魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

箱庭と盆栽

2009年04月16日 | 新鎖国論

飛行機が墜落しそうになったら、未熟な操縦士は慌てて操縦桿を引く。
すると飛行機は一転、機首をあげて上昇する。しかし、無理な上昇はスピードを失い、一気に墜落する。

世界中がパニクって、過剰な経済対策で、景気を取り戻そうとしている、効果はやがて出るだろう。
一見、景気が戻ったように見える時こそ、すべてが瓦解する前兆だ。
それが大恐慌の本番だろう。

温度が前日と3度変わると、ばったり人出が途絶える。
冬の-3度。夏の+3度。(虫人間

偉そうに小難しい理屈を並べても、結局、人間は「虫」と同レベルの単純原理で生きている。

異変が起こると、蜂の巣をつっついたような大騒ぎをして、その騒ぎで大惨事が起きる。慌てなければ起こらない事故であり、始めから人混みに参加しなければ被害にも遭わない。

マネーだ、投資だと人混みに参加し、破綻だ暴落だとパニクる。
「時代に乗り遅れるな」と言うかけ声で走り出したら、災害に乗り合わせる。

グローバル化という満員電車に乗ってしまったら、一蓮托生、運命共同体だ。
幸い、電車が信号待ちで止まった。飛び降りるなら、今しかない!

しかし、
「なーに大丈夫だ、もうすぐ次のグリンニューディール駅で車両を連結して広くなる。もう少しの辛抱だ」と、みんなが言っている。

飛び降りるか、我慢して待てば本当に楽になるのか。
ここが正念場だ。

多くの兄弟の中で育った人間は、ワイワイ行けば、何とかなるさと頑張れる。しかし、一人っ子は、このワイワイに慣れてない。

一人っ子の日本は、ここで飛び降りる方が身のためだ。
みんなと同じ、ご馳走にはありつけないかも知れない。
だが、とにかく安寧は保てる。平和で穏やかな暮らしができる。

江戸のような鎖国はできないが、生き方の鎖国はできる。
列強から身を守るために、やむなく始めた開国、殖産興業は、そろそろ止めても良さそうだ。
貿易立国は苦肉の策だった。時代は変わった。小さな国でも発言できる時代に必要なものは、生き方の哲学だ。
世界の手本になれるような「姿」だ。

自立採算の箱庭文化をもう一度整え直し、世界の人に見てもらおう。
日本の箱庭は、地球の箱庭化の手本になるのだと。