転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



右足甲のガングリオンがまた成長し始めていることに
昨夜、お風呂に入っていて、気づいた。
先日消えたばかりなので、できたてで、早期発見だった。
右手親指で圧迫してみたら、今までのより若干、柔らかそうだった。

ガングリオンの治療方法のひとつに、圧迫してつぶす、というのが、
レッキとした整形外科で行われていることを知っていたので、
お風呂上がりに再度、指で数回、強めに押してみたら、
果たせるかな「ぷしゅ」と、・・・音は実際にはしなかったが、
その程度の軽い感触で、ガングリオンが、つぶれたのがわかった。
なんの痛みもなかった。
だた内部で破裂したというか、皮膚の下で中身が抜けた気配がした。

足の甲は一瞬でぺったんこになり、ガングリオンは跡形もなくなった。
いずれ再発するだろうが、クセになりそうな面白さだった(^_^;。

なお、昔、足のガングリオンの家庭治療として、
『患部がなるべく平らになるように固い台の上に足を乗せ、
重いハードカバーの本の背表紙の角で、思い切り殴る』、
・・・というやり方が、あったそうだ(O_O)。
「ですが、足の甲の骨を骨折したりするので、おすすめしません」
と、それを紹介したサイトのページには書かれてあった。
・・・・・・・あたりまえだ。
骨折が治癒するよりもガングリオンの再発のほうが早いでしょうねえ。

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5年前、今治にいたとき、子供会で『亥の子さん』という行事があった。
多分、10~11月頃、全国各地で行われるお祭りだとは思うのだが、
近所の子供達が『亥の子さん』をして、我が家にもまわって来た、
という経験は、なぜか、今治のときだけしか私はしなかった。

『亥の子さん』は、お祓いをした大きな石に、しめ縄を何本もつけ、
11月の、亥の日(に近い週末)の夕暮れに地元の小学生達が集まって、
家々をまわっては、しめ縄をひとりひとり手に持ち、
玄関の前で数え歌を歌いながら「ついて」まわる行事だった。
具体的には、皆で歌に合わせて、手に持った縄を上げ下げして、
石で玄関前の地面を叩くわけだ。
地域によっては、石を持つ子供達のほか、
鬼の面を被って舞を舞う役目の子もいたりするそうだ。

その数え歌というのが、今治のときは、こうだった。
出てくる音階は、「ラ」と「ソ」と「ミ」だけで、
いたってシンプルな節回しだった。

 いのこさん と いうひとは
 いちで たわらを ふんばって
 にで にっこり わろうて
 さんで さかずき さしおうて
 よっつ よのなか よいように
 い~つつ いつもの ごとくなり
 むっつ むびょう そくさいに
 ななつ なにごと ないように
 やっつ やしきを たてひろげ
 ここのつ こくらを たてならべ
 とおで とうとう おさまった
 しょうばい はんじょう するように
 おとこのこ が で~きるよ~に!!

これをやると、その家の人が出てきて、ご祝儀やお菓子をくれる。
日本版ハロウィーンみたいな感じが、なくもなかった。
学区内の、決められた範囲の家を一軒ずつまわって、
その都度、歌を歌って「亥の子さんをついて」、
全部終わると、当番の家に集まって、オヤツを食べた。
普段の門限より遅めの、暗くなって来た時間帯に、
皆で集まって遊べるので、子供達は面白がっていたものだった。

今治の地元のおばあさんが仰っていたところでは、
昔は、亥の子をさせて貰えるのは男の子だけだったそうだ。
最後の『男の子が出来るように』という歌詞にもあるように、
当時は、まずは男の子がいないことには、
農家だって商家だって、一家の安泰は望めなかったのだ。
立派な息子がいて、お嫁さんを貰って家を継いでというのが、
その頃の家族制度の中で考えられる幸せのかたちだったわけだから、
ここでいちいち男尊女卑!と怒るのは、ヤボというものだろう。

「でもねえ。今は子供が少ないけん、女の子がしてくれんと
亥の子さんができんよね。まず娘を欲しがる家も多いしね」
と、おばあさんは苦笑いをなさっていたものだった。

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算命学の占い師である友人から、メールの返事が来て、
来年以降の私は、もし手術する気があるなら良い日がいろいろある、
ということが、わかった。

今年の初めに大出血で救急搬送されたあと、もう手術しかないと思い、
彼女に占って貰ったときには、意外なことに、
「しないことになるんじゃない?今年は、手術の星が全然ないわよ」
とアッサリ言われたものだった。
当時は体調最悪で、切らないで済むなどとは俄には信じられなかったが、
なんと不思議なことに、以後、予想以上に内科的治療が効いて
結論として手術は延期になってしまった。
そして今に至るも今年に関しては手術していないので、
彼女の占いは、当たっていたというべきだろう。

それで、今度も、お伺いを立ててみることにしたのだ。すると、
「この月の、この期間中は、どれも良い日」
等々と、来年についてたくさんの候補を挙げてもらうことができた。
私は何にでも超常現象を優先して考えるわけではないが、
まさに苦しいときの神頼みみたいなもので、
人間が日常考えていることとは別の次元の話として、
天地の理はこのようになっている、
などと言って貰えると、とても安心できて、良いと思っている。

それと、もうひとつ彼女は、面白いことを言ってくれた。
「再来年、ご主人に病気の星がちょっと見えていたんだけど、
よしこさんが手術なさるんなら、ご主人は何もないかもしれないわ。
よしこさんが、ご主人のぶんも引き受けて一緒になおしてしまうの」

彼女の話では、同居の家族というのは、互いに影響しあっているので、
ひとりぶんの星まわりを、自分単独で引き受けるとは限らないという。

「ご夫婦って、相手の病気も自分がかわりにやっちゃうことがあるの。
筋腫と一緒に全部ご主人の病気の星も引き取っちゃって、
手術でさっと取り去ってしまう、ってことが有り得るのよ」

なるほど、そういえばうちの田舎では
夫に先立たれ、息子も失い、自分は九十歳過ぎても野良仕事、
などというおばあさんが、ひとりならず見受けられる。
ああしたご家庭の場合は、おばあさんのご病気をすべて、
ご主人や息子さんが先に引き受けて逝かれた、
ということなのかもしれない。

私「私が引き取って、命に別条があったら困るんですが(^_^;」
友「そこまで行かない。大丈夫」
私「あ、まあそのために日柄を選んでるわけですよね」
友「そうそう。だから病気はしないで済ませたいものではあるけど、
 良いものでもあるのよ。そんなに心配しなくていいのです。
 ものごとには大抵、もうひとつの意味が隠れているのよ」

なるほど、そう考えれば、病状が悪化しようが、
治療に苦痛があろうが、少々のことなら耐えられるだろうし、
病気ひとつにも積極的な意味が見いだせるではないか。
ありがとうございます<(_ _)>。

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きょうの夕方、仏語検定のあと主人と待ち合わせて、
八丁堀近くの洋食屋さんで夕食を取った。
娘は私の実家に遊びに行っていて留守だったので、
店は我々の趣味で決めた。
主人は生ビール、私はウーロン茶で乾杯して
カルパッチョや、キッシュ、パスタなどを適当に選んだ。

それなりに美味しかったので、満足していたのだが、
最後に、私がメインのつもりで頼んだ牛ロースのソテーが、
来るまでに結構、時間がかかった。
そして、運んできた若い女性の言うことには。

「お待たせしました。カモのソテーでございます」

え。いや、鴨じゃなくて。牛だった筈なんスけど。
「ビーフ、お願いしたつもりだったんですが(^_^;」
と主人がすかさず、言ってくれた。

「大変申し訳ございません」
と女性は皿を持って、すぐに引っ込んだ。
我々の注文を聞き間違えていたのだろうか?
それとも、何か手違いで、ほかのテーブルの料理を
ここに持ってきてしまっただけか?

しばらくして、さきほどの女性が、またやって来た。
「申し訳ございませんでした。牛ロースのソテーでございます」

・・・・・・・(^_^;???
テーブルに置かれた皿は、さきほどと寸分違わぬものだった。
持ってきたときの台詞が変わっただけで、皿は変わっていなかった。

夫「・・・・・・・」
私「これって、さっきの料理だよね」
夫「そうだ」
私「でも、牛ロースって・・・・」
夫「だから、さっきのが言い間違いで、これは牛ロースだそうだ」
私「だって、この色合い、牛じゃないよ」
夫「カモだろう」

食べてみたが、もしこれが牛だとしたら、
随分と変わった牛だ、と言わざるを得なかった。
請求書には、勿論、牛ロースのソテーと書かれていた。


私たちって、
♪カモかもしれな~い(@忌野清志郎)

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一昨年5級から始めて去年が4級、そして今日は、3級を受けた。

私の、秋の恒例行事になりつつある仏検受験なので、
今年も、行ってみたのだが。


そろそろ運も尽きてきた感じだった(爆)。

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先月から、低用量ピルを服用すると不正出血があって、
休薬期間の後半のほうが逆に調子が良いような感じで、
ただの副作用というよりも、
どうもうまくコントロールできていない気がしたので、
きょうは、いつもの婦人科クリニックに行った。

エコーでの診察の結果、左卵巣チョコレート嚢腫は、
特に心配なほどの変化はしていなかった。
だが、腺筋症がやや悪化しているような印象があるとのことだった。
それで、まずは出血の原因として最も心配な、
子宮体がんを除外しなくてはならないので、細胞診を受けた。
結果は一週間後(T.T)。

結果が悪かった場合はそのほうの更なる精査をすることになるが、
悪性が否定できた場合の、次なる選択肢としては、

1.再度、リュープリンを打つ
2.手術を考える

ということだった。
低用量ピルは、一般的には内膜症治療には最善なもののひとつだが、
私の場合、粘膜下筋腫や腺筋症があって、
内膜の血管で弱いものがあるとなかなか不正出血が止められないので、
低用量ピルのみのコントロールは困難だとわかった、と言われた。
そういう場合、中用量ピルで様子を見る方法もあるが、
さらに確実に管理できるのはリュープリン注射だそうだ。

だが、リュープリンは、副作用への懸念もあり、
良性疾患の場合、連続6ヶ月以上は打てないことになっている。
海外では内膜症への年単位の投与もあるそうなのだが、
日本では乳がん・前立腺がんでないと、
リュープリンを連続使用することは許可されていないとのことだ。

今後、半年間、注射を続けて、様子を見ながら半年空けて、
また半年続けて、・・・という繰り返しはある程度可能で、
そうしているうちに閉経した場合はすべてが解決するが、
もし途中で内膜症の改善が頭打ちになったら、
内科的には次に打つ手がなくなるし、
閉経までもし十年あるとなると、この繰り返しをするには長すぎる。

つまり、今年や来年のうちは内科的にやるのも充分可能ではあるが、
将来的には、手術も視野に入れて良いのではないか、
というのが主治医のきょうの意見だった。
悪性の可能性さえ否定されれば、急ぐものではないし、
リュープリンの注射はいつでも開始できるから、
家族ともよく相談して、ゆっくり考えていい、ということだった。

勿論、人並みに、全身麻酔とか手術そのものへの恐怖心はあり、
しないで済めば、やっぱりそのほうが良いような気も、するのだが、
現状だって快適とは言えない面がいろいろとある。改善は、したい。
何より1月の大カクラン→救急搬送は、それなりにトラウマになった。

娘の中学生活も一応、軌道に乗ったことだし、
身内に病人がいない落ち着いた時期を選べるならば、
このあたりで手術しておいたほうが、良いのかもしれない、とも思った。
主人の転勤があるかないかが、かなり気にかかる時期ではあるけれど。


ということで、算命学をやっている友人に、先ほどメールを出した。
「ヤったほうがいいでしょうか。ヤるなら、いつがいいでしょうか」

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若い頃、じーちゃんは身ひとつで家を飛び出し、
所帯を持つときには本籍まで新しくして、
以来、自分で手に入れたものだけで暮らしてきた。
もともと親との縁も薄く、自分を過去につなぎ止めるものは、
じーちゃんには何ひとつ、なかった。

ので、墓も、なかった(爆)。

舅本人は、『墓なんか要らんわい。金かけるなや』と言い残した。
じーちゃんのイメージでは、お寺の遺骨堂(用語がわからないが)
みたいな、ロッカー形式のところに置いて貰えればいい、
ということだったのだと思う。
浄土真宗の考えには「先祖供養」という概念もないし、
それはそれでも良かったかもしれない。

だが主人は、「結局、皆、入るところが要るのだから」と言い、
自分が、家の墓をたてると決めた。
舅の四十九日からあと、一周忌、三回忌と、
ずっとお世話になったお寺さんに頼んで、
境内墓地の一画を購入させて貰うことができたので、
そこに、ごく平凡だが真宗の作法どおりの墓石を、
長男である主人がたてる、ということに、なった。
そこには、まず舅が入るわけだが、
いずれは、姑や主人や私も入ることになるだろう。

それで今日、お寺さんから紹介して頂いた石屋さんに会い、
境内墓所まで出かけ、隣近所の墓石なども見ながら、
どういうお墓にするかをあらかた、決めた。
小さい区画だし、特に凝った要望もないので、
ごく普通の、手入れのしやすいものを頼むことにした。

石屋さんは良いかたで、とても親切にして下さり、
思った以上にスムーズに打ち合わせも進み、
こういうのも「縁」だなと思い、とても温かい気持ちになったが、
最後にたったひとつ、問題が発覚した。

それは。
家紋が、わからなかった

生家と決別したに等しかったじーちゃんは、家紋を持たなかった。
主人も、見たことがないと言った。


誰に聞いたらわかるんだろう(^_^;

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我が家にも毎日たくさんのスパム・メールが来るのだが、
たまに、私信が『迷惑メール』として受信されることがあり、
逆に、受信フォルダに、スパム・メールが分類されていることもあり、
万能にはなり得ないメール・ソフトの苦労が偲ばれる。

一月ほど前だったか、迷惑メールフォルダのほうに、
ゆ○子です』というメールがあった。
友人知人の中に「ゆ○子」さんは数人あるし、
サイトを始めてからは、知人でない方からのメールも頂くので、
万が一、何かの用件だったらいけないと思い、
スキャンの後、ソースを開いて読んでみた。
が、普通の、出会い系のメールだったので、結局、削除した。

で、数日して、今度は『Re:ゆ○子です』というメールがあった。
この間のメールに対する、返事の形式らしかった。
先日確かめて関係ないのはわかっていたので、すぐ削除した。

すると、また何日かして『Re:Re:ゆ○子です』というのが来た。
さらに、その後には『Re:Re:Re:ゆ○子です』。

一体、どこまで行くんだろう。
私は最初からずっと、黙殺して削除だけしているのに
私と関係ないところでメールの遣り取りが進んでいる模様だ。


「私の前で、私を通り越した言葉を交わすのは、もうやめて」
   byフランソワーズ@『琥珀色の雨にぬれて

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清志郎が復活!武道館で“単独ライブ”(Sponichi Annex)
『喉頭(こうとう)がんから復帰したロックシンガー、忌野清志郎(56)が来年2月10日に「完全復活祭」と題して日本武道館公演(東京・北の丸)を行う。』『昨年7月に治療のため音楽活動を休止してから初の単独ライブで、05年12月25日の渋谷AX公演以来になる。退院後は昨年11月17日に米歌手サム・ムーアの来日公演に飛び入りするなどしながらノドの“試運転”。最近は自転車の長距離走行も続けており、体力もついてきたことから完全復活することになった。』『清志郎は「復活だぜ!ベイベー!!」と大張り切り。来月8日には日本武道館で開催される「ジョン・レノン・スーパーライブ」に盟友の仲井戸麗市(57)と一緒に参加。17日に名古屋でベーシスト藤井裕(55)のアルバム発売記念ライブに出演し、大みそかには幕張メッセでカウントダウンライブに登場する。』

忌野清志郎がライヴ活動を正式再開!武道館での完全復活祭も決定!(CDJounal)
がん克服清志郎2・10武道館で復活祭 (日刊スポーツ)

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昨日のお昼は、A中クラス役員のお母さん方で集まって、
某カフェで、文化祭バザーの反省会および打ち上げをやった。

バザーの流れをもっと良くするために、いろいろな意見が出されたが、
笑ったのが、「不思議な商品ほど、早く売れた」という証言だった。
値付けのときに『なんだこれ』『迷惑な』と呆れた品物に限って、
当日は開始直後の午前中のうちに、早々とレジを通って出て行った。
確かに私も、そのうちのいくつかは、金庫番をしながら見た。
大きな声では言えないが、例えばグロテスクな人形とか、
ホトケさんのお姿が描かれた巨大額とか(逃)。

それから、やたらと買い込むお客様には私も遭遇したが、
昨日聞いたところでは、物品管理の係だった役員さんのひとりが、
お客様から、『ちょっと、あれ見といて』と頼まれ、
小山のような荷物の見張り番をさせられた、という話もあった。
しかも、そのお客様はグループで来られていたようで、
とにかく手当たり次第確保し、部屋の隅に置きに来て、また戻り、
最後に皆で集まり、買うものと買わないものに分ける作業など
堂々となさっていたそうだ。

また、食器や大物など、お客様にセルフで梱包をして頂く机のところでは、
後ろに行列が出来ているのに、買ったお皿を一枚一枚、箱から出されては、
「良かったねえ、ええもん買うたねえ」
と吟味していらっしゃる方もあったそうだ。

ほか「ご近所さんらしい常連の女性がいる。毎年、同じ服で来ている」
という、どう参考にして良いかわからない指摘もあった。

ともあれ、今年も無事にバザーが終わって本当に良かった。
役員の仕事は、
「8割がバザー、1割がクラス懇親会、残りは気苦労と雑用」
というのが定説だそうで、それで行けば今年の我々の仕事は、
既に九割方、完了できたことになる。

それで我々の話の行き着く先は、
「来年も、役員、やる?やめとく?」
ということに尽きるのだった。
バザーは忙しかったが、全体としてはなかなか楽しかった、
というのが皆の共通した感想だった。
今のメンバーでやれるのなら、来年も続けたい、
とかなりの人たちが言っていた。私も同じような感想だった。

と、ひとりの役員さんが、言った。
「娘の在学中に合計で4年以上だか5年以上だか役員を務めると、
卒業式の日に親も校長室で表彰されるらしい

「それは、絶対、やだ!!」

と我々は、声を揃えて、言った。

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