魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

虚々実々

2010年06月15日 | 星の流れに

No.931

やはり、岡田ジャパン恐るべし。
超越思考」「発祥の地

それにしても、カメルーンの人達はいい人達だ。試合が終わった後、日本のサポーターと歌って踊っていたのは、カメルーンのサポーターだったように見受けた。ヨーロッパの植民地だっただけに、スポーツの心が解っているのだろう。

「はやぶさ」が「不死鳥」になって帰ってきた。
まるで、映画スタートレック1の「ヴォイジャー」が「ビジャー」になって帰ってきたような話だ。
「はやぶさ」宇宙の旅は、ぴったり、天王星→魚座の期間だった。
鳥の名前がついた、日本のロケットや衛星は、他にあったかどうか知らないが、動物の名前と言うことも、魚座現象なのだろう。
ところで、カメルーンとは「小エビ」のことだそうだが、これも魚座の名前だ。日本語で聞けば「亀」を想像する。チーム内がもめているそうだ。

魚座が終わることで、これまで好調だった「魚座」に、問題が起こっている。
魚座の二重性、主客の混乱、境界線の問題が、あちこちで吹き出している。
韓国と朝鮮の問題、ギリシャ危機、ベルギーの多言語連邦制の危機、キルギスの他民族内乱・・・
いずれも絶好調に見えていた地域に、二重性ゆえの危機や混乱が起こっている。

魚座の人も、要注意の時期だ。特に、二またを掛けていた人や、絶好調だった人は要注意だが、絶好調を普通のことだと思っていると、落とし穴が待っている。
今までのことは、ついていたと思って、無理に巻き返しをしようとしないことが、災いを避ける心得となる。しばらく休めば、また日は昇る。

例えば、ギリシャの人は、これまでの恵まれた生活は、他人のお金を借りて贅沢をしていたと自覚する必要があるが、当たり前だと思っているから、不満と暴動になり、ますます、国を混乱させ、自分たち自身の首を絞めることになる。
人間は良い状態は、当たり前で、少しでも問題が起これば、他人のせいとか運が悪いとか思いやすい。

占いの価値は、自分の置かれた状態を測り、対処することができることだが、そんなわけがないと思ったら、何の効果もない。


じじい化

2010年06月14日 | 日記・エッセイ・コラム

No.930

子供の運動能力がまた低下しているらしい。
体力は歯止めが掛かったが、運動能力が発達していないのだそうだ。
身体を使ってボールを投げられない。手だけで投げるから、真っ直ぐ遠くに飛ばない。
何か少しでも動くと、すぐ疲れる。

ゲーム漬けは良くないと言っても、子供を取り巻く環境も悪くなっている。車社会の道では遊べないし、うるさいと抗議する人が増えて、遊園地で大声を出せない。
草野球をできる集団も無くなったし、サッカーの方が人気がある。
その上、温暖化で雪も降らなくなったから、雪合戦もできない。

そんな時代の子供が、ボールが投げられないのはよく解る。
しかし、すぐ疲れるのは、運動が足りないからではないだろう。
これは、子供の「じじい化」現象だ。

近頃の子供は、子供集団ではなく、大人の中で育つ。
学校や塾以外は、基本的に車で家族と行動するか、ゲームで家に閉じこもっている。子供集団の遊び運動量が少なく、大人と同じ生活パターンで育つ。

大人は無自覚だが、子供と比べれば、「ああ、疲れた」とか、「お疲れ様」と、しょっちゅう口にしている。
「♪疲れを知らない子供のように」とはいかない。

大人の中で、育つ子供は自然に見習って、「大人子供」になる。
それが、「じじい化」現象だ。
最近の子供は、恵まれた環境で「一人っ子化」しているが、一人っ子も、同じ理由で不活発な「大人子供」が多い。

「すぐ疲れる子供」は、体力より、精神的な問題だろう。
親の方が、多少の怪我など気にしないような意識を持ち、子供集団をつくれるような環境作りが必要だ。

「家族、家族」と聞こえは良いが、世代別の集団が形成されない社会が原因で、
親が、子供と密着しすぎるから虐待も生まれるし、終いには、親子とも年とっても、互いのことばかり気にして、いがみ合ったり悩んだりしている。
大人が子供化し、一方で子供の年寄り化(大人子供)がうまれている。


挨拶運動

2010年06月13日 | 日記・エッセイ・コラム

No.929

夕方、人通りのない土手の下を歩いていたら、向こうから、高校の野球部らしい二人が歩いてきた。

30メートルぐらい前で、突然、立ち止まり、こちらを見て並んで立っている。
『なんだろう?』と思いながら歩いて行くと、

「こんにちは!」と、威勢よく声を揃えて最敬礼をする。

『???』
「こんにちは」と返したものの、誰かと勘違いしているのだろうか?
それとも、学校か、クラブの「挨拶運動」だろうか?
それなら、「誰かと間違えてませんか?」と尋ねるのも野暮だし・・・
どうにも、中途半端な気分で、その場を後にした。

社交性がないので、誰彼かまわず「こんにちは」と声を掛けられない。
もちろん、挨拶されれば、必ず返すが、知らない人には声を掛けられない。
観光地などで、知らない者同士がする挨拶などは参加する。
しかし、中には「挨拶をしろ」と言わんばかりの大声で「こんにちはッ」と言う人がいて、挨拶は返すが、不愉快だ。挨拶をするルールがあるわけではない。互いの気持ちの問題のはずだ。

近頃は、地域の防犯のため、声掛けや挨拶が盛んに行われている。
初めての町を歩いていると、若い人によく挨拶される。
向こうから声を掛けられると、こちらも気持ちよく挨拶できるが、
もし、逆に、見かけない人が愛想良く「こんにちは」と挨拶すれば、地元の人は、『何だろう?』と思うだろう。
実際、そんな人がいたら、逆に何か危険な「魂胆」を感じるはずだ。
だから、挨拶運動は、やっぱり、地元の人から声を掛ける方が順当だと思う。

しかし、それにしても、野球部員は、最敬礼だったから、挨拶運動だとすれば、度が過ぎる。何だったんだろう。

田園地帯で、
集団登校をする小学生が、押しボタン信号で10人ぐらい並んで渡った。
渡り終えると、信号の下で、旗を持っていた上級生が、待っていた車に向かって、丁寧にお辞儀をして行った。

おそらくこれは、学校や大人が、そうしなさいと教えたのではないだろう。渡り方は教えても、待っている車にまで挨拶しろと教えたら、かえって、肝心なことがおろそかになる。

お辞儀をした子は、先輩がそうしていたのを見て、自分がリーダーになったら、そうするものだと思ってやっているのだろう。
そして、その先輩は、おそらく、大人がそうしているのを見て、憶えたに違いない。運転手に対する気配りまで、子供には出来ないからだ。

礼儀作法は、形ではなく、他人に対する気配り思いやりだから、利己的な子供には出来ない。だから、ただ挨拶をしなさい、と言うより、感謝の理由を説明してやらなければ身に付かない。

日本人は「わけもなく」アリガトウ、スミマセンと言う、と思われているが、確かに、子供の頃から、「ありがとうは?」「ごめんなさいは?」と、訳もなく形を強制される。

しかし、だまって大人に見習う子供は、進んでそうしたいと思うし、また、「何でそうするんだろう」と考えるから、少なからず、その意味を理解していく。
だから、子供に礼儀作法を躾けたいなら、大人自ら、それを実践していれば、いつの間にか見習っている。もちろん、悪習もだが。


蝎座の女

2010年06月12日 | 占いばなし

No.928

酷い話もあったもんだ。
韓国の2回目の衛星打ち上げロケットが空中爆発した。二段式の一段目のロケットをロシアに委託し、二段目は昨年失敗した。
二回までの契約で、一回失敗しても、もう一度打ち上げることができる。

ところが、2回目の6月9日。発射台の消火液が噴き出して、ロケットに掛かってしまった。重要部分が点検修理されるはずもない翌日。
液体燃料充填済みのロケットを強引に打ち上げて、2分後に空中爆発した。
一段目のロケットが爆発したのだ。

契約により、一段目のロケットが失敗した場合は、ロシア側は、もう一台、3台目を打ち上げなければならない。
液体燃料充填済みのロケットから燃料を抜き取るのは、相当難しいのだそうだ。

もし、まさか、ほとんど成功の可能性の無くなったロケットを、強引に打ち上げて、意図的に爆発させたなら、韓国はロシアに3台目を供給させることができる。
もちろんロシアは、翌日に打ち上げるような無謀を望むわけがない。
さらに、爆発すれば一方的にロシアの損失になる。

誰が爆発させたか・・・となれば、北の陰謀とか、成功させたくないどこかの近所の国?とか、何とでも言い出せる・・・

しかし、普通の感覚なら、そんなバカなことはしないはずだから、まさか・・・まさか、そんなことは、なんぼなんでも、ないだろう。

同民族
北朝鮮と韓国は、互いに同民族と認め合っている。
今まさに起こっている、哨戒艦沈没事件?事故?・・・でも、南北で互いに相手の責任として罵りあっている。
朝鮮戦争を始め、今までの幾多の事件は何一つ決着が付いていない。
互いに相手の仕業だと言っている。

それだけではない。南北ともに、他国と関わって起こった事柄の、「負の部分」については、全面的に他国が悪く、何一つ自国が悪かったことがない。

このことは、中ロ米日は経験的に、痛い目にあって、良く解っているだろう。今回の哨戒艦沈没事件も、できれば誰も関わりたくないはずだ。中でも最も歴史経験の深いのが中国だ。

ところが、解っているはずなのに、みな関わらされている。
それは、それぞれが、うかつに、「毒を薬にして」利用しようと色気を出すからだ。(鳩山首相の全面支持発言も)

改めて、朝鮮半島はサソリ座だ。
サソリ座は、セックス=「譲り受けるもの」。他者の全てを自分のものにして、再生させる。
ヒラリーもサソリ座だが、今やクリントン大統領を生んだのはヒラリーかのような印象さえある。
サソリ座の手塚治虫の天才は、実は、小さな情報から巨大な再生作品を産んだことにある。もちろん、漫画というサソリ座ジャンルとの好相性もある。

ビジネスにおいても、スポーツにおいても、言うまでもない。
今回のロシアのロケット。ロシアは良いビジネスチャンスだと思ったのだろうが、結果は、この通りだ。
韓国の欲しいものはロケットではない。ロケットの中身のエキスだ。
それがセックスの本質であると、男も気づくべきだろう。


体調異変

2010年06月11日 | 日記・エッセイ・コラム

No.927

9日、運転中に後頭部が痛くなり、『(歳が歳だから)脳出血かも』と思って、とりあえず車を路肩に寄せた。ものすごく、だるしんどいので、10分ぐらい休んだら、何とか運転できそうなので、運転して帰った。

帰って、テレビをつけると、地震のテロップが出て、奈良でM3.1の震度2。大した地震ではないが、かなり近いし、和歌山の慢性的な地震とは、ひと味違う気がした。

地震の前に起こる頭痛は、大体2~30分前に収まる。
昔から、いわゆる頭痛持ちで、しょっちゅう頭痛に悩まされてきたが、地震と関係あるとも思わなかったし、若かったせいか、そんなことを気にしている暇がなかった。

最近気になるのは、阪神大震災の体験からだが、歳をとって体調を気にするようになったこともあるだろうし、何より、地震の報道が発達したせいかもしれない。
9日にしても、タイミング良く報道を見なければ、気にしていなかっただろう。

気のせいか、偶然の一致か、どちらでも良いのだが、こういう異変が起こる人の情報を、何でもかんでも集めていれば、
たいていの情報は、「我こそは超能力者」と思いたい人のガサネタばかりだろうが、中には、ヒットする人がいるかも知れない。

このブログは、一応、1000回で一区切りとするつもりなので、
その後は、体調異変センターを開設しようかなと、思ったりしている。


元祖本家

2010年06月10日 | 兄弟関係

No.926

こんな人は周りにいませんか。いなければ、運が良い。


「やあ、どうしてる?」と上機嫌でやって来たかと思うと、突然、自分の業績を自慢し始める。
全く興味のないことなので、中途半端な返事をしていると、どんどんエスカレートして、しまいには、そのやり方まで手ほどきをする。
「いいよ、いいよ」と、断っていると、
「やっぱり、君には無理か」とバカにして、威勢良く帰ってしまう。
しばらくして、その件で用事ができたので、
『そうそう、あいつに頼もう』と、声を掛けると、もったいぶる割に、ほとんど役に立たない。その上、「他人に甘えちゃいけないよ」と逆に説教をされた。


人が何か作っていると、突然やって来て、じろじろ見ていたかと思うと、
「何をやっているのかと思ったら、そんなものなら、俺の方が立派だぞ」とバカにし始める。
何のことか解らないから、「どれですか?」と聞こうものなら、
「悔しくてもやらないぞ」と頼みもしないのに見せびらかす。
よく見ると、こっちが以前失敗して捨てた物を拾って塗り替えたものだ。
「あ、それ、私が前に・・・」などと、うっかり言ったりすると、
「なんだ、人の物にケチをつける気か」と逆上して、挙げ句の果ては、
「マネをしたくせに、人を泥棒呼ばわりするーっ」と、大声を上げて騒ぎ出す。
「いや、そんなつもりでは・・・」と、困っていると、
「侮辱して悪うございましたと謝れ!」と言う。


泣きそうな顔をして「困った、困った」と言うから、道具やお金を貸して、知人や友人を紹介し、しばらくすると、うまくいったらしく、ずいぶん羽振りが良いらしいが、何の連絡もない。
久しぶりにあったら、妙に空々しい。
話を始めると、大声で自慢話を連発する。
『何だ、そんなにうまくいったんだったら、金返せよ』と思うが、「誰の世話にもなってない」と自信満々で、言い出すスキがない。
その後、第三者に聞くと、何と、こちらが相当ひどいヤツだとふれ回っているらしい。
困っていた時に、金や人を紹介して、親切のつもりで助言したことを恨んで、イジメられたと言って回っているのだそうだ。


趣味でやっていたことが、たまたま話題になり、世間に紹介された。
すると、それまで親しかったわけでもないのに、毎日やって来て、
「いやー、すごいなあ。素晴らしい!」などと言いながら、いつの間にか、見学にやってくる人に、案内や解説までしてくれる。
そのうち、手際よく手伝いまでしてくれるので、最初は断っていたのだが、「遠慮しなくても、ここで触れるだけでも幸せですぅ」などと積極的なので、いつの間にか慣らされて、アテにするようになってしまう。
ところがある日、どこかに店を開いて「本家」とか看板を上げて、同じ事をやり始めた。『まあ、良いか』と思っていると、自分のところが「本家」だと宣伝するために、こちらのことを「マネした」とか「偽物」とか言い出した。
もともと趣味でやっていたことだから、どうでもいいやと思っていると、商品名使用の差し止め請求で訴えてきた・・・・

・・・・・
こういうタイプの人は、一般に、「恩を仇で返す人」と言われるが、
悪意ではない。こうでしか生きられないのだ。
他人の後追いしかできない自分を、すべて自力で成し遂げた立派な人間と思いたいから、先達や本物が邪魔になる。
もちろん、自分が後追いをしていることすら自覚がない。

もし読みながら、『あ、自分もそうかも知れない』と思う人は、自覚できる人だから、少なくともこの人ではない。
しかし、『そうだ、あいつのことだ!』と思って、喧嘩までしたことがあるなら、この同類ということに・・・


導く人

2010年06月09日 | 日記・エッセイ・コラム

No.925

菅総理は昭和21年生まれ。団塊世代は22年から。一見同じように見える戦後生まれで、たった一年違いだが、大きな違いがある。

団塊世代は、古い世代を尊重しない。
新しいことに飛びつき、勝手気ままに自己主張する。上に対しても自己主張するが、下に対しても言いたいことを言う。
しかし、秩序意識がないから、下を従わせる気もない。団塊が好き勝手に言うと、下の世代は、従わせようの圧力だと思うが、団塊は「文句があるなら自分も言えばいいじゃないか」と思っている。
ところが、実際には職場の上下関係があったりしたので、反論できず、「団塊は自分のことを棚に上げて勝手なことを言う連中」となってしまった。

一方、団塊の上の世代。父親が戦争に行っていたので、これを「母子家庭世代」または「最後の秩序世代」と呼べばいいだろうか。
昭和10年代生まれだが、その最後尾が昭和21年だ。
団塊世代は、基本的に「長子世代」だが、昭和21年までは基本的に「弟妹世代」だ。
もちろん個々には、例外はあるが、世代気質としてはそうなる。

団塊とくらべ、昭和21年は目上を尊重し、目下の扱いも上手い。
反戦運動や学園紛争も、団塊がやったような印象が強いが、実は、リーダーは、この世代だ。
ロックの口火を切ったのもこの世代であり、団塊は、その「新しいもの」に飛びつき、自分たちのものとして、熱中したに過ぎない。

「最後の秩序世代」から生まれた異端を、団塊世代が承認したとも言える。60年代の若者の反抗が、始めは比較的まとまっていたにもかかわらず、三派四分五裂して行ったのは、団塊の長子世代が、各々、自論を展開したからだ。ロックもまたしかり。

新提案に、躊躇なく飛びつき、各々、自己流に開花させる団塊は、企業にとって、何でも買ってくれる都合の良い消費者でもあった。

長子タイプの団塊は、認め合うことに価値を感じるから、主張はするが、人を指導することを好まない。リーダーシップがない。
これに対し、「最後の秩序世代」は上に従い、下を指導し、率いるものだと思っている。

そういう意味で、菅総理はリーダーの世代の人であり、同時に、団塊以後の世代にも理解を持てる、希少な生まれ年となる。
九星も九紫で、人を教え導く星だ。
クリントン、ブッシュも同い年で、ヒラリーは22年。

自動車人間では、菅総理はエンジンs
体裁の良い言葉より、「実行あるのみ」と考える人だから、形式や言い方にこだわって、モタモタするのが嫌いだ。一方で、先のことを聞かれると、「やってみなければ解らない」的な、答えをする。

エンジンと言えば、森総理も麻生総理もエンジンで、言葉尻がマスコミの標的になり、バカ総理のように仕立てられてしまったが、ボディーの鳩山総理と違い、やることはやっていた。

菅総理にも言葉の不安がつきまとうが、自分の失敗で苦労してきているから、そう簡単にはへたらないだろうが、何しろ土星の時だ。
一方、古い頭の人は、選挙管理内閣だと思っているが、デジャブ思考では、大きく時代に取り残されることになるだろう。大転換の時だ。


悲喜交々

2010年06月08日 | 日記・エッセイ・コラム

No.924

日航の立て直しを引き受けた稲盛会長が、日航幹部には損益ベースの考えがなく、八百屋の経営も難しいと言ったそうだ。
若い人には、解らない言い回しではなかろうか。

昔、職業的な階級意識の強かった頃、八百屋や魚屋のような商売は、どんぶり勘定で、誰でもできる商売とバカにされていた。
稲盛会長は、どんぶり勘定のことを言いたかったのだと思うが、やはり古い時代の概念が思わず出たのだと思う。

その八百屋も、スーパーに駆逐され、今では、酒屋も米屋も八百屋も全部、コンビニになってしまった。
個人商店が成り立たなくなり、全て、大手企業の一員でしか生きられなくなった。農業もあっという間にそうなるだろう。

個人商店のない町では、コンビニが、村の雑貨屋のように何でも取りそろえ、近隣の人々もまた、そこを村の井戸端のように接している。

コンビニに行った
アイスクリームを買おうとしたら、荷物を送る人が先にレジに行ったので、慌てて、BOXに返した。店員が一人しかいなかった。
すると、もう一人、20歳ぐらいの男性客が、イライラしながら後ろに付いた。慎重180ぐらいで太り気味、そうとう着古した水色のジャージ上下に、クロックスのサンダルを履いている。

発送客が宛先を書いているうちに、店員がもう一つのレジを開けて、「お待ちの方、こちらへどうぞ」と言うと、
水色の男性が飛びつくように行き、パンとジュースを渡し、ジャラジャラッと小銭をカウンターに投げ出した。
店員が数えようとすると、
「310えん!」「310えん!」と、叫ぶ。
すでに、自分で計算済みらしい。

店員が「300円です」と言っても
「310えん!」「310えん!」

店員は聞かないふりをしながら、百円玉2つと十円玉を1つづつ数え始め、中から、十円玉2つと一円玉1つを客側に寄せる。
どうも、計算を間違えた上に、一円玉まで入れているようだ。
だが、本人には信念がある
「310えん!」「310えん!」

終いに、店員が21円とレシートを客に渡すと、
「310・・・え」と受け取り、パンとジュースの袋を渡されると、一瞬、黙っていたが、帰って行った。

 
高級住宅街の、別のコンビニで
ソフトをかぶった、70代で白髪に髭の紳士が、ステッキを持って、店主らしき60代の女性に、
「タクシーを呼んで下さい」と言うと、
「センセ、また帰ってきはったんですか、さっき、タクシー呼んで上げましたやないですか」と連れて、表に行こうとするが、
「タクシーを呼んで下さい」と繰り返す。酔っている様子はない。

しかるべき人生を送りながら、大家で独り身になった人だろうか・・・などと、勝手に人生の悲哀を思った。

世の中が変われば、人生は違う形で行き来する。


政治適性

2010年06月07日 | 自動車人間学

No.923

これまで、何度か、「政治家には向いていませんか」と、相談されたことがある。

能力、資質の適性はもちろん判定するが、政治家になりたいという考え方には、個人的に、たいてい反対している。
「政治家になりたい」と思うこと自体が、本末転倒であり、実際、政治家のほとんど全てが、そういう動機でなっており、その結果が現在の政治状況だ。

情熱の結果が政治家となるのであって、政治家という職業に就くようなものではないと思う。
政治は権力であり、権力の側にない人間が権力を得ようと思えば、闘争になる。例えどういう形であれ、権力の側が無条件で権力を譲ることはないからだ。

権力の側から招待されて、権力の座に就くのは傀儡であり、本当の権力ではない。
与党であれ、野党であれ、既成政党の候補になる段階で、もう政治家という職業に就職している。

仮に、議会制民主主義のもとで単独立候補するなら、当然、無所属ということになるが、それよりも、立候補以前に、志をともにする同志集団ができていなければ、権力は握れないし、意味もない。
政治は、集団を動かす総意(民意)を引き出すものだからだ。

立候補とは、自分の意見で不特定の人々を同志にすることだ。
しかし、実際は、選挙演説で直接、民心を得ることは、地盤、看板など、様々な背景からほぼ不可能だ。

したがって、先ず、草の根から同志を募り、その同志が賛同者を集め、その過程で、集団の意志内容を強固にしながら、立候補、当選を確実にしていく。そういう、意志と勢力を拡大していくことが、権力闘争としての政治であり、それをやる人が結果として、本当の政治家となるのではなかろうか。

今回の菅総理は、そういう本当の権力闘争で、のし上がった、現在、唯一の政治家だと思う。
政治家になろうとしたのではない。政治をやろうとしてきた。
誰かに招待されたり、譲り受けたりして政治家になったのではない。

しかも、一つの主義や仲間に固執せず、政治のため、時に応じて態度を変え、組む相手を替える、極めて現実的な行動を重ねてきた。
だからと言って、菅総理が成功するとは限らない。

重要なことは、このようにして政治を志すことが、政治の常識となることだ。権力がお上から与えられる儀式のような、世代交代論まで出てくる、現在の政治の常識が変わらない限り、日本に本当の民主主義は生まれない。
政治家は、向いているかいないかの問題ではなく、やむにやまれぬ情熱の問題だから、思い立ったが吉日だ。

ところで、
政治家の適性は星座により、様々な政治スタイルが可能だが、
自動車人間で考えると、政治集団の役割分担として考えられる。
※ここで、ワールドカップの熱気に便乗して、役割分担をサッカーに例えたが、
サッカー通に、お叱りを受けるかも知れないと反省して、省略します

どんな組織にも、参謀役のハンドルは必要だが、黒幕が表に立てば、ブッシュや金正日のように悪役になってしまう。


ヒャッと

2010年06月06日 | 日記・エッセイ・コラム

No.922

今日一日だけで、2回もヒャッとした。

経験上、最も早く食べられるのは牛丼だ。
店に飛び込んで、空いている時なら、5分以内で出てこられる。

時間的な関係で、食べておく必要があるなと思ったが、車を駐められるファーストフードが無い。バーガーの気分ではなかったので、牛丼屋の横道に車を駐めて、店に飛び込んだ。道は広いがもちろん駐禁だ。

「超軽」にしてもらって、カキ込み、キッチリ5分で車に行くと、
どこから湧いたのか、駐禁監視員が二人、カメラを取り出そうとしているところだった。
むこうも、残念そうに、「気をつけて下さいね」
セー、フーッ

そのあと、
くねくねの山道を登っていくと、バスが中央線を大きくオーバーして現れた。こちらも狭いので、止まれば、むしろ、にらみ合いになる。
脇がすり抜けられるかなと、進んでいくと、バスはますます寄ってくる。たまらずブレーキ。バスも無事行ってしまった。
ほぼ、ガードレールに接触しているが、後で見ると、神がかり的にセーフ。

この二つの「ヒヤッと」は、もちろん自分が悪い。
しかし、こういうケースでは、相手に怒っている人しか、お目に掛かったことがない。
自分は悪くないと思うから、怒って、人にも同意を求めようとするのだろう。
自分も悪かったと思う人は、人には言えない。


菅公関帝

2010年06月05日 | 日記・エッセイ・コラム

No.921

菅総理大臣になった。
総理にふさわしい人ネットアンケートでは、11%で1位だった。2位が自民の石破8.5%、3位小泉元総理8.2%、前原8.1%と続き、誰がやっても同じが15.5%で、自分がやるが8.9%

誰がやっても同じがダントツ1位で、2位は、比較1位の菅直人。そうでなければ、「オレがやる」が3位・・・

誰がやっても同じと、オレがやるは同じ意味だから、併せれば25%で、個人1位の2倍以上になる。リーダー不在の日本だ。

この傾向は、日本だけではなく、世界中の政権交代や、過剰なオバマ人気の逆転など、リーダーが渇望されていることの表れでもある。
不透明な世界情勢によるものだが、これがまさに大転換の渦中というものだ。

こういう時は、言葉だけ威勢のいい「リーダー風」が出没するが、笛吹男に付いていってはいけない。しかし、多くは「見かけ」に付いていき、集団を滅亡に導く。集団というものは、一旦、転がり出すと止まらない雪だるまのようなものだ。

オバマが鳩山を嫌ったのは、一つには、自分と似た部分があるからだ。
その場限りの当たりの良い言葉を、無責任に連発する。善意と理想はあっても裏付けはない・・・
人間は自分に似たものを見ると嫌悪する。(アホ言うもんがアホ
だから、近親憎悪や隣国の敵対関係は、似た者同士なのだ。

菅総理はおそらく、現在の日本で、唯一の「たたき上げ」ではないかと思う。信長の草履取りから始めた秀吉のように、何の背景もなく、ミニ野党の市川房枝の選挙応援から始めた。自動車人間では、マメと現実のエンジン人間だ。
エンジンらしく、少なからぬ失敗も重ねながら、紆余曲折の政界を生き抜き、小沢とも手を組んだ。

同じ、若くして政界入りした小沢や石破が、与党二世でたたき上げた武田信玄や徳川家康だとすれば、まったく違うスタンスだ。
しかし、また、田中角栄でもない。角栄は斎藤道三のような、商売人のビジネスセンスだ。

本来なら、
長州勢で実力派の菅総理には毛利元就を期待したいところだが、世界情勢はあまりにも逆風だ。天秤座の菅総理には、まさに、「野心と責任」の土星が来ている。
天秤座のジョンレノンが暗殺されたのも、土星→天秤座の時だ。
乙女座に土星が来て、華々しく宮崎県知事になった東国原知事も、土星が抜けるこの時に、苦労をしている。

どんなに実力があっても、時の勢いには誰も勝てない。死後関帝と祭られた関羽すら、破れて首を打たれ、菅原道長も左遷された。

ところで、姓氏研究家の森岡浩氏によると、菅は菅原氏の末裔で、瀬戸内の海賊に多い。海賊と言えば、貿易ビジネスだから、知謀とビジネスの血筋で、日本を立て直して欲しいものだ。そう言えば、中国では、関帝も商売の神様とされている。


特殊性

2010年06月04日 | 日記・エッセイ・コラム

No.920

よく、外国人が「日本語は最後まで聞かなければ、意志がわからないから、ややこしい」と嘆く。
長々としゃべった後に「・・・とは思わない。」とか、「・・・かも知れない」とか付けば、話が一気に逆転する。

これは、日本語の用心深さ、日本社会で生きる上での窮屈さの結果だ。
封建的な閉塞社会が長く続いたので、そういう言い回しが生まれたのだろう。
閉塞社会の総本山とも言える、京都弁は、その言葉尻の危険回避だけではすまなくて、初めから、いかなる「言質」も取られない間接拒否で話される。それが、京都人の意地の悪さと受け止められる。

「できません」と言えない場合。普通なら、「考えておきます」だが、京都なら、「ああ、それやったら、OOさんなら上手にしはりますえ」などと、とりあえず他人に振る。
京都までとは行かないが、うかつなことの言えない、閉塞社会は、極限まで本音を言わない日本語を生んだ。

世界の言葉の多くが、結論から入るから、日本語を知った外国人は面食らう。
何なんだ、この言葉は。何なんだ、日本人は・・・と、大抵は、イラつき、バカにする。

しかし、日本文化の特殊性は、この「用心深さ」「注意深さ」から来ている。
主体性のなさ、リーダーシップの欠如、わかりにくさ・・・など、短所も多いが、工業製品の品質の高さや、芸術の繊細さは、日本語と一体となって生まれてきた。

最後まで聞く
日本語を聞こうと思えば、「耐えに耐えて、最後まで」聞かなければならない。そして、その言葉を理解しながら、それが最後にどういう結論に向かうのかも、脳裏で考えながら聞く。

閉塞社会と相関関係とも言えるのだが、一つには、仏教文化の「他人の話に耳を傾ける」教えも生きている。
拝聴する文化背景があるから、最後まで聞いてもらえることを前提に日本語が形作られてきた。

話し始めたとたんに、敵味方や善し悪しが分かるような、言語思考ではない。物事の多様性を、深く極めようとする日本語の思考は、インテリジェンスを高くする。

その背景から生まれた、日本の美術や工芸品の視覚的特異性を認められていた時代から、映画やアニメ、マンガや小説にまで広がってきた。
翻訳して理解されることは、部分的には曲解となるが、全体を通せば、やはり、哲学や情緒の理解になる。

世界に日本文化が広がることは、金儲けでも思想征服でもない。
閉塞化していく地球社会の、ニーズに応えているからだろう。

ところで、昔、ケンブリッジから日本に長期留学していた人は、日本でもてすぎた武勇伝を語った後、
「日本語は、極めて合理的で論理的な言葉だ」と、力説をしていた。


Trust Me

2010年06月03日 | 日記・エッセイ・コラム

No.919

鳩山総理退陣。話題のできたマスコミは喜んでいるが、たいていの人は驚いていないだろう。状況的に、予想通りだからだ。

しかし、これは状況から考えるべき事態ではないと思う。
「あれが、こうして、こうなった」のではなく、
「こうするつもりで、そうなった」と、言うことだろう。

鳩山総理の人格から考えると、おそらく、総理就任の時から、選択肢の一つとして、これ(辞任)を想定していただろう。
その上で、あわよくば、別の展開もあるかも知れないという「腹案」を持って、時間稼ぎをしてきた。それが、「運悪く」乗り換えの船が来なかったから、当初の「予定通りの札」を切った・・・
今となっては、やはり、そういうことではないかと思うが、だとすれば、不幸なのは国民だ。

「辺野古」を入れた日米共同文書発表の頃から、鳩山総理の表情が、俄然、明るくなったので、『やっぱりか』と思っていたら、小沢会談では親指まで立ててはしゃいでいた。

大局観のないマスコミは見当違いの反応をしていたが、要するに、やることが決まったから、ホットしたのだ。
それまでは、何とか、他の展開が「やって来ないか」気を揉んで待っていたが、もう来ないとなったら、気を揉む必要はない。

総理就任時、選挙中の発言はまずかったと自分も解っていたが、「間違いでした」といきなり言えば、嘘をついたことになる。
時間をかけて、努力した風な顔をすれば、中には納得してくれる人もいるかも知れないし、何よりも、「自分はいい人だ」の、プライドを守ることができる。

そこで、参院選までの時間稼ぎを予定して、ギリギリまで我慢して、何も手が無いから、切り札を切ったまでのこと。
本当なら、思いがけない選挙圧勝時点で、「嘘でした」と辞めたかったのではないかと思うが、立場上それはできない。「嘘でした」と言って、平気な顔で続けるほどの腹もない。それで、始めからこの結論を「腹案」にしていたということだろう。

確かに、始めから辞めるようなことはできないが、後々になって「勉強不足でした」の方がよほど酷いのだが、「嘘をついた」と白状するよりは良い、という「感覚」なのだろう。
現地に遅ればせで行き、「非難されることを承知でやって来ました」と言ったことも、「非を認めることができる」いい人と、自己弁護できると思っているのだろう。非を作った自分は忘れている。

謝れば許されるという「感覚」は、許してくれる「上位者」がいる場合に生まれる甘えであり、最上位者であるリーダーにはむかない。

ハトはカラスほど怖いやつではないが、意外に被害をまき散らす。
「小沢さんにも辞めてもらうように言った」と得意になっていたが、
案外、選挙だけしか考えていない、小沢カラスからの「花道」提案だったのかも知れない。
ヤブ睨みのミミズクにはそう見える。

ホー


ターザン

2010年06月02日 | 星の流れに

No.918

発祥の地」で、牡羊座の象徴人物「ターザン」が話題になるかも知れないと書いたやさき。今日、2007年カンボジアで見つかった、18年野生で暮らした女性版「ターザン」が行方不明になったニュースが出た。

父親が名乗り出て、社会復帰させようとしたが、言葉も喋らず、鬱状態になり、何度も逃走しようとしていた。結局、野性に帰ったのだろうと言われている。父親の名前がサルさんと聞けば、日本人には意味深だ。

発見されたのは魚座の時代だが、天王星が牡羊座に来て、野性の叫びが聞こえたのだろうか。
文明社会の生きにくさ、の話題としてニュースになっていた。

天王星が来て、有名人も一般人も、牡羊座の人が活気づいて、新しい行動を始めている。
引き留めない方が、ターザンは幸せだ。


繰り返し

2010年06月02日 | 日記・エッセイ・コラム

No.917

星の影響は世界同時多発で起こる。アジアの口蹄疫問題に対し、メキシコ湾、原油流出も、まさに魚座の末期症状だ。

一方、周期的にも因縁の事件が起こっている。
朝鮮戦争の還暦60年で、朝鮮半島は緊張。
1948年建国をしたイスラエルの行動も、近年、容認されなくなってきた。今回は、封鎖ガザ地区への物資輸送船に攻撃を加えた。

建国当時は、いわば強引なテロ建国にもかかわらず、ホロコーストの衝撃の後で、世界が同情的であったため、建国、国連加盟が可能になった。アメリカを牛耳るユダヤ勢力とともに、戦後はやりたい放題だったが、近年、アメリカの衰退とともに、風向きが悪くなってきた。

天王星84年周期の方で、考えると、
シオニズムの思想運動から、具体的に国家建設の動きが出てきたのが、ちょうど、昭和の初め天王星が今と同じ位置にいた頃だ。
大不況が始まり、世界中が利己的になり、軍人(牡羊座)が力を持ち始め、ナショナリズムが台頭した。

もっとたぐれば、やはり産業革命による帝国主義時代の現象として、シオニズムや、イスラエル建国の熱が生まれたのではないかと思う。
イスラエル問題も、結局、産業革命パラダイムの現象としての「国家」問題と考えなければ、解決の道はないだろう。

中東問題は、宗教戦争ではあるが、この300年に関して言えば、産業革命パラダイムの国家による権益闘争の一形態だ。
当然、日本の開国も朝鮮併合も、この大きな流れから考えなければ意味がない。

朝鮮併合100年で、韓国では、併合が法的に無効だったと主張しているが、歴史を引き戻しても何も生まれない。
そういう、感情論ばかり叫んでいる、まさにこの時、問題が起こっているのは、感情論では、歴史観が持てないということの証明ではなかろうか。

歴史に学ばない人間は、何度でも同じ事を繰り返す。
個人も、何度でも同じ事を繰り返す人は、反省を知らない人だ。
離再婚を繰り返す人は、何度やっても、結局、同じタイプと結婚するから面白い。