「人生最悪の時」
誰でも、一度や二度はそう思ったことがあるだろう。
しかし、時間が経って振り返ってみると、それは必ず、教訓であったり、それを克服した自信になっていたりする。
逆に、何もかも絶好調の時こそ、最大の警戒が必要だ。少しぐらいは良い事が続くこともあるが、自然の摂理として、それ以上、一気に良くなることはない。好事魔多しだ。
しかし、かと言って、良いことが起こった時、警戒のあまり、苦虫をかみつぶしたような顔をして、警戒ばかりしていると、せっかくの好調の波を、取り逃してしまうこともある。
好調はすなおに喜びながら、7~8割取りのつもりになるのがいい。
バブル崩壊で、大きく損をした人もいれば、多少は損をしても、バブル前よりは多くの資産を残した人も少なくない。
もっと儲けようとか、一切、失うまいとして足掻いた人が、結局、すべてを失った。
どんなことにも、「遊び」がある。手で水を飲む時、水に浸した手の指先まで水を飲めると思う人はいないだろう。
幸運は8割も残れば大成功だ。
こういう感覚からか、新調の衣料をチョツト汚すようなジェスチャーや、酒を少し土に零したりする風習がある。鬼門の角を初めからわざと欠いておいたりするのも動機は同じだ。
「完璧な成功を望んではいけない」という、昔の人の智恵だろう。
好調や成功に完璧が無いように、最悪の時には既に、復活の動きが始まっている。
降り止まぬ雨は無い。朝の来ない夜は無い。日はまた昇る・・・
それでも光が差してこないとすれば、自分が夢から覚めるしかない。
自分のやり方が間違っているのではないかと、考え直すことだ。
そこまで追い詰められてこそ、教訓や自信を得ることができる。