魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

帝国の夢

2013年10月30日 | 占いばなし

日中が上手くやってくれないので、アメリカも困っている。
それぞれの立場や思いは、星座関係で考えれば、ある程度は理解できるし、今後の指針にもなるだろう。(誰も聞いてはくれないが)

国別の星座は
日本は天秤座、米国は双子座、ロシアは水瓶座、中国はカニ座。
日米露は風の星座で、その気になれば上手く行く関係だが、水の星座の中国は、かなり次元の違う国だ。水の仲間はサソリ座の朝鮮半島や東南アジア、ギリシャ地中海地域、イタリアなどもそうだ。

風の星座は理性を表し、水の星座は感情を表す。
感情と理性はかみ合わない。通じる言葉が違う。しかし、だからと言って、上手く行かないわけではない。

感情人間と理性人間が平和的に暮らすには、理性人間が折れる必要がある。さもなければ、感情人間を騙すしかない。

感情の世界
感情人間の、どんな素晴らしい言葉も、動機には感情が働いている。
だから、論理の整合性を幾ら論じても解決しない。先ずは、動機を理解し、その「気が済む」方法が何かを考えなければならない。

理性人間は、論理が合うことばかりを考え、気持ちを理解しない。
子供が買ってくれとダダをこねている時、根負けして買ってやろうとすると、「もう要らない!」と言うことがある。
これは、「欲しい」という感情から、買ってくれないことへの「怒り」の感情に転化しているからだ。

合理性で考えれば、欲しいものが手に入るのだから、何が問題なのかと思うが、感情に論理は無い。
感情は論理のように多元的ではない。感情は感覚に近い。
痛いのが気持ち良くなることはあっても、痛いと気持ち良いは、並べて比較できるようなものではない。

欲望が怒りに変わると、欲望は薄まる。常に一元的な感情に対処するには、別の感情に転化させることだ。

怒りは、自分の世界が傷つけられたことで起こる。加害者を抹殺しなければ自分の世界の安全が保証されない思いから、怒りは、排他的、敵対的な感情を含み、攻撃的になる。これが「仕返し」の原理だ。

だから、買ってくれなかった人間を抹殺しなければならないと思う。
今さら、「買ってやる」と言っても、一度、買ってやらないと、自分の世界を傷つけた人間は消さなければならない。その感情に囚われると、相手の意思も否定するために、「もう要らない」と言う。
欲しいのに、買ってくれる人なのに、その人間を否定する。

こうした、感情人間に、説いて聞かせることは不可能だ。今の感情を別の感情に転化させるしかない。これには一時的な喜びを与えることを続けるか、喜ばせながら洗脳(教育)するしかない。

理性の世界
風の星座の国は、論理による統治(法治)をしようとするが、水の星座の国は感情による統治(人治)だ。

ロシアのように強引で図々しい国が、理性の風の国とは思えないが、水の星座の国のように感情論では動かない。意外に論理的な計算で動いている。日ソ中立条約破棄も、一応、筋を通したわけで、解釈論で揉めること自体、理の世界にいる。

ちなみに、独仏英は火の星座で、事を起こすことや、創業、リーダーシップのために行動する。情でも理でもなく、熱気や意思だ。
この人達と付き合うには、意気に感じること、正義を貫く個の姿勢だ。

男性星座の風と火は未来志向が可能だが、水の星座は実感に頼る刹那思考だから、存在しない未来より、前例に従う過去思考になる。
刹那思考は、火の星座も同じだが、快感を求める水の星座に対し、高揚感を求める火の星座は未来に向かう。

風の星座と地の星座は、過去も未来も同じだ。あえて言えば現在思考だ。快感や高揚感のような、感覚から発想しない。ただ、あるがまま、風は理に従い、地は物に従う。

理性には強い意志がない。一方、感情は不測の行動を誘発する。理性は感情による発言を前にすると、それを理解しようとするが、感情は自分と同次元で同調するものしか受け入れない。世界は思いで生まれるものだと信じている。

中韓の過去思考は水の星座
自分達の思い込みの世界を破壊した欧米に仕返しをしたい。その前に、自分達より下等な野蛮人と信じていた日本人が、東洋の秩序を破ったことは許せない。

昔、ある田舎で、村八分に遭い、都会に出て成功した人のことを、村の人間は、「都落ちした」と、バカにしていた。これは実話だが、東洋の秩序観そのものであり、それが日本の原点でもあるということだ。

多様性を知らず、一元的な発想しか出来ない感情論は、他者を上か下と捉え、極めて差別的な発想をする。そしてその差別を乗り越えるのが、高いところから低いところへ施す慈愛と考えるが、これは対等な愛ではない。

しかし、仏教、ことに大乗の華厳経では、全ての世界に仏が存在する。原始仏教でも釈迦は、自分は教祖ではないと言った。つまり、仏教は中華的な儒教秩序とは違う世界の、多元的で相対的な思想であり、上下秩序の中国を経て日本に来たことで相当、変なものになっていると考えるべきだろう。朝鮮などでは護国仏教、戦いの宗教と捉えられた。

感情を原点とする一元的な中華世界の秩序観だからこそ、
中韓は面子やら、待遇の格式にこだわり、上から会ってやるとか、下が会ってもらったとかを、政治外交の重大事と考える。

こういう価値観は、理性思考が苦手とするところだ。多様性の論理に従い、上下をつけない立場では、とりあえず「尊重」してみせるしかない。
欧米は、日本こそがその象徴のような国だと思いこんでいる。
オバマ大統領の天皇への最敬礼は、とりあえず「尊重」しなければと思ったからだろうが、よく解らないから、度の過ぎる最敬礼になった。

ところが、中国の江沢民も習近平も、日本の天皇に対しては極めて横柄な態度だった。中華皇帝を意識して、日本なんぞに頭を下げられるかの意識があるのだろう。
ここでも、過去に囚われて、自分の方が上だの意識が出るのだろう。北京オリンピックでも、さんざん「古代」中華帝国を自慢していた。

しかし、残念ながら、今は21世紀だ。中国が思うほど欧米は偉くなく、日本は倭の五王や卑弥呼の国でもない。
未来は理性によってもたらされる。帝国の夢を見る限り、日本や欧米に倍返しをしてやろうと思う限り、足下から崩れさるだろう。