瀬戸のタイル巡りは窯垣の小径へと突入。
かつては陶磁器を運ぶメインストリートだったといわれる小径には使用済みの窯道具をリサイクルして
作られた塀や石垣などが点在し、独特な景観を見ることができる。
この「鬼板の土留」といわれる石垣は鉄釉や鉄絵の原料として使われる鉱物でできていて、
原料が採れなかった不良品が石垣として利用されているのだとか。
窯道具だけでなく、いろんなものが廃棄物として出ていたようで、それがうまい具合にリサイクルされてるなあ。
鉄分が混じった赤茶色の石がいい味わいの石垣。
窯元のお屋敷、加藤仲右エ門邸
墨塗の漆喰の壁に、瀬戸で焼いた瓦が乗り、タナイタを重ねた門柱やタナイタを敷いたアプローチ、
タナイタを積み重ねた塀などが見られる。
こちらの立派な塀もやはりタナイタでできている。
窯の中で高温の熱にさらされる窯道具は消耗品で寿命は4,5年だそう。
なので廃棄物として大量に出るようだけど、自然釉がかかり年季の入った窯道具が使われた塀はいい味わいだなあ。
そして窯垣の小径資料館へやってきた。
以前、一度家族でやって来たことがあって、その時、91歳のボランティアガイドさんに親切にして頂き、
子供たちに昭和レトロな茶碗を頂いたことがあったので懐かしい・・
こちらの史料館は本業焼の窯元、寺田邸の建物をそのまま生かし、改修して資料館となっている。
資料室として使われているところは、元は馬小屋だったそう。
出来上がった製品を荷車に積んで、馬にひかせて運び出していたのだとか。
今年、新潟の豪農の屋敷で見た雪輪型の敷き瓦も展示されてた。
タナイタ、ツクなど窯道具はこのような状態で窯の中で使われていた。
すり鉢などは間に窯道具をかませることによって、こんなにも重ねて焼くことができるのだそう。
間にかませる窯道具は輪っか状のものや平たいものなど様々で、
見込みを見ると目跡が見られるものがある。
又、目跡が付かないよう、サヤというひとつひとつ包み込んで焼く道具もある。
そして圧巻なのはこの旧寺田邸のお風呂場。
脱衣所と浴室にはびっしりと本業タイルが貼られてる。
輸入用として作られたものだったそうだけど、検査ではねられたものがこちらで使われているのでは、とのこと。
トイレにも
この後は本業窯の方へ向かった。
窯垣が素敵な景観をつくる小道を歩く。
窯道具に混じってかわいいレリーフ状のものが貼り付く。
これは窯道具ではなくブローチなどアクセサリーとして作られたものらしい。
可愛いなあ。
タナイタを無造作に縦に並べただけの部分があったり、
ツクとタナイタを幾何学模様に組み込んだ塀、
窯元の屋号が刻まれた窯道具も。
立ててプランターにも
瀬戸本業窯にやって来た。
こちらには1970年代まで使われていたという登窯が残されている。
4つの房をもつ登り窯。
一番上の房へは入ってみることができて、
房内の壁は長年の灰による自然釉が何層にもかかり、美しい景色を作り出してる。
原料を引く大きなミルも
本業窯のすぐそばにあったカフェ。
ちょうどお昼時だったので、ここランチしていくことに。
本業窯のもと倉庫として使われていたという建物を改装したというカフェ。
上がり口に貼られていたタイルもかわいい。
ランチはこの日、一種類で、
昔の窯焼き職人が食べていたという短時間で栄養がとれるという食事、
炊き込みご飯の「ごも」を頂いた。
ご飯とおかずを別々に食べる時間も惜しんだという過酷な窯焼きの仕事ぶりがうかがえる。
大阪から来られたという店主さんにいろいろとお話を聞き、
サービスで紅茶も頂き、うれしかった。
花が生けられてる壺はこちらの本業窯を継ぐ8代目の方が初期の頃に作られた作品だそう。
お隣にある本業窯の窯元へ。
日常使いできる用の美が感じられる素敵な器の数々が並べられていたが、
お値段は非日常?!的なものでちょっと手が出なかった;
向かいのショップの方へ行くと、ちょうど売り出しておられるという日清食品のカップヌードルと
瀬戸本業窯とのコラボ商品、縄文土器を模した、縄文DOKI☆DOKIクッカーがあった。
火焔型土器を模したもので、上下に分かれていて、お湯を注いだカップヌードルを本体にセットし、
火焔部分の蓋で重しをするという。
なんとお値段6万円ほどしたというが、発売した15個は完売したそう。
すごいなぁ~