津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■ヤフオク出品物から

2020-01-20 16:09:01 | 花押

            

 ヤフーオークションも最近は好事家のみならず、再販業者の応札が多分に見られ落札価格が随分上がってきているものがある。
どうしても欲しいものは、清水の舞台からでも飛び降りる覚悟はあるが、最近は金欠病も有りシュンとしている。
中でもお目当ての古文書は、いろんな情報を伝えてくれる。このような花押も非常にありがたい。
これ等の人々は綱利時代の奉行之面々である。

    吉田善右衛門  天和3年8月18日(前職・目付)就任~宝永5年5月隠居退任
    藤掛忠右衛門  元禄8年10月28日就任      ~元禄14年11月19日、退任か
    尾藤市左衛門  元禄10年11月29日(前職・御側弓十張頭)就任~宝永4年6月免職
    横井佐左衛門  元禄11年1月15日(前職・使番)就任~正徳2年12月退任、二十挺頭となる(後・牛右衛門)
    津田 半兵衛  元禄13年2月18日(前職・目付)就任~正徳3年9月7日退任、 同上

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■細川小倉藩(128)寛永三年・日帳(五月十五日~十七日)

2020-01-20 10:31:46 | 細川家譜

                        (寛永三年五月)十五日~十七日

         
              十五日
         |
立花宗茂接待   |一、飛騨様内裏へ被成御着、御振舞之御用ニ、諸白樽当町にて相尋候へ共無之付、地酒樽壱つ、書状
         |  相添、利根川道孝へ遣候事、但、三宅清兵衛ニ御小早申付、右之御樽乗せ遣候、上乗り続亀介組
         |  工藤八兵衛遣也、
年酒       |一、右同御用ニ、式ア少殿ゟ諸白ニましたる年酒樽壱つ、内裏へ被遣候事、    (栗)
国中米銭ニテ賄ノ |一、御国中米銭ニて、五月ゟ八月半迄賄之目録、野田小左衛門判形ニて残置候を、粟野伝介方へ相渡
目録       |  候事、
         |   (親英)
走者抱ノ書物   |一、松野織ア、宇佐郡ゟ抱候もの、江戸ゟ走来ニ付、留主居兵左衛門書物、金出孫兵衛ニ渡候事、
         |一、山口半次、壬四月廿八日ニ御暇申上、肥後へ被罷越、五月十四日ニ罷帰由ニて、十五日ニ登城被
         |  仕候事、
宇治丸鮓進上   |一、中津へ被遣候飛脚罷帰候ニ、宇ぢ丸ノすし請取上ヶ申候との、長舟十右衛門・沢井次右衛門請状
         |  壱つ、 殿様へ上り候言上壱つ持参候事、
         |                      (松本)(豊岡)
造作料過上    |一、中津松田円斎ゟ、造作料過上有之由申来状、彦進・甚丞預り被申由候事、
         |  〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
立花宗茂出船   |一、飛騨様内裏へ今日被成御着、同今日被成御出舟候事、
         |

         
              十六日
         |  (津川辰珍)
組外衆ノ書付   |一、津河四郎右衛門尉殿へ、組はつれ衆之書付渡候事、
高山次左闕所ノ道 |                (大津留)
具帳ヲ明屋闕所奉 |一、高山次左衛門闕所之道具帳一冊、大靏六左衛門・溝口理兵衛両人へ渡候事、
行へ渡ス     |
         |一、御闕所物之帳ハ、ひかへを中神與兵衛、金子喜左衛門手前ニてひかへ申はつ也、
         |                               (浅山)    (西郡清忠) (横山)
南条元信借米返上 |一、南條左衛門尉殿当座借り五十石之御米返上候而、借状御取戻候、浅清右衛門・西形ア少・横助進
         |  両三人印判けし候也、但、寛弐十月廿九日ノ切手也、使左衛門殿内木付角右衛門持来候、
         |

         
              十七日
         | (中川久盛)
         |一、中河内膳様ゟ御返書、今日此方御飛脚持帰、
         |      (二階)  (播)
         |一、小倉にかい町幡磨やノ下使五右衛門と申者、国東郡ノ内御荷籠村へ去年ゟ商ニ参、惣兵衛惣吉と申
         |                                       〃〃〃
         |  者之所ニ宿仕候処ニ、宿主置申間敷と申ニ付、同村之太右衛門と申者所ニ、彼五右衛門宿仕居申
         |  候処ニ、宿主太右衛門ハ留守ニ而、五右衛門斗居申候処へ、始之宿主惣吉参候而、彼五右衛門を
女敵討之詮索   |  なたにて切り申候、何たる子細そと、惣庄や尋候ヘハ、女かたきニ切り申由申候、女かたきの証
         |  拠不知候間、御郡奉行衆へ能せんさく被仕、重而様子可被申越通申渡候也、
         |          (伝)
         |一、小林里右衛門・河崎権右衛門、今日相果候由、松本・豊岡両人申渡候事、
         |

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■「阿部茶事談」(22)釈文

2020-01-20 07:03:17 | 史料

22        おもふらん 殉死の面々ハわけて故有物也 我臆
         病尓して生なからへ居る尓非す 君尓も外記
         か申所尤と思召討手を被仰付たり 先代拝
         趨の者ハ當代何の用尓も立ず生存て何か
         せん潔討死するより外なしと憤りを含ミ
         退出すとそ 光尚公尓も此度討手を蒙る事
         面あて成外記か申様数馬憤りを含みし
         由被聞召上と云共一端被仰付事故指替ら
         る事も難成て数馬尓御意有けるハ原の城
         尓ても武勇無比類叓也必怪我なく首尾
         能仕て帰連と追々御懇意の被仰付有ける
         尓只難有とのみ御請申上けるか既尓廿日の夜
         尓成けれハ沐浴し身をを改め月額を剃
         髪を梳りけるが白菊と云名香を拝領して
         持けるを飽迄留木尓そ志たりける 偏尓討
         死の覚悟成ける故白無垢尓白たすきを掛
         自然を以鉢巻を強く志め 忠利公ゟ御手
         つから拝領せし関の兼光大業物を帯し
         又重代の村正弐尺五寸の刀兼ねて覚有業
         物を帯し左の肩尓討手相印の角取紙
         を附千余石の軍役人数討手譜代の乙名
         嶋徳右衛門副頭尓ハ添嶋九兵衛野村庄兵衛

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする