津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■巻物・木筒玉火矢之事秘伝(大筒図入)・文政12年・細川肥後守光尚公・古文書・古書・砲術

2020-01-21 14:09:28 | オークション

                       ★巻物・木筒玉火矢之事秘伝(大筒図入)・文政12年・細川肥後守光尚公・古文書・古書・砲術★
            
                   

 文政12年に書かれた細川御家流の「木筒玉火矢」の秘伝の書だとされる。
水野伝右衛門から上原七郎左衛門にあてたものだが、後者の名前は細川家家臣としては確認できないでいる。陪臣か。
出品に当り、大変丁寧な写真が添えられていて、大方の詳細を知ることができて有難い。貴重な資料である。

これは「肥後武道史」(p50)にみえる、「御家御一流木石火矢」であろうと思われる。
稲富流砲術の流れをくむものらしく、光尚公の時代に内尾七左衛門が一流を立てた物らしい。
内尾家が代々相伝する中で、安永二年七月には内尾源八・直兵衛らとともに、この水野傳左衛門も奥義を極めたものと思われる。

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■細川小倉藩(129)寛永三年・日帳(五月十八日)

2020-01-21 11:22:44 | 細川家譜

                        (寛永三年五月)十八日

         
              十八日
         |

忍冬葉ノ乾燥   |一、すいかつらのは拾石□五斗取候て、ほし候て、可上由、御小人頭與介に申渡候事、
         |         〃〃
         |   (之昌)                 (国遠道倫)      〇御物之品被 仰付よつて入申候間、此もの借可給由申遣候処ニ
源順和名類聚抄十 |一、佐方宗佐へ、したがう和名之事、道輪尓写被申ニ付、かりニ遣候処ニ〇昨日十冊被差越候事、
冊ノ借写     |                     〃〃〃〃〃 〃〃〃〃〃〃〃
         |                                 (林)
薩摩へ綱買ノ者帰 |一、さつまへ御買物ニ被遣候御鉄炮衆明石源左衛門組池田次兵衛、御船頭木々與右衛門今日罷戻申
着ス       |  候、           (坊津、川部郡)
薩摩ノ船改厳重  |一、薩摩ニて、舟改殊外稠敷候て、ぼうの津にて船改ノ奉行両人、乗候舟ノ内、きがへ袋迄改可申由
         |                 (鹿児島)
小倉舟故改ナシ  |  ニ候へ共、小倉舟ノ由両人申ニ付、かご嶋へ飛脚を遣、舟改奉行衆被得御意候処ニ、小倉舟無紛
         |                                 (山川、捐宿郡)
         |  候は、すくニ可通由、さつま御奉行衆ゟ被仰付、すくニとをし申候、又山河と申湊ニても、右同
         |  前ニて候由申候事、
         |一、かご嶋ニ舟着候ても、右之御改ニ候へ共、小倉舟ノ由申理ニ付、御せんさく無之由ノ事、
宿主幽齋ノ旧縁ニ |一、右之次兵衛・與右衛門さつまへ着候て、白石仁右衛門と申者之所ニ宿仕由申候、此宿主仁右衛門
ヨリ懇切     |  ハ前かと幽齋様ニ居申白石勘解由と申人之子ニて候由ニて、殊外懇ニ仕候由候、
七島蓆十枚ニツキ |一、七嶋むしろ十枚ニ付、薩摩ごろ五十宛うわ米出申筈ニ候へ共、小倉舟之通、宿主白石仁右衛門
薩摩ごろ五十   |  見及理申ニ付、右之うわ米も出不申候由候事、
上米ヲ免ゼラル  |
帆別銀ナシ    |一、ほべつノ銀も出申由候へ共、是も同前ニ宿主理被申ニ付、銀子出し不申由事、
薩摩ニテ買物之覚 |    さつまにて御買物之覚
 赤つぐ網    |  一、赤キつぐづな三十ぼう、内一ぼうハおない、
 七嶋蓆     |  一、七嶋むしろ百四十枚、
 黒つぐ網ハ音信 |  一、黒キつぐつな十ほう、是ハ薩摩様ゟ御音信として、同舟ニつミ参申候、
遣残銀子ヲ銀奉行 |一、御銀子弐貫八百め持参候処、壱貫百五十弐匁三分遣余候て、持戻候を、御銀奉行宗田伝左衛門ニ
ニ戻ス      |  渡させ候事、
         |                                     (阿久根、薩摩郡)
         |一、さつまノかご嶋を出申候時、舟改奉行衆被参、ふねノ内荷物被改、其上かご嶋ゟあぐねと申ミな
         |  とまで、奉行を被乗せ、無事ニ上り申由候事、
         |
         |    (久元)    (忠続)       (松井興長)(小笠原長元)
嶋津家家老ノ書状 |一、嶋津下野守・喜入摂津守両人ゟ、式ア殿・民ア殿へ状言伝り参候、則式ア殿へ持参候へと申遣候
         |  事
         |     以 上
         |                               (林)
大橋ノ柵建設   |一、上林甚介ニ、大はしのしからミ仕候へと申渡候、奉行無之候は、弥五右衛門組を付候へと申候事、                                       (津和地、伊豫温泉郡)
         |一、因幡へ被遣御飛脚のせ参候御小早ノ御船頭中靏弥吉、 殿様御舟ニ、つわニて懸御目候処ニ、被
         |  成 御書候を持来候、則頂戴仕候事、
         |                       平兵衛より              (由宇、周防玖珂郡)
借小早      |一、寺嶋平兵衛ゟ、かり小早ニて書状差下シ被申候、 殿様へ之御請ハ、御舟中ゆうと申所ニて、上
         |  ケ候由申候事、則かり小早船頭九兵衛と申者持て上り候也、
松ノ丸へ移ル   |一、松御丸へ移申候事、
諸職人手間料ヲ相 |一、諸職人手間料、此以前ハ直段奉行被仰付候へ共、今ゟハ相対次第ニ被仕候へと、御町奉行衆へ申
         |  入候也、
三斎へ宇治丸鮓  |一、御賄米不足仕ニ付、御小早さし上せ候ニ、三斎様へ田川郡ゟ被進候うち丸の御請、長舟十右衛
対次第トス    |                  (久盛)
         |  門・沢井次右衛門ゟ被差上候、又中川内膳様ゟノ御返書、二通共ニさし上せ申候事、
         |一、私共ニ、ゆうゟ 御書被成下候、則御請仕、右同前ニさし上せ申候事、
         |    (幸長)
賄米不足ノ相談  |一、野田小左衛門方へ、御賄米不足仕候間、如何被仕候や、急度様子可被申越由、申上せ候事、右書
         |   御小早船頭
         |  状〇中嶋二左衛門二上せ申候事、
         | (苅田村、京都郡)
苅田牧ノ子馬生ル |一、かんたの御牧馬、子をうミ申由、松山ノ百性申来候事、
         |

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■原文に触れる「阿部茶事談」(25)

2020-01-21 07:23:46 | 史料

                               

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