肥後六花と呼ばれる中に「肥後山茶花」がある。歴史は意外に新しく、明治12年に山崎貞嗣が代表的品種「大錦」を作出・命名したことに始まるといわれる。この貞嗣こそが細川家家臣・山崎半十郎家の最後の当主である。
「東肥花譜‐肥後の花と人と」の著者・山崎貞士は貞嗣の孫にあたる。
その山崎半十郎家の宛行状10点ほどが一挙にヤフオクに出品されている。
山崎家のこれ等史料については、下記の如く松本寿三郎氏編の「細川藩御書出集成」に於いてすべて明らかであるが、新出のものも見受けられる.
又貴重な資料がバラバラになる・・・・
代々御書出其の他(細川藩御書出集成から)
喜兵衛宛 細川忠利 ・寛永2年 知行宛行状
1、傳左衛門宛 忠利公御書出(寛永九年)百石 細川忠利 ・ 寛永9年 知行宛行状
同上 忠利公御書出(寛永十年)百五十石 細川忠利 ・寛永12(10)年 知行宛行状
同上 光貞公御書出(寛永十八年)百五十石 細川光貞・寛永18年 知行宛行状
2、山崎久之允知行所付(承応三年)百五十石
久之丞宛 綱利公御書出(寛文元年)百五十石 細川綱利 ・寛文元年 知行宛行状
山崎久之允控
角左衛門宛 細川綱利 ・ 寛文11年 知行宛行状
3、傳左衛門宛 綱利公御書出(天和二年)二百石 細川綱利 ・ 天和2年 知行宛行状
山崎傳左衛門知行目録(貞享元年)加増五十石
傳左衛門宛 綱利公御書出(貞享四年)三百石 細川綱利 ・ 貞享4年 知行宛行状
山崎傳左衛門知行目録(貞享五年)
山崎傳左衛門加増所付目録(貞享五年)
*、角弥宛 宣紀公御書出(正徳六年)三百石 細川宣紀 ・正徳6年 知行宛行状
4、久之允宛 宗孝公御書出(享保十九年)三百石 細川宗孝 ・ 享保19年 知行宛行状
5、傳左衛門宛 重賢公御書出(寛延元年)三百石 細川重賢 ・寛延元年 知行宛行状
6、山崎惣兵衛知行所付目録(安永七年)二百五十石
惣兵衛宛 治年公御書出(天明六年)二百五十石 細川治年 ・ 天明6年 知行宛行状
山崎惣兵衛知行目録(天明六年)
惣兵衛宛 斎茲公御書出(天明八年)二百五十石 細川斉茲 ・天明8年 知行宛行状
7、山崎角弥知行所付目録(寛政元年)二百石
角弥宛 斎樹公御書出(文化九年)二百石 細川斉樹 ・ 文化9年 知行宛行状
山崎角弥知行目録(文化九年)
9、山崎五郎右衛門知行所付目録(文政八年)百五十石
10、隼雄宛 斎護公御所出(文政九年)百五十石 細川斉護 ・ 文政9年 知行宛行状
山崎隼雄知行目録(文政九年)
11、久之允宛 慶順公御書出(万延二年)百五十石 細川慶順・万延2年 知行宛行状