津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「阿部茶事談」(22)釈文

2020-01-20 07:03:17 | 史料

22        おもふらん 殉死の面々ハわけて故有物也 我臆
         病尓して生なからへ居る尓非す 君尓も外記
         か申所尤と思召討手を被仰付たり 先代拝
         趨の者ハ當代何の用尓も立ず生存て何か
         せん潔討死するより外なしと憤りを含ミ
         退出すとそ 光尚公尓も此度討手を蒙る事
         面あて成外記か申様数馬憤りを含みし
         由被聞召上と云共一端被仰付事故指替ら
         る事も難成て数馬尓御意有けるハ原の城
         尓ても武勇無比類叓也必怪我なく首尾
         能仕て帰連と追々御懇意の被仰付有ける
         尓只難有とのみ御請申上けるか既尓廿日の夜
         尓成けれハ沐浴し身をを改め月額を剃
         髪を梳りけるが白菊と云名香を拝領して
         持けるを飽迄留木尓そ志たりける 偏尓討
         死の覚悟成ける故白無垢尓白たすきを掛
         自然を以鉢巻を強く志め 忠利公ゟ御手
         つから拝領せし関の兼光大業物を帯し
         又重代の村正弐尺五寸の刀兼ねて覚有業
         物を帯し左の肩尓討手相印の角取紙
         を附千余石の軍役人数討手譜代の乙名
         嶋徳右衛門副頭尓ハ添嶋九兵衛野村庄兵衛

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