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占いという もう一つの眼

あざとい

2022年03月26日 | 日記・エッセイ・コラム

近年、「あざとい」という言葉が流行っているようで、多用されて意味が広がり、どうも本来の意味とはズレてきている。
古語の類だが、始まりは「えげつない」のように、おそらく感覚的な言葉で、明々白々な感覚の音「あ」と、「聡い」の合成語だったのではなかろうか。
漢字では「小聡明い」と書くらしいから、「小賢しい(こざかしい)」と似たような意味で、後で生まれた言葉か、後で当てられた漢字だろう。いずれにせよ、決して褒め言葉ではなかった。

ところが、近頃は「あざとカワイイ」などと使われ、見え見えの媚びも、完成度が高ければ、歌舞伎の型や見得のように、それも一つの魅力となり、必ずしも悪い意味ではない。
悪女やカマトトも、傾城などと同じく、いい意味に広がった。
だから、現行の「あざとい」には、ある種の感心・感動が含まれている。

刺さる!
各国議会で行われている、ゼレンスキー大統領の演説は、「あざとい」演説だ。
各国の痛点を取り上げ、そこを刺激して心情に訴えようとする。ネット上の情報を拾い、安直に取り繕いオンラインで発信する。これが視聴覚時代の認識とコミュニケーションの世界で、SNSの動画で直感的な理解をする世代には、刺さる「あざと感動」だ。
映像を駆使する方法で、イスラム国も世界から多くの若者を集めた。
マスコミもネットも、ゼレンスキー軍に総立ちでウェーブ応援をしている。実際、ロシアがこのまま勝てば、取り返しの付かないことになる。
しかし、世界の平和や秩序は、スポーツの試合やネット応援のような、単純なものではない。

ウクライナの人々も、ゼレンスキー大統領も、
「なんでNATOは援軍に来ないのだ!何千機もある戦闘機を出してくれないのだ!飛行制限をしないのだ!」と、悲痛な叫びを上げる。
世界の多くのネット市民も、同じように叫び、多くの志願兵も出ている。
もし、この情緒のまま世界が動けば、「核の抑止」が一瞬で崩れ、人類の歴史は一日で終わる。
ほんの少しでも、核の存在を意識したことがある人なら、「あってはならない現実」を知っているが、核の悲惨を見たことのない世代は、核はネット情報の一つに過ぎず、現実には存在しない、否定すれば消える神話だと思っている。確かに、起こった時にはもう知る必要がない!?

キジも鳴かずば撃たれまい。マッチに火を付けたのはプーチンだが、油をまいたのはウクライナだ。ロシアに勝たせてはならないが、「夫婦の離婚騒動」にうかつに手を出して世界の終焉を招くわけには行かない。
複雑な状況の中、懸命に支援している欧米に、「なんで助けてくれないんだ!」と泣き叫ぶ。それが、この戦争の原因であることを理解していれば、この惨劇は起こらなかった。
大戦争は、大国の狭間にある国から始まるのが、歴史の厳粛な真実だ。(一人っ国


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