魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

舌鼓の音

2013年10月27日 | 日記・エッセイ・コラム

昔、何かのコラムで「持って回った」言い方は、何も考えないで書いている証拠だ、のようなことが書いてあった。
主に警察提供の情報についての批判で、
「犯人は丼をぺろりと平らげた」(まだ、容疑者とは呼んでいなかった時代)などの表現を挙げていたのが印象に残っている。

近頃どうも、「舌鼓をうつ」という表現が気になって仕方がない。
これを書いた人は、絶対に、現場を見ていない。持って回った言い方を貼り付けているだけだ。

「舌鼓をうつ」のは、単なる誇張表現ではない。昔の日本人は、本当に舌鼓を打っていた。
今どきの日本のマナーは、完全に欧米化されて、音を立てながら食べる人などいなくなったが、昔はクチャクチャと音を立てながら食べていた。その名残が、ズルズル音をさせながら麺類を食べる習慣だ。

今でも八重歯が可愛いと思われるように、昔の日本人は歯並びが悪く、出っ歯が普通で、物を食べる時に音が出たから、音を立てて食べることが、むしろ、美味しい証拠と考えられるようになったのだろう。

しかもそれは、そんなに昔のことではなく、やはり、昭和30年代まで普通に見られた光景だ。

友人の夫婦が若い頃。旦那が、わざと大口を開けて、クチャクチャと大きな音を立てながら、
「これはうまいって言うのよ、もう」と、上さんがぼやいていたことがあった。

もともと、かなり芝居がかった友人ではあったが、結構、育ちは良かったので、世間でそういう光景を見て、「ワイルドだなあ」と感動したのではあるまいか。

以前、「探偵ナイトスクープ」だったと思うが、マグロ好きの猫に、マグロをやると、「美味い美味い」と言う、との飼い主情報で、
マグロを食べる猫に、飼い主が「××ちゃん、美味い?」と聞くと、
「fumai、fumai、fumai・・・」と呻きながら食べるので、笑った。

欧米と東洋では、食べる物も食べ方も違う。それを欧米式の食べ方で食べるようになったことで、現代日本人は文明化したと思っているが、果たしてそうだろうか。

米飯中心の東洋で、日本のように納豆や、魚を好んで食べる食習慣では、遠慮無く、クチャクチャ言わせて食べる方が、本当は自然で美味しいのではあるまいか。

昔の日本人は、美味い物を夢中になって食べる時には、大きな音で、本当に「舌鼓」を打っていた。
だが、今の日本人に、「舌鼓を打て」と言っても、どういうことなのか解らないし、手本を見たとしてもマネできないだろう。たとえ、無理してマネしても、意識しすぎて美味しくないはずだ。

「舌鼓を打つ」は過去の描写の名残であって、現在は実在しない。
にもかかわらず、平気でそういう表現を使うライターやレポーターには、一度、実際に食べながら、舌鼓を聞かせてもらいたいものだ。


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