津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■松ぼっくり

2020-01-27 13:39:13 | 徒然

                                          

 毎朝のゴミ出しは知らぬ間に私の当番になってしまった。私の毎日の散歩のせいである。
今日は終日くもりの予報だったが、朝から雷が鳴り風がうなっている。パラパラ小雨も降っていたが傘を持って出発。
あちこちで木々の小枝が折れ、木の葉が路上に満ちている。
自衛隊の前まで来たら、大きな松ぼっくりが沢山落ちている。三個ほど拾ってきたが、写真の者は9センチほどある。
そして中央部やや下の所から松の葉が二本顔を出していた。「えっ、芽が出たのか?」と思って取り上げてみるが、常識的にはあり得ない話である。
松ぼっくりの堅い一枚/\の殻の下に薄べったい種子があって、松ぼっくりが乾燥するとプロペラ状の羽によって風に飛ばされて飛散するのである。
しかし写真に見える二本の松の葉は引っ張っても抜けない。少々様子を見ようと思いあとの二つと共に持ち帰った。
これはどうやら黒松の松ぼっくりらしい。自衛隊の西側に14~5メートルはゆうにある松の木が5・6本植えてある。
その松ぼっくりである。少々興味も沸いて、松の種子を取り出して植えてみようかと思っている。

散歩の道中は強い風で傘も役立たず、すっかり横殴りの小雨に打たれて濡れてしまった。
午後からは雲間から太陽も顔をのぞかせて寒さは感じさせない。あと一両日は不順な天候が続くらしい。


                        

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■細川ガラシア夫人 ヘルマン・ホイヴェルス著 春秋社 1976年第2刷■

2020-01-27 11:33:48 | オークション

  ■細川ガラシア夫人 ヘルマン・ホイヴェルス著 春秋社 1976年第2刷■

この本の初版は1966年だから54年前のものである。私が所蔵するのは初版で箱に入っているが、これはカバーが懸けられているようだ。
著者のヘルマン・ホイヴェルスはイエズス会のドイツ人宣教師で第2代の上智大学の学長を務めた人である。
宗教者・教育者・劇作家などとして多くの著作をものにしている。
この著には、戯曲「細川ガラシャ夫人」が収められている。84~5頁を費やしてある。
劇作であるから全てが正鵠とは言えまいが、惣躰歴史に沿ってよくできている。
その他、20数頁に亘り、当時のキリスト教関係の史料が紹介されており、上記戯曲にも反映されている。

ガラシャ夫人についてはキリスト教関係者の著作が多く見受けられるが、その先鞭をつけた物ともいえる。

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■正代関そして木瀬部屋

2020-01-27 08:48:52 | 熊本

 大相撲千秋楽は正代関にも優勝の可能性がわずかながらも残されていたので、大いに応援したところであった。
気迫のこもった一番での勝利は、徳勝龍の結果待ちとなって気をもませる。
しかし徳勝龍の見事な相撲で正代の夢はついえたが、それでも相撲界にとっては横綱・大関陣のふがいなさの中での一筋の光明であった。

正代関の今後に大いに期待したい。

 処で優勝した徳勝龍が所属する木瀬部屋は、熊本出身のかっての「肥後ノ海」が親方となっている角界一の大所帯の相撲部屋である。
部屋付き親方・稲川はこれも熊本出身の元小結の「普天王」である。
熊本出身の二人がこれだけの大所帯の部屋を作り上げ力士を育て上げている。更なる飛躍を楽しみにしたい。

 さて先に触れた「正代関は小代氏?」について、貴重な情報をご連絡いただいた。深く感謝申し上げる。
正代関がかって、先祖・小代氏出自の地埼玉県東松山市正代の地区の方々の招待によりこの地を訪問したということをお教えいただいた。 http://ictv.easymyweb.jp/sp/default.asp?c_id=59949&u_id=hctv
まさしく熊本の野津原庄に入った小代氏の父祖の地である。
正代関が小代家のどこに繋がるのか、大変興味深い。他力本願、御教えを乞いたいと思う。

 ■ 小代八郎  (南東52-16) 
     伊勢守・親水
     下総守・親泰  加藤家侍帳・四千百三十五石五斗三升
    1、市正(清兵衛 下総・至休)  
            人持衆併組迯衆 百五十人扶持 (真源院様御代御侍名附)・・下総守
            御知行御合力米御御扶持方被遣衆・百五十人扶持 (寛文四年六月・御侍帳)
    2、五郎兵衛・親重   
            人持衆并組外衆 甚左衛門組 四百石 (御侍帳・元禄五年比カ)
    3、清兵衛・重寛(初・才助)
            才助-大木弥一右衛門組 八人扶持・才兵衛嫡子、寅四才 (御侍帳・元禄五年比カ)
    4、孫次郎・親忠(五郎兵衛) 四百石 大組附御鉄炮頭 屋敷・古京町
    5、左平太・親之   大組附・三百石 元文元辰十一月廿七日
    6、平之允・直安
    7、八百八・行平
    9、平之允・行高
    10、次郎助・行俊
    11、八五郎・行敬(五郎右衛門・八郎)

       参考  (武家家伝-小代氏)
           秀吉朱印状-佐々重備判物-佐々成政判物-清正判物(三件)
                           -清正宛行状-小出秀政・福島正則連署状

       参考 佐々豊水編・小代家古文書(上妻文庫-27
       参考 小代家系図并旧記 小代文書(新熊本市史関係資料-4 肥後古記集覧)

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■細川小倉藩(133)寛永三年・日帳(六月朔日~五日)

2020-01-27 08:19:59 | 細川小倉藩

                        (寛永三年六月)朔日~五日

         
         |     朔日
         |

長崎買物奉行出船 |一、長崎へ為御買物奉行、石寺加兵衛・飯銅庄内両人ニ、御長柄衆弐人相添、今日出船仕候事、

         
         |     二日
         |

走小者ノ借銀ノ取 |一、江戸ニて、宮村専斎小者走り申、替之もの奉公相届罷下候、然処ニ、走り候小者借銀三拾目仕
立        |  候、去年借状帳おそく江戸ゟ参候ニ付、替りの小者ニ遣候切手之内ニて引不申候間、右之請人
小者与中へ取立  |           被     (豊岡)
         |  手前ゟ、当暮取立可申之由、甚丞ニ申渡候処ニ、被得其意、当暮与中ニかゝり候て取立カ申由、
         |  申定候、甚丞所へ之使ハ奥村少兵衛也、
         |                                 (隠カ)
織田信長法会泰厳 |一、於泰岸寺、如早晩、従中津御法事御座候、為 御名代、従中津、蜂屋讃岐守被罷越、焼香被仕
寺ニテ執行    |  候、小倉御侍衆何も被罷出候事、                (谷)
         |                釘本半左衛門
鋳銭諸道具    |一、鋳銭、手前ゟ万被 召上諸道具林小兵衛ニ被請取候へと申渡候、
         |                〃〃〃〃
         |一、渡部清兵衛儀ハ、手前之算用仕舞次第、友田二郎兵衛与之中山忠左衛門替ニ遣可申由、申渡候
         |  事

         
         |     三日
         | (曳島、長門豊浦郡)

海中ノ鹿殺生   |一、ひき嶋ノまへニて、鹿うミニ居申候処ニ、猟師共あミニかゝり申候を、うちころし申由申来候、
         |  御物師衆ゟ ( 宗 珠 院 )
伊与ヨリ宗珠院へ |一、いよ殿ゟそうしゅいん殿へ参候状壱通・ちや弐俵、くろ瀬九郎右衛門持来候を、御台所道具つミ
音信物      |  〃〃〃〃  (東)
         |  上り候御船頭ひかし次介ニ、相渡候事、

    本文に於いては「いよ殿」の下に間違いであることの表示「〃」をつけているにもかかわらず、頭注では「伊与」としている。
   どうやら「〃」が間違いと思われ、「御物衆が伊与殿の書状その他を宗珠院に届けた」ものと思われる。

         |一、下関へ被遣置候生源寺市兵衛・真下喜左衛門、与共ニ被罷戻候事、

         |      (ママ)
堀干上リ鮒取   |一、下ノ北方村堤ひ候ゆへ、ふな五十六枚取上ヶ候ニ付、平井五郎兵衛壱人相添、被差上候を、生候
長池へ放ス    |           (ママ)  
         |分ハ長池ニ入、死候分ハ

         
         |     四日
         |

         |一、御船頭東次介、今日出船仕候、京・大坂へ之書状共相渡候事、

         
         |     五日
         |

米銀不足ノ目録  |一、小早御船頭小出九郎左衛門ニ、御米銀不足之目録持せ上せ候事、
足軽兄ニ替ラント |一、西沢文右衛門与小頭庄平右衛門登城仕、申候ハ、与ノ内ニ中村長兵衛と申もの御座候、かのものゝ
帰農ヲ願フ    |  兄善吉と申ものハ、篠崎村ノ御百性仕居候へ共、めげはて、田地作付不罷成ニ付、右ノ長兵衛、
         |  兄跡ノ田畠を作、御百性を仕、主代を御奉公ニ出申度と申由、申来候ニ付、一段可然候ハん由、
         |  申付候事、
長崎ヨリノ巻物ノ |一、服部左次兵衛、長崎ゟ参候巻物ノ御算用被仕上候、切手共ニ我々加印無之分をつき候様ニと被申
算用       |  ニ付、財津惣兵衛ニ相尋申候ヘハ、不苦儀ニ候間、つき候へと被申ニ付、加印仕、遣候事、
         |                (藍島、規矩郡)
藍島ノ鹿ノ検分  |一、山田七左衛門与ノ有田弥左衛門、あいノ嶋ニ御はなしなされ候鹿居候か、不居か、様子見せニ被
         |  遣候事、
  

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