魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

大関小関(3)

2011年12月06日 | 探訪・紀行

「トンネル上のローソン」の三叉路に、朽ちかけた道標が立っている。

<小関越・三井寺7km《京阪四宮駅1.3km》京阪追分駅1km>
(自然の道・歴史の道 大津市)

近年、大津市が立てたらしいが、木製で既に古ぼけ、味がある。

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いよいよ、山に向かう。最初の目標「寂光寺」まで来ると、向こうから、バックパックで、明らかに「道中」と見受けられる60代の男性が二人、黙々と歩いてくる。観光地ですれ違う人とは違い、前を見据え、何か声を掛ける雰囲気ではない。どちらかと言えば、巡礼だ。

後で分かったのだが、分岐点の石柱に刻んであったように、ここはやはり、「三井寺観音道」だ。
西国三十三カ所巡りの十四番札所三井寺から、十五番の京都今熊野に向かう巡礼道で、すれ違った二人は、間違いなく巡礼者だ。
白装束や杖など突いていないところに、かえって本気がある。
ふらふら歩きながら、ノー天気に声を掛けられなかったわけだ。

小川沿いに歩くと、すぐに普門寺が見えてきたが、「西大津バイパス」の高架が巨大過ぎて、小関越の分岐附近が「路地」のようだ。
それでも、頭の中から高架を消すと、川沿いに、のどかな昔の道がそのまま見える。

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※「普門寺の分岐点」右下に拡大

 

11月末とは言え、陽ざしに恵まれた坂道を登って行くと、たちまち汗ばんでくる。散在する資材置き場や作業所は、つや消しではあるが、観光地でもないのだからやむを得ない。

少し開けた谷間まで来ると、一眼を首に下げた70代の男の人がいる。
「こんにちは」と挨拶を交わすと、
「カメラお持ちですか、あれは収めといた方が良いですよ」
と、谷間の円筒状の構造物を指し、たたみかけて
「あれは、立坑ですわ」
「ああ、琵琶湖疎水の? へー、これですか!」
むしょうに解説したそうだったが、見ると横に案内板もある。

「上まで、行かはるんですか?」
「ええ、行けるところまで行ってみようと思って・・・熊でも出ませんか?」
「なんぞ、鳴るもんでもありますか?」
「歌でも歌いながら行きますわ」

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さらに、登って行くと、道は、金網に囲われた施設の脇で、申し訳程度に、肩身の狭い姿になる。最近の建造物だが何か分からない。
そこを曲がると、すぐ、峠の地蔵がある自動車道に出た。

行けるところまでと思っていたが、案外、簡単に来てしまったから、大津側に下ることにした。
とは言え、もう汗だくだ。上着を脱ぎ長袖をまくり上げて、下っていくと、道の脇に、また道標がある。バイクでは気づかなかった。
乗物でもよく見ているようだが、やはり、徒歩ならではの発見がある。

山路の手前に「神出開町・小関越えハイキングコース入口」として、
「↑三井寺(観音堂)1.2km」とあり、手書きで500円と書き添えてある。
このまま山路を進めば、観音堂に出るのだろうが、500円取られた人の「心外」が、にじみ出ているようだ。

昼なお暗き、森の自動車道を下っていくと、グレープ色のレインスーツにバックパックの、40代の女の人が登ってくる。
「こんにちは」と挨拶はしたが、峠の地蔵以来、初めて遭った人だ。
小関越のハイキングだろうか、観音巡礼だろうか。いまだに解からないが、『ええかいな』の思いがする。

もちろん男女平等の時代だが、京都には昔、迷宮入りした「蕨採り殺人」や「ジョギング失踪」事件があったし、最近も、九州で温泉旅行の女の人が殺された。海外一人旅の女性失踪は常時あるが、日本でも、女性の解放ムードで、事件はむしろ増えている。

男が女に襲われて暴行されて殺されたという事件はあまり聞かないが、女性の解放には、女性自らの自覚と防衛も必要だ。
昔から観光地には、暴行目的で女性や男女のカップルを狙う輩が徘徊している。自由平等の「立前」だけでは、身を守ってくれない。

小関町まで下りて、長等公園に行くと、何のことはない
「いにしえの旅をしのぶ・小関越え・旧東海道」の、解りやすい案内板が立っていた。

そのまま、浜大津まで歩いて、13000歩、のんびり歩いて3時間程度だった。

やっぱり、自転車は無理だろう

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長等公園案内板(ダブルクリック)

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