魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

挫折王

2009年04月19日 | 日記・エッセイ・コラム

近頃の若者は無欲で、車も海外旅行もいらないと、
「たかじんの・・・委員会」で、問題にしていた。
車も出世も金儲けも要らないのは、大いに若者に賛成する。
しかし、「遊び」や「冒険」での体験は、オヤジに賛成する。

大きな時代の変わり目で、新旧世代の感性のギャップが生まれているが、どちらも、互いのことが解ってないように思う。

技術革新による成長環境の違いは、単なる、世代格差を超えている。
中世や古代と比べれば、現代の環境変化が生む時代格差は、数十年で別の星だ。

ハイドンだったと思うが、汽車が生まれた時、あのスピードについて行けなくて、乗るのを嫌ったそうだ。今でも、飛行機嫌いはいる。
しかし、生まれた時から乗っていれば何も感じない。

絵から、絵巻物、漫画、映画、アニメ、テレビ、ネット・・・
それぞれ、初めて接した人の驚きと、生まれながらに見て育った人の感性は「別世界」であり、別の星の人を育てる。

イチローが、旧世代の選手達を「いかつい」人たちと敬遠している意味を、その「いかつい」世代は解らない。
スポ根ものが流行った時代は、何事も「根性」話が解りやすかった。
まじめに努力してがんばれば、必ず結果が出る・・・
高度成長、右肩上がりの時代なら、素直に納得できる。

焼け跡の「無」から始まった時代は、ガンバルしか無かったし、命がけで、血と汗しか出せるものがなかった。
しかし、何でも満ち足りた飽食の時代で、闘争心をかき立てるとすれば、ハングリーではなく、自分との戦いしかない。

いかに自分と向き合うか。
この孤独な戦いに、若者が向き合っていることを、スポ根オヤジは解らない。

一方で、若者は、自分との対峙の中で、内面の世界に閉じこもり、外部からの破壊を嫌い、現実から逃避しようとする。
「冒険」による挫折を避け、小さなプライドの世界を守ろうとする。

「遊び」も「恋」も「冒険」も、必ず挫折する。
だが、挫折こそが人間力を高める絶対条件だ。
オヤジ達はそれぞれ「挫折王」として、その価値を言いたかったのだろう。