魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

とっぽい

2014年04月02日 | 占いばなし

以前、信じてもらえない話を書いたが、実は、もっと信じてもらえないような体験談がある。普段なら絶対に信じてもらえない話なので、エイプリルフールに、嘘話として書いてみた。 (犬の人生

しかし、読み返してみると、嘘にしてはリアルで、かと言って、普段これを話したとしても、信じてもらえない。
「事実は小説よりも奇なり」と言うが、一方で、嘘話はその奇より奇でなければならないという事だろう。 取りあえず、没にした。

ホラ(嘘話)と小説の間に奇があり、バラエティーで言う「つくったやろ」の領域は、この奇の領域だ。
整理すると、
日常事実の次に、事実を模写した小説があり、奇は事実の限界、非常に確率の低い事実だ。そして、ホラは明らかに自然界に存在しない現象の、最も事実に近い限界だ。
   事実>小説>作り話=奇 / ホラ

よく、エイプリルフールでも、それはアカンやろと言われる嘘がある。権威ある報道機関などによる、パニックを招くような嘘だ。
どう考えてもあり得ないような大ボラでも、報道機関の権威が「異常であっても、真実に違いない」と信じさせる。信じるしかない。

日頃、報道機関を批判する人でも、「まさか」と思いながらも、取りあえず真実として聞く。その上で、エイプリルフールを思い出し、笑顔になる。しかし、それがリアリティのある嘘だと、例えエイプリルフールでも、信じるしかない。

人が犬に噛みつきましたは笑えるが、犬が人に噛みつきましたは、エイプリルフールでも、信じるしかない。
元々、当たり前の話を嘘として話されても、笑い事ではないからだ。

この話を書いているうちに、頭が混乱してきた。嘘と、笑いと、意表を突く「奇」のボーダーは、プロでも難しい。

五月の鯉の吹き流し
嘘と言えば、理研は案の定、小保方さんだけに責任をかぶせてきた。
先日も書いたように、この事件は、人の業績に「ちゃっかり便乗」しようとした、三碧が元凶だと思う。
若い小保方さんが頼りにする当の先達が、小保方さんの業績らしきものに便乗しようとすれば、これで良いんだとルーキーは安心する。

初めて当の三碧の写真を見たが、いかにも三碧独特の「とっぽい」顔をしている。悪意は無い、悪意は無いが・・・「とっぽい」
オバマも、プーチンも、やはり「とっぽい」顔だ。

この「とっぽい」と言う関東弁は、おそらく、「突拍子もない」からきているのだろうが、重みや責任感のリアリティーが無く、調子が良い。
良く言えば、可愛らしく爽やかだ。
三碧は雷であり、雷は凄まじいが実体は無い。江戸っ子のようなものだ。「江戸っ子は五月の鯉の吹き流し大口を叩けどはらわたは無し」

しかし、この大口を真に受けると、取り返しのつかない事になる。
小保方さんだけではない。クリミア問題もオバマ、プーチンに任せておけばそれなりに落としどころを見つけるが、その他の国が真に受けて動き出せば、世界史問題になりかねない。


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