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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 

変温  


昨日は昼前に姑が発熱した。
見た感じ元気そうだったのだが、
体が熱いので熱を計ってみたら37度8分だった。
特養に電話したらすぐお迎えに参りますと言われ
昼過ぎにバタバタ支度して一旦、園に戻ることになった。
姑は元気で、私が準備している間にも
食事エプロンの魚の絵に箸を突き刺したりして
なんだか楽しそうだった(爆)。
やがて園の車が到着し、《ばいばい》と手を振って姑は出発した。

夕方、園から電話があり、姑は午後にはすっかり熱も下がって
調子がよくなったとのことだった。
園の内科医の診断では、やや脱水気味かなとのことで
冷房した部屋で点滴して休んだら平熱になったそうだ。

大事なくて良かった。
が、これでわかった。
つまり、我が家は姑には暑かったのだ(汗)。
私が寒がりの上に、エアコンで風邪ひかせてはいかんと
姑の部屋を《除湿》にしていたのだか
新陳代謝の良くない老体にはそれでは足りなかった。
ごめんなさい~~。
そういえば姑は元気だった頃は
冷房23度などの設定でガンガン冷やした部屋で寝ていたものだった。

というわけで姑はきょうの昼前に
外泊の続きをしに再度、帰って来ることになっている。
お部屋をきんきんに冷やして待ってます~♪

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これから佐伯区の舅宅へ向かいます。
ばーちゃんも、今夜には家に帰ってきます。
きようから、ちょっと早いですが四泊五日のお盆休みです。

お仏壇を綺麗にして、家じゅう掃除して、草抜きして(泣)、
週末にはお寺さんに来て頂き、お盆の法要を自宅でします。

今年も、ピオーネと白桃と、素麺、
それに煙草を、お供えしようと思います。

この秋には、早いもので、じーちゃん三回忌です。

じーちゃんが亡くなった翌日、葬儀の段取りをしていたときに、
主人の従兄が、大真面目な顔で、
「葬儀のあと、もう、七回忌まで済ませてしまおうや」
と言ったことが、なんだか今も、忘れられません。
勿論、これは七回忌初七日を言い間違っただけでしたが、
主人が、その場に不似合いなほど笑いながら、
「そんなにまとめちゃ、いくらなんでも、可哀相じゃ」
と言ったことが、今も昨日のことのように思い出されます。

ということで、9月には、三回忌です(^_^;。

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文学、といわれるようなジャンルの本を読んでごらん、
と担任の先生から言われた娘は、手始めに、
学生向けに書かれた『ギリシア神話』を手に取った。
部分的にせよ、知っている名前や物語が出て来るので、
読みやすいと考えたようだった。

だが、しばらく読むうちに、娘は笑いが止まらなくなった。
神話が、そのように味わい深かった、というのではなかった。

「みんな、のびとるんよ~~

娘の読んでいた訳本は、ギリシア語名のカタカナ表記が、
長母音に関して忠実で、娘にはそれがたまらなかったのだ。
パンドラが「パンドーラ」、アポロンが「アポローン」、
と表記されていたあたりは、まだしも耐えられた。
だが、「ミーノース王」と「ミーノータウロス」の件になると、
娘には、完全に、変なスイッチが入ってしまった。

「ダイダロスはダイダロスなのに、息子はイ~~~カロスっ」

リュンケウスやペルセウスは何故かノビておらず、
アンドロメダがアンドロメーダーになることもなかったが、
ペルセウスは「ゴルゴーン」に襲われ、
ヘラクレスも案じた通り「ヘーラクレース」になり果てていた。
天を支えているのは「アトラース」、
彼が手を離したあと重い天を背負わされた「ヘーラクレース」は、
『なにくそ、と身体中に力を入れて、うんとふんばる』
と書いてあり、この微妙な訳文も娘にはオオウケだった。

さて、物語は「アルゴーの船出」に差し掛かった。
話の発端は、とある時代の、ギリシアのひとりの王子。
その名は、プリクソス

「……………!!!」

これまで、さんざん、伸びーる名前に翻弄されつづけた挙げ句、
不意に出現したプリクソスによって、
娘は、とうとう急所をツかれてしまったようだった。
娘は本に顔を伏せて、窒息するほど笑った。

プリクソス、プリクソス、プリクソス、………、
………と娘の頭の中では、いつまでも、
「エーコー」がかかっていたのだった。

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黒木瞳は浜崎あゆみや井上真央をしのぐ人気者!(シネマ・トゥデイ)

菊之助が出ているので、この夏は『怪談』を観る予定だ。
私は菊五郎のファンであるがゆえに、
菊之助は前名の丑之助時代からかなり観ているのだが、
昨今、本当にイイ男になったなあと感慨深い。

当たり前だが、カズくんが昔からイイ男だったわけではなかった。
最初はむしろ、あまりにも頼りなくて、心配だったくらいだ。
丑ちゃんだった頃、平成元年か二年だったと思うが、
紅白歌合戦のゲストで、梅幸・菊五郎・丑之助が、
三代ならんで紋付き姿で口上を述べるという趣向があった。
梅幸は既に高齢だったが、さすがの貫禄で聞かせたし、
菊五郎は冴え渡る口跡で、今が盛りの舞台姿だった。
ところが、しんがりの丑之助が、イケなかったのだ(T.T)。
多分、まだ小学生だったのではと思うのだが、
途中で台詞を忘れ、詰まって、場内に静寂が訪れてしまい、
最後はなんとかまとめたけれど、支離滅裂な口上だった。
丑ちゃんっっ、しっかりっっっ、と私は泣きそーだったものだ。

それが、今では、どうだ。
匂い立つようなイイ役者に成長したではないか。
菊五郎と並んだ姿なんて、もう、溜息ものの美しさ。
おばちゃんは勝手に保護者の心境です。よよよ。

そういえば、昔、旧三之助の頃の、三人の関係というのは、
「菊之助(菊五郎)がからかって、辰之助が殴って、
新之助(団十郎)が殴られる」
という図式だったと、前にどこかで読んで、
なるほど、「フザケた菊五郎に、熱い辰之助に、
おおらかな団十郎」という三人のキャラを
よく表した面白い言い方だなと思ったことがあるのだが、
今の三之助だとこれが、
「辰之助がからかって、新之助(海老蔵)が殴って、
菊之助が殴られる」みたいなイメージらしい。
当代の菊之助というのは、大人になった今でも、やはり、
オンボリと育ったボクちゃん、のままのようで、
それもまた、この人の余裕や品格につながるところかもしれない、
と思ったりした。

ということで、映画『怪談』を観るぞ~!と私が言ったら、
怖い話の好きな娘も、「観る観る!」と便乗して来た。
すると、主人が横合いから、言った。
「その映画、結構、エッチみたいよ?」
えっ、これってもしかして、R-15な累ヶ淵なの!?

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「おいっ。あれってやっぱり、剃っとるで」
と、主人が朝、真剣な顔をして私に言った。
このように前フリなしで、いきなり指示語で話が始まるのは、
老化現象のひとつではないかと私はときどき心配になるのだが、
主人はお構いなしだった。

私「あれ、・・・って何でございましたっけ」
夫「頭、ザビエルの頭。教皇みたいな帽子かと思っとったけど、
 あれは、司祭だか司教だかの、剃髪なんやね」
私「そうなんだ?カッパの皿のように?」
夫「うん。今、フランスのドラマの『モンテ・クリスト伯』を
 観よったんやけどさ、ブゾーニ神父に変装したとき、
 ダンテスの頭、ザビエル・カットでハゲとんよ」
私「へえええ~」

言われて主人の言う録画を改めて一緒に観てみたら、
確かに、ブゾーニ神父は、ショートボブのような、
黒々と豊かな頭髪を切り整えたヘア・スタイルをしていて、
頭頂部だけが、楕円形に剃られていた。
まさに、これはフランシスコ・ザビエルの頭だ。

ネットで検索してみたところ、このヘア・スタイルは
「トンスラ(tonsure)」という名称だそうだ。
私の読んだ記事によると、司祭になるときの通過儀礼で、
俗世との交わりを断つ、ひとつのかたちとして頭頂部を剃る、
ということと、もうひとつ、キリストのイバラの冠に似せて、
頭に輪をかぶるようなスタイルに剃る、
という両方の説が書いてあった。

私は知らなかったので、つい、ここにこうして書いてしまったが、
トンスラの件は、2005年に『トリビアの泉』でも取り上げられ、
『75へぇ』だったそうだ。
もしかして有名な話でしたら、すみません。

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原爆の日のきょう、広島は未明から雷鳴が轟き、
午前7時前には、しばらく、強いにわか雨が降ったが
幸い、平和記念式典の時間までには、雨はあがった。
私の父は、相変わらず原爆資料館には絶対に行かない、
という頑固さを維持していて、式典にも出席したことがない。
こういう、語ることを敢えて一切しない被爆者の胸のうちにもまた、
語り部の方々とは違った意味で、
癒やし難い、根深いものがあると私は感じている。

一方、娘は、A中で原爆犠牲者をおぼえる礼拝があった。
A中は原爆で教職員生徒あわせて350名以上が亡くなっており、
以後、現在まで平和学習にはとりわけ力を入れている。
だが、意外なことに、礼拝は午後1時半からで、娘は結局、
午前8時15分には、いぎたなく寝こけていただけだった(--#)。
せっかく学校で集まるのに、朝から行かないでどうする、
と私は内心で思ったが、遠方から来る生徒も少なくないし、
8時15分に礼拝をやっていようと思ったら開始が8時になり、
早すぎて生徒が来たがらない(殴)、
ということかな、と思ってみたりもした。

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昨日8月4日は、1944年に、アンネ・フランクとその一家が、
アムステルダムで、市内駐留保安警察 (SD)によって
逮捕・連行された日だった。
翌8月5日には、フランク一家は、
ヴェーテリングスハンスの拘置所にいた。
このあと、四日後に、彼らは強制収容所へと送られることになる。

アンネの日記は、隠れ家発覚の三日前、
1944年8月1日の記述が最後になっている。
アンネはもともと、一日も欠かさず記録するスタイルではなく、
話したいことができたとき、空想上の友人キティに手紙を書く、
というかたちで日記をつけていたので、
それまでにも間が幾日も空いているというのは普通にあり、
8月2日~4日の記録が無いことは、少しも不思議ではなかった。
もし逮捕・連行がなければ、8月1日の次の日記は、
何日に、どのような内容で、書かれていたことだろうか。

私は、自分自身が14歳のときに『アンネの日記』に出会い、
皆藤幸蔵氏の訳文も含めて、その内容に強烈に魅せられた。
反戦や人類愛を謳った文章として読んだのではなく、
思春期の少女が、手近な紙に直筆で丁寧に綴った、心の記録、
という面で、私は『アンネの日記』を自分に近しいものとして愛読した。

その気持ちは、今もほとんど変わることがない。
月日は流れ、私はとっくにアンネの死んだ年を追い越し、今では、
アンネが痛烈に批判した、彼女の母親ほどの年齢になってしまった。
親の目で見ると、私が中学生の頃にはわからなかった、
彼女の未熟さや独り善がりも、読み取れるようになったけれども、
同時に、文章で己を表現することに賭けていた彼女の強い意志や、
それを見事にかたちにして残した彼女の才能に、やはり圧倒される。
彼女の書いた文章は、「自分の手で記録すること」の価値や面白さを、
十代だった私に、どのような作文指導よりも、
効果的に、明瞭に、教えてくれたと思っている。


以前に書いた、「アンネの日記」関連の記述は、こちら↓
光ほのかに―アンネの日記 (2006年10月27日)
「アンネの日記」(2006年1月22日)

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朝青龍の帰国、師匠の高砂親方が「時期尚早」(読売新聞)
『2場所の出場停止処分を受けている大相撲の横綱朝青龍について、師匠の高砂親方(元大関朝潮)は4日、現時点でモンゴルに帰国することは認めないとする考えを改めて示した。』『前夜、横綱を往診した主治医が「精神的に相当不安定で、すぐにモンゴルへ帰すべき」と語ったことについて、師匠は「処分が出てから何日もたっていないのに、そんな話が出るのは時期尚早。朝青龍もつらいだろうが、これでは何のための謹慎か分からない」と判断した。』

相撲界としては今回の処分は、事実上の引退勧告、
と言えるほどのものだそうだ。
勝てばいい・結果を出してみせれば周囲はグウの音も出ない、
という世界ではないので、処分は内容も含めて当然と私は感じていたが、
これで朝青龍という横綱を決定的に失ってしまうのは、やはり惜しいと思う。
謹慎のあと、出直せるようなかたちに、どうにか出来ないのだろうか。

・・・と思っていたら、
「そして猪木が、取りにいくらしい(^_^;」
と今朝、主人が言ったので私はオオウケしてしまった。
おいおい、そりゃ本当の話なのか?
確かに、猪木が寄ってきそうな話ではあるけれど。

朝青龍は体に似合わず気の小さい男よの、
と、猪木にしてみたら、笑い飛ばしたいところかもしれない。
巡業をズル休み→母国でサッカーをエンジョイ→バレてクビ、
何が事実かには全然関係なく、もしこれがプロレスだったら、
こんなの最高にオイシいアングルではないか。
朝青龍には不運どころか、むしろ、願ってもない、
完璧なお膳立てが整った、・・・のかもしれないな(^_^;。

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白熱電球より電球型蛍光灯!電気代節約、CO2削減にも(産経新聞)
『照明器具などを手がける家電メーカーが、白熱電球から電球型蛍光灯への「転換」を進めている。電球型蛍光灯の消費電力は白熱電球の5分の1以下で、寿命は約10倍と長いため、地球温暖化の原因とされる二酸化炭素(CO2)の排出削減につながるからだ。日本電球工業会の伊藤清文会長(松下電器産業照明社社長)は「身近な照明を見直すだけで電気代の節約にもつながる」と消費者に利用を呼びかけているほか、6月に東京都が家庭からの「白熱球一掃作戦」を打ち出すなど、国や自治体による取り組みも始まった。』

主旨には概ね賛成なのだが、「一掃作戦」なんて言われると、
ちょっと暴力的な強引さを感じる。そこまで徹底しなくて良いのでは。
現状では、白熱灯のほうが適切な場所も明らかにあるので、
「長時間点灯する」場所、例えば居間や勉強部屋、玄関灯などを、
電球型蛍光灯に変えることができれば、充分だと思う。

私は、自分なりにだが以前からインテリアには関心があったので、
照明器具へのこだわりも一通りはあり、
電球型蛍光灯は、98年から実際に使用してきた。
確かに、熱くなりにくいことや、切れにくいことは利点だった。
官舎の頃から電球型蛍光灯を、私はそれなりに利用して来たし、
マンションに来てからも、それは継続している。
ただ、デメリットも多々あり、まだまだ改良の余地は大きいと思う。

私が主観的に感じるデメリットの第一は、灯りの「色」だ。
電球型蛍光灯は、昼白色や昼光色などの本来の蛍光灯色のものは良いが、
白熱灯の色に近づけた「電球色」は、かなり珍妙だ。
私は、電球型蛍光灯の「電球色」を使っていると、とても目が疲れる。
白熱灯の明かりはハッキリした黄色で、鮮やかな色合いなのに、
電球色の蛍光灯は、なんともぼやけたダークオレンジのようで、
少なくとも私にとっては、くつろぎの色でもないし作業にも向かない。
最も単純に言うなら、白熱灯は明るいが、蛍光灯は暗いのだ。
この点を更に改善して貰いたいと、まず第一に願っている。

次のデメリットは、メーカーにもよるのだが、
概ね、電球型蛍光灯は点灯までに時間がかかる、という点だ。
白熱灯は、点灯した瞬間から満開の明るさになるのに、
電球型蛍光灯は、電極予熱時間があって、じわーーーと点くのだ。
トイレや洗面所、階段など、明るくなるまで待つなんてナンセンスだし、
滞在時間も極めて短いのだから、点灯してすぐ消灯するわけで、
申し訳ないが電球型蛍光灯の反応の遅さは、耐え難い。

三番目のデメリットは、既に皆さんお気づきの通り、
あまりにも単価が高い、ということだ。
電球型蛍光灯は、白熱灯の十倍の値段だ。
長持ちするし電気代が安いからモトは取れる、と言われるが、
我が家の家計では、電球型蛍光灯は買い置きできない高価さだ。
灯具によってワット数や機能(調光など)も異なるし、
昼白色だ電球色だとこだわるとそれだけ種類も増えるし、
定価だとひとつ2000円弱するから、六灯分だと一万円以上かかり、
そんなものを、いろいろと常備しておくことなど出来ない。

もうひとつ、主観的に感じるデメリットは、
電球型蛍光灯は耐久性の点でもうひとつなのではないか、ということだ。
長持ちする、ということはメーカーが発売時から言っているのだが、
実際に使用したところでは、それは嘘とは言わないまでも、
私には、際だった長持ちの実感までは、無い。

むしろ、点滅の繰り返しに弱いせいか、
電球型蛍光灯は結構、寿命以前に、壊れることが多いように思う。
98年に使用開始して以来、きょうまでの経験では、残念ながら、
白熱灯の十倍長持ちした電球型蛍光灯は、我が家には、無い。
それどころか、娘の部屋で使っていた電球型蛍光灯など、
買って数ヶ月のときに、点けた途端にズボ!と変な音がして、
黒い粉を噴射し、それきり点かなくなった。
汚れたシェードは捨てるしかなかった。
あれが何だったのかは不明だが、仮に不良品だったとしても、
白熱灯ならあんな壊れ方をすることはあり得ないので、
私はあれ以来、電球型蛍光灯の気むずかしさを、少し警戒するようになった。

というわけで、私は一応、電球型蛍光灯を使ってはいるけれども、
その機能に関しては、まだまだ懐疑的な点が多いのだ。
メーカーによる、更なる改善を大いに期待している。
現状では私には不足が多いが、今後、機能面が向上するなら、
電球型蛍光灯は価格に見合うだけのものになる可能性を持っている、
と思うからだ。
一掃作戦など展開せずとも、あきらかに優れた製品になりさえすれば、
ほうっておいても人はそのほうに殺到すると思う。

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神尾真由子「ジャンルを超えた演奏家に」(日刊スポーツ)
『チャイコフスキー国際コンクールのバイオリン部門で優勝したバイオリニスト神尾真由子(21)が2日、都内のホテルで凱旋(がいせん)会見を行った。』『会見には数十人の報道陣が出席。「自分でもビックリしています。プレッシャーは感じていませんが、たくさんの方の前でしゃべるのはガラではないので緊張しています」と気さくに話し、会場を和ませた。』

niftyのほうの見出しでは、これが、
『チャイコフスキー神尾 凱旋会見』
などとなっていて、しかも日刊スポーツなので、
私は、実は最初、新手の覆面プロレスラーの話かと思った(爆)。

神尾真由子さんの演奏については、私のような者でも、
コンクール優勝以来、いろいろな方からお話を伺っているので、
これからが大変、楽しみだし、様々な楽曲を手がけて頂ければ、
と大いに期待している。

『将来は編曲にも挑戦し「ジャンルを超えた演奏家になりたい」と抱負を語った。ロックにゲームと、堅苦しいクラシックのイメージを覆す。テノール歌手秋川雅史(39)の活躍で注目されるクラシック界に、新たな星が登場した。』

御本人の意欲には不安は感じないし、
硬軟自由自在の感性を持つことは、一般的には良いことだと思うが、
私が心配なのは、これからの、日本のマスコミの取り上げ方や、
ディスクの売られ方・宣伝のされ方などのほうだ。
「堅苦しいクラシックのイメージを覆す」のは全く悪くないが、
その方向性で、天分を損なわれることなく名を成した、
という演奏家を、私は残念ながら、日本では、まだ知らない。
むしろ、私が彼女に望むのは、今後も硬派の芸術家として、
一切の妥協をせずに、道を究めて頂きたい、ということだ。

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