津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「阿部茶事談」(21)釈文

2020-01-18 13:51:07 | 細川家譜

21       出男子五人有て何連も被召出と也 中尓も
        数馬は幼年ゟ忠利公児小姓尓被召出御
        意尓叶ひけると也 嶋原の折も供奉致し二
        月廿七日落城の節十六才尓て働き疵を
        蒙り武者振見事尓有けると也 柳川の城
        主立花弾正是を見て感状を送給ふ 帰
        陳の上三百石の新恩を蒙り千百五拾石の身
        上也 御側物頭三十挺也 今年廿一才壮年之
        若武者也 此度討死と定ける 其意趣を
        聞尓数馬は忠利公の近習ゟして其御心尓
        叶ひけり 又林外記と云者有て當時双なき出
        頭尓して光尚公御側さらす 大目付約を蒙り
        大小となく政道の筋口入せしか 如何成故尓や
        数馬と不和なり 此度の討手をハ誰かハ被
        仰付之事と御讃談之席尓て外記申けるハ
        誰かれとなく竹内数馬ハ御先代御取立の者
        也高恩身ニ余此度何とて高恩報しさらん
        や数馬こそと申ける尓より数馬尓一決しける
        と也 高見も同役たる尓より同討手の仰を
        蒙りけり 此趣を数馬傳聞て心得ぬ外
        記か言葉哉我本ゟ御取立の事ハ世の知る所
        也 殉死をも可致者の生き存へて居るとや

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