰申候事、
         | (木下延俊)
         |一、右衛門様へ 御書、次飛脚ニて遣候事、
         | (豊後日田郡)                                      (元次)
囚人護送ヲ鉄炮足 |一、日田へ囚人つれさせ遣候御鉄炮衆神西與三右衛門与並川長介、芦田與兵衛与渡辺十介、明石源左
軽ニ命ズ     |  衛門与安部善左衛門、此三人ニ申付遣候也、
         |
楊梅運搬ノ小人霍 |一、昨日中津へ、山もゝを御小人ニ持せ、歩ノ御小姓久持作丞被参候処ニ、うるう津ニ而、かの御小
乱ニツキ宿送り  |  人くわくらんを仕出、不参ニ付、うるう津ゟ中津迄、宿送り持せ被参由、作丞被申候事、
         |一、中津へ 御文箱被進、 御飛脚両人ニ持せ遣候事、
         |   (勝茂)
         |一、鍋嶋信濃様へ被進御飛脚帰、則 御書之御返事来る、御茶やへ持せ遣也、
         |   (郡脱ヵ)
楊梅       |一、田川太郎左衛門ゟ、山もゝ三籠持来候事、則上ヶ候也、
         |   (惟成)   
         |一、竹原少左衛門所ゟ、田辺平介所ニ居候百性之儀日申越書状、当所浅山清右衛門・仁保太兵衛と当
         |  被越候、ふしんをたて申候事、
         |

         
              十二日
         |    (久盛)
         |一、中河内膳様へ之 御書持せ、御鉄炮衆弐人遣候也、芦山與兵衛組渡辺十介、明石源左衛門組吉村昨左衛門両人遣、
         |              (加藤忠広)(鶴崎、豊後大分郡)
速見郡奉行ノ報  |一、宇野七右衛門所ゟ申来候ハ、肥後守殿つるさきまて御着之由、次飛脚にて注進申候、則立 御耳
加藤忠広鶴崎ニ着 |  候事
ス        |
         |一、中津へ 御書被進、沢井次右衛門ニ上ヶ可申旨、被 仰出、御返書申ノ中刻ニ来申候事、
         |一、木右衛門様ゟ之御返書、次飛脚ニて、申ノ下刻ニ参候を、塩田少斎を以上候事、
         |

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■それから一年経過・・

2020-01-17 20:53:31 | 徒然
 
■皆勤散歩は204日目

 皆勤朝の散歩は204日目となったが、今年に入ってからは「朝の散歩」ばかりではなく、「食後の散歩」「昼前散歩」「昼食後散歩」「夕方散歩」と多様を極めている。昨日などは朝の散歩のタイ......
 

 一年前の記事である。単純に365日を足すとほぼ570日、一割引きしたところでも500日は有に越していることになるが・・・
悩みは体重が減らないのである。しばらくの間薬のせいかもしれないが膨満感が半端なく、便秘もあって苦労もした。
便秘は解消したが膨満感は無くならない。一番絞り込んだときは70キロジャストになったが、現在は76キロ後半をうろうろしている状態である。
体重は今のまゝでもよいと思っているのだが、腹回りが2~3センチ減ってくれないとズボンが危うい状態になる。
今年に入ってからは、数日前の雨の日に一日だけ休んだが、3.5キロほどを45分かけて歩いている。
月曜日にはまた病院行、先の検査の結果が気になる所だ。なんとかニトロの御世話になっていないのが有難い。

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■細川小倉藩(125)寛永三年・日帳(五月九日)

2020-01-17 11:00:42 | 史料

                        (寛永三年五月)九日

         
              九日  
         |               三斎公              (三渕之直)
         |一、昨日中津様へ被進 御書之御返事参候、則左膳殿を以上ル、
         |              預り切手
箭竹頂切手    |   田代藤右衛門ニ、矢ノ竹〇相渡申覚
         |         (規矩郡)
         |  一、三百五十本 当郡丸か口村ニ有、預り切手壱枚
         |  一、弐百九拾本 宇佐郡龍王ニ有之、預り切手壱枚
         |  一、弐千本   下毛郡市平村ニ有之、預り切手壱枚
         |  一、八百本   同郡田口村ニ有之、預り切手壱枚
         |     右四枚之切手慥ニ請取申候、
         |                     横山等左衛門組
         |                         田代藤右衛門(花押)
         |一、木下右衛門様へ、七日ニ次飛脚ニ而、御書箱被遣候処ニ、御返書九日ノ午ノ下刻ニ、又次飛脚ニ
         |  て参候事、與左衛門被上候事、
         |        (志水元五)伯耆
         |一、名村左大夫所ゟ志伯州へ参候書状、続亀介与楢崎里介ニ持せ、さし返候事、
         |                     (ママ)               (武次)
三原酒樽三百   |一、三原へ三斗入ノ樽三百、詰ニ遣候歩之御小性針四郎左衛門、御鉄炮衆牧丞太夫与大富一兵衛、同
         |  与村嶋作右衛門罷下候、
酒価壱升四分   |一、三原ニて、酒壱升ニ付四分宛、但、酒合九十弐石九斗七升三合を三百ニ詰申由、代銀諸入目共
         |  ニ、三貫七百五十六匁一分三リン入申由候、
         |一、右三百大坂へ積上、寺嶋平兵衛ニ渡置由事、
湘雲守沅書状忠利 |一、右便ニ沅西堂ゟ 殿様への書状、土佐新太郎を以上ル、
宛        |
         | (奈良、大和添上郡)
         |一、ならの了明坊ゟ、式ア少殿への書状持せ遣候事                  (横山重嘉)
         |一、木下右衛門様へ、八日ニ次飛脚ニて被遣候御返書、今日申ノ中刻ニ次飛脚ニて参候事、則助進
         |  上ヶ被申候事、奥へ持参被仕、熊介ニて被上候事、
         |  〃〃〃〃〃〃
         |         (氏次)
袖印紙      |一、御袖印壱枚、田中與左衛門手前ゟ野田小左衛門へ被相渡候事
         |

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