魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

君臣豊楽(2)

2009年04月09日 | 日記・エッセイ・コラム

成り上がり者が、引くことを知らなくても、現実に差し押さえが来れば、引くしかない。

どうも、近頃のアメリカの様子を見ると、ドル基軸体制の手じまい準備を始めているようにも見えるが、単に、ちょっと作戦タイムと思っているだけなのだろう。

アメリカが金満、活発な豊臣政権とすれば、不遇の名門、家康は中国ということになろうか。苦節200年、ついに天下取りの時が来たと虎視眈々、狙っているとすれば、困ったことだ。

パワーゲームのベクトルは、ものの大小にかかわらず似てくる。
歴史は繰り返すと言うが、当然、全く同じ歴史が繰り返されるわけではない。パターンが繰り返すという意味であることは、誰でも解る。
占いでも、同じ生年月日で生まれた人の運命のパターンは相似的になる。(不満が生む不幸

話は違うが、近頃、こういう比喩的表現が全く通用しない人がいる。デジタル社会のせいか、偏差値、四択教育のせいか、融通思考ができない。目には見えない、日本社会の硬直化にゾッとする。

天の意志
中国の時代になってパクス・チャイナになるなら、それでも良さそうだが、少なくとも、現在までの中国に、それができる資質とゆとりは見えない。共産中国も本質的には儒教であり、タテ型の家思想だ。
人権とか、民主主義とか、人類がようやく切り開きつつある境地が全く見られない。

そんな中国に、次の時代をまかせるわけにはいかない。恐怖だ。
それでも、しばらく20年ぐらいはブイブイ言わせるかも知れないが、やがて頓挫するだろう。

周辺国としてはその間、膨張するトラ風船をパンクさせないように、上手に対応する必要がある。なによりも、刺激せずに利用することだ。

なにしろ、軍事国家、中国に力を付けさせたのは、安い労働力を利用しようとした先進国自身であり、今もまた、欲の皮だけで物を買わせようとしている。
軍事力に負けたから冷や飯を食わされたと、黙って耐えてきた中国が、相手の武器(資本力)を奪ったらどう出るのか。

この経済戦争では、中国は武器(経済モデル)を生産しないゲリラ戦で戦ってきた。
相手の武器を奪って形勢を変えるのがゲリラ戦だ。
ゲリラも天下を取る易姓革命の中国は、何を考えているのだろう。