魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

脳内闘争

2011年12月16日 | 自動車人間学

自動車人間」ハンドルの悩みを聞いた。
聞いている内に、典型的なハンドルの悩みなので、思わず顔が緩んでしまった。

内容は複雑なので説明できないが、複雑にしたのはハンドルだ。
要は、ある一つのことに、自分が想定した問題を雪だるま式に膨らませて身動きとれなくなっている。

ハンドルには、エンジンもガソリンも付いてない。動く気が全くないのにどう走るかをアレコレ考えてしまう。

例えば、ある日、玄関の前にソフトボールぐらいの石が落ちていた。
玄関を開けたハンドルは考え始める。
「この石はなんだろう? 何でここにあるんだろう? 誰かが何かの魂胆で置いたんだろうか? トラックが落としていったんだろうか?・・・」アレコレアレコレ考えたすえ、
「どんな可能性があるか解らないから、とにかく触ってはいけない」と思い、「でも、こんな所に放置しておけば、近所にどう思われるか解らない」とも思う。「それに、第一、どこに持って行けば良いんだろう・・・」と、またアレコレアレコレ考える。

考えている内に、「これは、きっと誰かが自分を困らせてやろうとして置いたに違いない。とすれば誰だろう?」と、いろいろな人とのトラブルを再点検し始める。「いや、トラブルがない人でも自分が気づかないだけで、本当は恨まれているのかも知れない・・・」
もう、世の中が嫌になってくる。
「何で、こんな所に住んでしまったんだろう」そう思うと、家から出るのも嫌になって、早く引っ越ししようと、改めて決心する。

そこに帰ってきたエンジンの夫は、「何やっているんだ?」と言いながら、石を拾って、近所の空き地に放りに行ってしまった。

ハンドルは、誰か他人が困っていると、その人のためには素早く動けるが、だれにも頼まれないこと、自分自身のために始めることには全く身体が動かない。考えだけが堂々巡りを始める。

そして、考えている最中に、「取り敢えずやってみよう」とは思わないし、自分が行動を考えていないことに気づかない。
その上、悩みの基になる複雑な人間関係を、自分自身が造り出していることにも気づかない。

その内、脳内モンスターとの戦いに疲れて、ブチ切れるか、よよと泣き崩れる。
そうなる前に、ハンドルが悩みから逃れるには、目をつぶって行動を起こすか、何も考えないことにするか、誰かに取り敢えずやってもらうことだ。誰かがやって始末に負えなくなったら、初めて自分で解決できる。