津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■山崎半十郎家各代の御書出

2020-01-30 14:17:18 | オークション

 肥後六花と呼ばれる中に「肥後山茶花」がある。歴史は意外に新しく、明治12年に山崎貞嗣が代表的品種「大錦」を作出・命名したことに始まるといわれる。この貞嗣こそが細川家家臣・山崎半十郎家の最後の当主である。
「東肥花譜‐肥後の花と人と」の著者・山崎貞士は貞嗣の孫にあたる。
その山崎半十郎家の宛行状10点ほどが一挙にヤフオクに出品されている。
山崎家のこれ等史料については、下記の如く松本寿三郎氏編の
細川藩御書出集成」に於いてすべて明らかであるが、新出のものも見受けられる.
又貴重な資料がバラバラになる・・・・


  代々御書出其の他(細川藩御書出集成から)
                                  喜兵衛宛        細川忠利 ・寛永2年 知行宛行状 
             1、傳左衛門宛 忠利公御書出(寛永九年)百石          細川忠利 ・ 寛永9年 知行宛行状 
                  同上   忠利公御書出(寛永十年)百五十石     細川忠利 ・寛永12(10)年 知行宛行状 
                  同上   光貞公御書出(寛永十八年)百五十石    細川光貞・寛永18年 知行宛行状
             2、山崎久之允知行所付(承応三年)百五十石
               久之丞宛   綱利公御書出(寛文元年)百五十石      細川綱利 ・寛文元年 知行宛行状
               山崎久之允控
                                  角左衛門宛     細川綱利 ・ 寛文11年 知行宛行状
             3、傳左衛門宛 綱利公御書出(天和二年)二百石          細川綱利 ・ 天和2年 知行宛行状
               山崎傳左衛門知行目録(貞享元年)加増五十石
               傳左衛門宛 綱利公御書出(貞享四年)三百石        細川綱利 ・ 貞享4年 知行宛行状
               山崎傳左衛門知行目録(貞享五年)
               山崎傳左衛門加増所付目録(貞享五年)
             *、角弥宛    宣紀公御書出(正徳六年)三百石         細川宣紀 ・正徳6年 知行宛行状
             4、久之允宛   宗孝公御書出(享保十九年)三百石        細川宗孝 ・ 享保19年 知行宛行状
             5、傳左衛門宛 重賢公御書出(寛延元年)三百石          細川重賢 ・寛延元年 知行宛行状
             6、山崎惣兵衛知行所付目録(安永七年)二百五十石
               惣兵衛宛  治年公御書出(天明六年)二百五十石      細川治年 ・ 天明6年 知行宛行状
               山崎惣兵衛知行目録(天明六年)
               惣兵衛宛  斎茲公御書出(天明八年)二百五十石      細川斉茲 ・天明8年 知行宛行状
             7、山崎角弥知行所付目録(寛政元年)二百石
               角弥宛    斎樹公御書出(文化九年)二百石       細川斉樹 ・ 文化9年 知行宛行状
               山崎角弥知行目録(文化九年)
             9、山崎五郎右衛門知行所付目録(文政八年)百五十石
             10、隼雄宛    斎護公御所出(文政九年)百五十石      細川斉護 ・ 文政9年 知行宛行状
               山崎隼雄知行目録(文政九年)
             11、久之允宛   慶順公御書出(万延二年)百五十石       細川慶順・万延2年 知行宛行状

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■右手でタイピング

2020-01-30 08:24:26 | 徒然

 右手のみでタイピングしている。布団の中で左手の親指の付け根を痛めたようだ。shiftキーを押すのさえ難儀である。
よく覚えていないが、未明左足のももに違和感があり、つるような感じがして慌てて布団をはねのけてベッドから飛び出した。
足の裏を床に密着させてしばらく立っていたらどうやら納まってくれた。慌ててベッドから飛び出すときに左手を突いたのだろう。
当初はあまり痛みを感じなかったが、湿布を貼ったら脈動が感じられるように痛みが来ている。
尾籠な話だが、鼻をかむのも難儀している。
奥方が「年寄りだから長引くよ~」と脅してくる。感じとして二三日で治るようには思えない。
少々タイピングの方は控えて、読書でもしようと思っている。

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■細川小倉藩(136)寛永三年・日帳(六月十二日~十七日)

2020-01-30 06:33:41 | 細川小倉藩

                       (寛永三年六月)十二日~十七日

         
         |     十二日
         |
簗ノ設備ハ三斎領 |一、菅村七太夫・樹下作右衛門、やなノ御奉行申付候処ニ、被罷出、様子被相尋候間、 三齋様御領

分ヲ除ク     |  分を差除、御うたせ可有由、申渡候事、
透ノ香炉箱    |一、すかしの御かうろ箱十ノ儀、上方ゟ被 仰下候ニ付、右ノ御奉行岩田甚太郎中津へ参候をよひよ
つるノ間ニテ鼠害 |  せ、尋申候処ニ、出来仕候を、つるの間ニ入置候由ニて、松ノ御丸へ被持来候、多大分ねずミ損
         |  候を繕せ候、但、手間賃ハ自分ゟ被出候へと申候事、            〃
         |

         
         |     十三日
         |
水野守信使者ノ豊 |一、水野河内様ゟ之御使者、国東郡之豊後へ御通候ニ付、生源寺少九郎・寺戸仁兵衛差遣候処ニ、

後ニ行クヲ見失ウ |             〃〃〃〃  
         |  (築城郡)
         |  椎田迄ハ被参候を見申候、それゟハ見うしない、豊後別苻迄参候へ共、左様之人通り不被申す由申
         |    にて  
         |  之由被申候、今日被罷帰候事、
         |    〃〃〃
         |

         
         |     十四日
         |  〇記事ナシ

         |

         
         |     十五日
         |
透ノ香炉箱    |一、すかしの御香炉箱・しふかミ包一つ、
         |                      (八木)
薬ノ箱 刀箱   |一、御薬ノ入たる箱幷刀箱一つ、本庄勘兵衛ゟ八慶閑へ上せ被申候、
         |      そう(宗珠院)
         |一、いよ殿ゟ〇しゆゐん殿へ、しふかミ包一つ、
         |  (長沢頼長室、沼田清延女)
         |
         |一、方々へ、爰元ゟ遣状共、何も歩ノ御小性山田六兵衛・赤尾茂兵衛被持上候事、
能衣装 鮓 干貝 |一、御能衣装、すし・ほしかい等も、右衆被乗候御船ニ上ス、御船頭ハ乃美十左衛門也、
         |一、右ノ御舟ニ竹や喜兵衛乗上り候事、
         |

         
         |     十六日
         |
牧山番ヲ召抱   |一、佐藤源左衛門、牧山ノ御番者ニ、今日抱申候事、
         | (豊後日田郡)
人返シノ請取切手 |一、日田へ田川ゟ被送遣者ノ請取切手、式ア少殿ゟ今日うつし候て、御取可被成候事、
         |

         
         |     十七日
         |
         |一、沢善十郎、母煩見舞として、権七知行所へ罷越、昨日罷帰候事、
         |                          (鍋、南條元信室、細川興秋女)
三斎手作ノ瓜   |一、御手作之うり廿一、おちうりのよし申候而持来候を、おなへ殿へ上ヶ申候事、
         |一、御家老衆ゟ被差上せ候御小早、徳嶋八兵衛罷下候事
         |  (規矩郡)                    ( 花 瓶 )
忠利国廻ノ時召上 |一、三岳の寺ニて、御国廻之時、被召上くわひんのかわりニ、被遣くわひん二つ、右ノ御舟頭持下
シ花瓶ノ替リ   |  候事
         |

  

 

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