魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

包丁一本

2013年10月24日 | 日記・エッセイ・コラム

ある人から聞いた話で、昔のことでもあるし、子細は定かではない。
昭和30年代。名門のTホテルのレストランで食事をしていると、横で、「コック長を呼んでこい」という声が聞こえ、しばらくするとコック長が現れた。(この当時はシェフとは呼ばなかった)

50歳ぐらいの客が、いきなり、
「これは何んや? これがそうか、」
そう言いながら、食べかけたステーキを裏返す。コック長の声は聞こえないが、客は強い語気ながら淡々と、
「天下のTホテルが、こんなもん出して、恥ずかしゅう無いんか?」
「出すのも勝手なら、食べる食べんも、ワシの勝手や」
そう言って、支払いを済ませて帰ってしまった。

当時は、「♪包丁一本サラシに巻いて旅に出るのも板場の修行」という歌が大ヒットした頃だ。
今のように、素人にノウハウ解説をするようなグルメ本ではなく、伝統的な職人という玄人の生き様が、歌や小説になった時代だ。

件のTホテルの客は、通なのかプロなのかは分からないが、単なるクレーマーではないだろう。
関西弁で話しているところを見ると、わざわざ東京に食べに来たと思われるから、やはり、プロだろうか。

いかに、客とは言え、コック長はぐうの音も出なかったようで、プロ同士だったからこそ成立した会話だろう。
素人が、玄人や通の様なつもりになって料理批評をする今とは違い、プロはプロとしての気概を持ち、素人はそれを崇め支えていた。

昔は武術にも、道場破りというものがあったが、そういうことが普通だった最後の時代かも知れない。

余談だが、江戸の空気が残ると言えば、確か、映画監督の岡本喜八が、子供の頃、仇討ちを見たそうで、返り討ちにあい、仇の老人は殺人で逮捕されたそうだ。昭和初期だから、明治維新から70年近い。
ちょうど、終戦から今と同じぐらいの時間だ。

「恥ずかしくないのか」という一言が、「土下座しろ」よりも遥かに、胸に刺さる時代だった。しかも、それ以上の誹謗や貶めをするでもなく、立ち去っている。日本人の魂が、微かに残っていた時代だ。

誠に申し訳ありませんでした
阪急阪神ホテルが、メニュー表示とは異なる料理を出していたと発表し、謝罪した。
食事した客には、希望すれば払戻をすると言ったところ、払戻を要求する電話が殺到し、電話が繋がらない状態になり、批難、抗議の電話も殺到した。

自分は関係ないのに掛けてくる輩は論外だが、自分は何も気づかないで食べておきながら、実は違っていたと言われれば、ここぞとばかりに権利主張をして騒ぎ立てる。
まがい物を承知で出すのは、もちろんケシカランのではあるが、自ら非を認めている者に食らいつく。

気づかず食べて納得した自分は、恥ずかしくはないのだろうか。
日本人は何時からこんなに、恥知らずで浅ましくなったのだろう。
日本の職人魂や武士道は、もはや言葉だけの世界になった。