津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「阿部茶事談」(18)釈文

2020-01-11 13:06:11 | 史料

18      空しく帰京有けれハ今ハ頼ミも尽て一家浮
       沈此時也とかたつをのむで居たりける処尓権
       兵衛儀上を不憚旨被 仰渡井手の口尓て縛り
       首をぞ討連けり 己か心ゟとハ乍申是非なかり
       ける次第也 妻子の歎く言葉なし 時尓弟弥
       五兵衛を初として残る弟共歎の泪尓怒りを
       含み権兵衛上を不恐仕方御咎ハ誠ニ恐入たる
       叓なから親弥市右衛門数ならねとも先君に
       對し奉り殉死之一人也御仕置侍の作法に
       被仰付尓おひてハ上尓御恨を可申上様なし
       然るに盗賊の如く諸人の眼前尓て縛り首を
       御刎させ候事無御情被成方也 此上ハ残る弟共
       迚も此侭尓てハ立置るまし たとひ御構なく
       とも本家縛り首を討連何面目有て朋友尓
       も面を向んやと憤りて兄弟四人権兵衛屋敷
       尓取籠る 此事尊聴尓達しなば定而 討
       手向ふべし 其時去年以来の鬱憤を致し
       討手と花々敷勝負を決し勢盡たる時切
       腹せんと申合門戸を閉静りかへりて居たりけり
          竹内数馬高見権右衛門其外討手被
          仰付事
       去程尓阿部弥五兵衛を初として兄弟四人己か

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■鬼松という娘

2020-01-11 11:07:55 | 歴史

 1月の史談会例会まで一週間となって、史料の読み込みに忙しい。
細川家が赤穂浪士17名を預かった際、接待役を勤めた堀内伝右衛門が最晩年に子孫のために書き残した「旦夕覚書」を取り上げることにしている。「花鳥風月」の四巻のうちの今回は「鳥の巻」である。
この堀内家は新宮城主・堀内氏善に連なる一族で、氏善の弟・半介を家祖とする。大阪の陣で西軍に与した堀内氏善は新宮の領地25,000石を失い加藤清正に仕え、小西行長亡き後の宇土城の城代を勤めた。熊本で死去し城代を勤めた宇土城に近い場所に葬られている。
一方弟の半助とその息・構之助は池田輝政に仕えている。構之助の娘で一人っ子の妙菴に婿を迎えて、この子供たちが細川家に仕えた。傳右衛門は嫡家の分流である。
この史料を読んでいると、ふっと微笑ませてくれる逸話が残されている。

 「妙菴構之助殿娘一人子にて幼少之時鬼松とつけ被申殊の外秘蔵にて、十二三迄は門前を池田輝政公御通
  被遊候節は
召連御目見被仕候へは毎度鬼松出たか堀出かと御意被成候」

堀内構之助の娘・妙菴は幼いころ「鬼松」と呼ばれていたらしい。童名は「松」でもあったろうか。
「秘蔵」の娘だというから、一人っ子ということも有り溺愛されていたのだろう。
主君輝政公がお出ましの際には父娘ともども門前に出てお出迎えして御目見えをしているが、輝政公もこれを楽しみにされていたらしく、「鬼松でたか」と声を掛けられた。なんともほほえましい。
細川家家臣堀内六家はこの妙菴を祖とする女系が枝葉を広げている。堀内家にとってはご先祖様の名誉な話として受け継がれているのであろう。

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■原文に触れる「阿部茶事談」(19)

2020-01-11 06:29:52 | 史料

                                   

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