津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■それから一年経過・・

2020-01-17 20:53:31 | 徒然
 
■皆勤散歩は204日目

 皆勤朝の散歩は204日目となったが、今年に入ってからは「朝の散歩」ばかりではなく、「食後の散歩」「昼前散歩」「昼食後散歩」「夕方散歩」と多様を極めている。昨日などは朝の散歩のタイ......
 

 一年前の記事である。単純に365日を足すとほぼ570日、一割引きしたところでも500日は有に越していることになるが・・・
悩みは体重が減らないのである。しばらくの間薬のせいかもしれないが膨満感が半端なく、便秘もあって苦労もした。
便秘は解消したが膨満感は無くならない。一番絞り込んだときは70キロジャストになったが、現在は76キロ後半をうろうろしている状態である。
体重は今のまゝでもよいと思っているのだが、腹回りが2~3センチ減ってくれないとズボンが危うい状態になる。
今年に入ってからは、数日前の雨の日に一日だけ休んだが、3.5キロほどを45分かけて歩いている。
月曜日にはまた病院行、先の検査の結果が気になる所だ。なんとかニトロの御世話になっていないのが有難い。

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■細川小倉藩(125)寛永三年・日帳(五月九日)

2020-01-17 11:00:42 | 史料

                        (寛永三年五月)九日

         
              九日  
         |               三斎公              (三渕之直)
         |一、昨日中津様へ被進 御書之御返事参候、則左膳殿を以上ル、
         |              預り切手
箭竹頂切手    |   田代藤右衛門ニ、矢ノ竹〇相渡申覚
         |         (規矩郡)
         |  一、三百五十本 当郡丸か口村ニ有、預り切手壱枚
         |  一、弐百九拾本 宇佐郡龍王ニ有之、預り切手壱枚
         |  一、弐千本   下毛郡市平村ニ有之、預り切手壱枚
         |  一、八百本   同郡田口村ニ有之、預り切手壱枚
         |     右四枚之切手慥ニ請取申候、
         |                     横山等左衛門組
         |                         田代藤右衛門(花押)
         |一、木下右衛門様へ、七日ニ次飛脚ニ而、御書箱被遣候処ニ、御返書九日ノ午ノ下刻ニ、又次飛脚ニ
         |  て参候事、與左衛門被上候事、
         |        (志水元五)伯耆
         |一、名村左大夫所ゟ志伯州へ参候書状、続亀介与楢崎里介ニ持せ、さし返候事、
         |                     (ママ)               (武次)
三原酒樽三百   |一、三原へ三斗入ノ樽三百、詰ニ遣候歩之御小性針四郎左衛門、御鉄炮衆牧丞太夫与大富一兵衛、同
         |  与村嶋作右衛門罷下候、
酒価壱升四分   |一、三原ニて、酒壱升ニ付四分宛、但、酒合九十弐石九斗七升三合を三百ニ詰申由、代銀諸入目共
         |  ニ、三貫七百五十六匁一分三リン入申由候、
         |一、右三百大坂へ積上、寺嶋平兵衛ニ渡置由事、
湘雲守沅書状忠利 |一、右便ニ沅西堂ゟ 殿様への書状、土佐新太郎を以上ル、
宛        |
         | (奈良、大和添上郡)
         |一、ならの了明坊ゟ、式ア少殿への書状持せ遣候事                  (横山重嘉)
         |一、木下右衛門様へ、八日ニ次飛脚ニて被遣候御返書、今日申ノ中刻ニ次飛脚ニて参候事、則助進
         |  上ヶ被申候事、奥へ持参被仕、熊介ニて被上候事、
         |  〃〃〃〃〃〃
         |         (氏次)
袖印紙      |一、御袖印壱枚、田中與左衛門手前ゟ野田小左衛門へ被相渡候事
         |

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■光尚公は「痔主様」

2020-01-17 08:10:26 | 細川家譜

     一、山田竺印江戸へ被参候刻古佐渡殿・古監物殿へ暇請に参被申候へは御両人共御入國迄は存命
       ましく候間貴老へ申置候 在江戸中に御機嫌見合被申し両人申上候と可被申候 妙解院様たとえば
       御客御座候ても即刻御廣間番見かけ候間御口上も不承誰様御出と申上候へは其儘御出被成候故
       御書院へ御通候而夏は御汗も不被入冬は火鉢も出申さぬ内に御客衆に御逢ひ被成候
       真源院様は御病気にて御を御病被成候事多く御自由に被成候ては中々おそくたとへば御客方御
       出被成候而も御口上御聞被成扨御取次衆も段々に有之申上候故御書院へ御通候にも御客方御待
       兼被成候 右御両所さまの間を御思慮被成候て宜敷様に被遊候様に申上候へとの由拙者幼少にて
       茶の宮仕を仕候て覺へ申候 御尤成被仰上と書付申候

 これも堀内伝右衛門の「旦夕覚書」にある一文である。忠利公(妙解院)と光尚公(真源院)の性格の違いが判る面白い文章である。
書き出しの
山田竺印」は法橋の位を持つ医師であり、家老の話として紹介してある。
父子様の性格を伝えて、お二人に来客があったときに、お客様に対しての取り扱いを思慮するようにと伝えられている。
江戸藩邸における来客には公儀の使者なども多くあり、その対応には注意を要することは当然である。

 忠利公は来客の旨を伝えると、すぐさまお出になった。冬の寒い中では火鉢の準備も出来ていぬうちにというのである。
一方光尚公は、痔疾がおありということも原因らしく、来客を待たせて中々お出にならないという。
このようなお二人の性格に応して来客に失礼がないように思慮せよというのである。
松井佐渡と米田監物が話したことだというが、御家老の気苦労が窺い知れる。

 

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■原文に触れる「阿部茶事談」(23)

2020-01-17 06:58:45 | 史料

                                 

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