クローズアップ現代で、「土下座」の氾濫について特集していた。
土下座は屈服を表すもので、本来、謝罪ではない。
謝罪は自発的なものであるはずなのに、土下座を強要する風潮が出てきたのは、閉塞感から他者を攻撃、屈服させたい願望があるから。
本来、自発的な切腹も、終いには強要になったように、他者を屈服させ排除したい願望があるからだろう・・・そういう内容だった。
土下座のナンセンスについては、五年前に書いているが、ようやく近頃、問題視されるようになったようだ。
→「土下座」
土下座を強要する風潮は、相手に真の自省を求めるものではなく、仇を討ちたい願望だ。
自分の不満や怒りにまかせて、相手を屈服させ、プライドを傷つけたいと思う加害願望だ。
日本が法治国家であるならば、土下座を強要をした人には、人権侵害として制裁を加えるべきでは無かろうか。
そうでないのなら、家族を殺された人には、敵討ち殺人が認められても良いことになる。
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