魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

不可能を可能にする

2009年04月06日 | 日記・エッセイ・コラム

新しい技術が必要になると、技術者は何とかしてひねり出してくる。
その執念には敬服する。
ただ、技術が高度化するほど、不可能を可能にするのは、見たことも聞いたこともないような素材の「発見」だ。

そして、その素材=レアメタルを使った商品を大量生産して売ろうとするから、レアメタルの争奪戦が国家戦略がらみで起こる。
どこかが、おかしい。

核融合の研究では、プラズマを閉じこめるために巨大な核融合炉を建造して、莫大な出資と科学者の苦労が続いている。
ところが、ひょんなことから、実験室で常温核融合が起こったという報告があって、大騒ぎになった。
結局これは、いわば、勘違いだった。

しかし、そういう正攻法から離れた、ゲリラ的な発想で試みた人がいたこと自体が、敬服に値することだと思う。

一つの答えを出すには、一つの方法とは限らない
子供の頃、電気はダムを造って水力発電するものだと思っていた。
ところが、発電方法はほとんど無限にある。

地球資源は限られている。資源利用はリサイクル可能でなければならないことは、常識になってきた。
にもかかわらず、人間の欲望を満たすために、極めて限られた資源が安易に使われて良いものだろうか。
そもそもそれは、生存に関わるような発明だろうか。

技術競争、ビジネス競争に勝つためには、何でも使う無節操が、地球資源は言うまでもなく、資源争奪戦で、自分の首を絞めている。

ものを造って世に出す時には、資源のマネージメントから考えるべきだ。
たとえ製品化出来たとしても、
資源量から継続生産可能なのか。本当に必要なものなのか。悪事に使われる可能性はないのか・・・などの考慮は言うまでもないが、
何より、他の簡単な方法はないのか。

単純な話。ハシは、紫檀でなくても、間伐材でも、竹でも作れる。
手っ取り早く作るために、どんな手段を使ってでも製品化するのは止めたらどうだろう。

太平洋戦争の一因は、石油確保にあった。ところが、戦争を起こした結果、終いには、松ヤニで飛行機を飛ばそうとした。
始めから松ヤニでも、と考えていれば、戦争は止められたかも知れない。