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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



仙台より北に行くのは初めてだった。
連日の猛暑が緩んだうえに、北方向に移動したせいか、
きょうは本当に涼しくて過ごしやすかった。
いくら東北でも、猛暑の真っ最中に来ていたら、
あちこち歩いて観光することは難しかっただろう。

我々は一ノ関で新幹線を降り、JR平泉まで行って、
観光地を巡回する地元バス(名称「るんるん」)に乗った。
まずは平泉駅にほど近い、毛越寺(もうつうじ)。
本尊は薬師如来で、奥州藤原氏の二代基衡・三代秀衡の時代に、
多くの伽藍が建設されて栄えたとのことだ。
広大な浄土庭園もあって静かで美しい境内だった。

途中、広々としたお花畑のようなところを通りかかり、
娘「おっ、ねぎ畑!」
夫「アヤメじゃ!」
とガックリ来るような会話を父娘が展開していた(--#)。

東北に来た以上は、やはり手打ち蕎麦だろうということで、
昼食は蕎麦屋に入った。
主人は「おろし蕎麦」、私は「弁慶そば」、
そして娘がなぜか「ざるうどん」。
「オマエはわからんヤツやのう。なんで、わざわざ、うどんなんや!」
と主人は呆れていた。さらに、運悪く、蕎麦は主人の気に入らず、
「手で打っただけ無駄やった。機械に打たしとけっ」
と彼は食べながら悪態をついていた(^_^;。
私の弁慶そばは、なかなか、美味しゅうございましたがね。
ちなみに娘も「美味しかった♪」とご満悦だった。

お腹も張ったところで、次は中尊寺へ向かった。
バスを降りて、最初の坂道が急で、困った(爆)。
オマケに小雨が降ってきて、早く辿り着きたいのに
延々と上り坂が続いていて、なかなか終わらず、
ここまで来て、こんなサバイバルな展開になろうとは、
と我々はトホホ状態だった。
しかし、そこをやり過ごして、徐々に金色堂に近づく頃には、
なだらかで景色の良い、歩きやすい道になって来て助かった。

松尾芭蕉が『奥の細道』で、確か、
金色堂が荒れるので覆堂がつくられた、という意味のことを
記述していた記憶があるのだが、当時のものは既に解体されていて、
現在は、金色堂の周囲を囲むのは新しい鉄筋コンクリートだった(写真)。
この現代の覆堂の中で、金色堂は更にガラスケースに収められていた。
贅の限りを尽くした、内外ともに総金箔張りになっている仏堂や、
象牙や漆塗りの細工などを施した堂内の装飾など、
奥州藤原氏の栄華を今に伝えるこの国宝を、私は初めて実際に見た。

一方、ここには、清衡・基衡・秀衡のミイラが安置されている、
と私が事前に言ったので、娘はツタンカーメンみたいなものを想像し、
かなり期待していたそうで、それらの実物が見られず落胆していた。
確かに、ミイラのレプリカでも展示されていたら興味深かったかな、
と思わないではないが、しかしそういうものをオモシロ半分に見ると、
藤原氏のタタリがありそうな気も、するな(^_^;。

本堂にも参り、ここで結構時間を使ったので、
あとの観光場所は、巡回バスの中から眺めた程度で、
既に時刻は夕方近くなってしまった。
我々はJR平泉に戻り、JR一ノ関から新幹線に乗った。
余談だが芭蕉が宿泊したのは平泉ではなく一ノ関だったとのことだった。

きょうは涼しい一日だったが、いろいろと歩いて、さすがに疲れた。
一ノ関から乗って、主人と娘は持参したパソコンでDVDを観ていたが、
私はすぐ爆睡してしまい、最初の停車駅を、既に知らないくらいだった。
途中、仙台の記憶が一瞬あるほかは、全く目覚めずに大宮まで眠れて、
私はすっかり元気になった♪ あーよー寝た(*^_^*)。

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東京二泊三日のつもりだったのだが
主人が《せっかく来たんだから、ついでに》と
東北への小旅行を付け足すと言い出し、
きょうは朝から東北新幹線に乗った。
日帰りで、今夜はまた東京に戻ってもう一泊する。

私は東北というと、2000年の宙全国ツアーで
仙台と郡山に行って以来だ。

ときに昨日のWAOコンなのだが、
たかこさんの大いなるチャレンジ精神と並々ならぬ意欲には感服した。
ただ、私にとっては別段魅力ある選曲とも言えないものがいくつかあった。
それらは、つまるところ、
是が非でも和央ようかで聴きたい!と思う曲ではなかった、
ということだ。
どれがそうだったかを書いてしまうとネタバレになるので、
初日明けの今はまだ書かないことにするけれど。

その一方で、もちろん、震えが来るほどイイところもたくさんあった。
これまたネタバレになるので、どこでドキドキしたかが今は書けないが、
こういう芸風は和央ようかならでは!と
嬉しかった箇所がいろいろとあったのは良かった。

全体的には、聞き手としての私には、
一度では消化不良な気分が残ってしまったので
できたら二度聴きたかったコンサートだった。
たかこさんは、やはり飽くまでも和央ようかであって
女優でもなければ男役でもなかった。
あの独特の雰囲気はこれからもなくして欲しくないと思った。

ということで、それでは、
これから平泉に行って参ります。

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二日目。
主人は朝から「ちょいと出かけて来る」と外出し、
一時間ほどで戻ってきたので、何をしてきたのかと問うたら、
「築地へ行ってきました♪」。
なんというマメな人間だろう、朝食のために築地まで行くとは。
「でもお盆だから休んどる店が多いし、ネタも少なかった」
さいですか(--#)。
「観光客の外人さんらも居てね~。店がやってなくて気の毒だったよ」

やがて娘が起きだし、娘と私で朝食を取ったあと、
昨日に引き続き、娘はホテルのプールで泳ぐと言い出した。
きょうは主人が一緒に泳ぎに行ってくれたので、
私は部屋で涼んで待っていたが、二人は2時間、帰ってこなかった。

そのあと、宿泊先とは違う某ホテルの昼食バイキングを
お馴染みのデザイナー友人S氏と一緒に家族で楽しんだ。
この面々で食事をするといつも感じることなのだが、
友人S氏と、我が家の主人と娘とは、底無しに食べられる人々で、
完全にバイキングのモトが取れ、ほとほと感心させられる。
特に友人S氏は驚くほど健啖家なのに、スレンダーで素晴らしい。
一方で私は、どうも「食い負け」してしまって不本意だ。
もしかして私って、体型に似合わず小食な人間なのかもしれない。
みんなは4皿5皿と平気な顔でリピートできるのに、
どーして私は2皿半でフィニッシュになってしまうのか(殴)。

さて、楽しい昼食が済んで、主人は単独行動になり、
お仕事のある友人S氏とも名残惜しかったがここでお別れ。
娘と私は、New Yoka 2007の行われる有楽町に向かった。
正直なところ私は、娘には一緒に来て貰わなくてもよかった。
というか私ひとりでNew Yoka 2007に浸れば文句なしだったのだが、
「たかちゃんが、今、どうしているのか、観る」
と娘が大変に積極的なことを言うので、
彼女にも結局、チケットを買ってやったのだった。
娘は私が連れ歩いたので、たかこさんが二番手の頃から
あちらこちらでかなりの舞台を観て来た。
決して大ファンというわけではなかったはずなのだが、
現在のたかこさんに、それなりの愛着は感じているようだった。



(つづく。このあとNew Yoka 2007)

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昨夜の花火は素晴らしかった。
三塁側だったが有料観覧席を奮発した甲斐があった。
だが、いかんせん、暑くて暑くて暑くて。
私は暑さに強いと言い続けて来たが撤回する。
今年の暑さは異常だ。

神宮球場でのアトラクションには、ゴダイゴのライブがあって、
私としてはこれが結構大きな目当てでもあったのだが、
久々に聴く生のゴダイゴは、やはり、なかなかに良かった。
私はこの年齢の人間の(一部の)例に漏れず、ゴダイゴには詳しくて、
今でも大半の曲が英語で一緒に歌えるくらいだ。
今回の選曲は、70年代後半のヒット曲ばかりで、
『モンキー・マジック』『君は恋のチェリー』『ガンダーラ』
『ビューティフル・ネーム』『ホーリー・アンド・ブライト』、
そして最後が『銀河鉄道999』ということで、
勿論、全曲、一緒に歌った。
こういうところに新曲などを持って来ないのが、さすがだった。
ただ、当時に較べるとタケカワ氏のキーが全体に下がっているので、
声を張って盛り上がりたいのに、どの曲も音が低くてちょっと困った。

最後の、銀河鉄道999が終わると同時にライトが落ちて、
花火が盛大に上がった。2万人の会場は大歓声だった。

花火のあと高田モンスター軍VSハッスル軍の特別カードがあったのだが
あまりの暑さにクラクラ来て
高田総統にお会いするのは断念して帰った。
もったいなかった。
インリン様にもお目にかかれなかった。
まあ花火前のアトラクションで叶美香を見たから、いいか(違います)。

ゴダイゴを聴いて、妙に浮かれた気分だったので、
つい、神宮から原宿まで歩いてみようという気になったのが失敗で、
私は暑くて暑くて暑くて死にそうになった。
途中、耐えかねて、涼を取るためにコンビニに駆け込んだりした。
夜になってもこんなに暑いなんて、本当にヒドい気候だと思った。

ゴダイゴがヒット曲でタイムスリップ (日刊スポーツ)

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お天気ももって、盛大な花火があがった。

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朝8時過ぎの新幹線で広島を出て、お昼に品川着。
チェックインしたあと主人はさっそくグルメの旅に出たので
娘と私はホテルで軽食をとり、
ホテル内のスカイプールへ。
娘だけが泳ぎまくり、私はプールサイドで、のたのた。
今夜は神宮で花火を見る予定なのだか
なんだか空が雲ってきて、ちょっとヤな感じ…。


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明日から東京に行くことになっている。
目的は私の、神宮球場での花火と、和央ようかコンサート、
なのだが、かたちとしては家族旅行だ。

自分で企画しておきながらバチあたりなのだが、
私は実は、旅行の前日や当日になると、
たいてい、わ~ず~か~に、気分不良になる。
勿論、体は動くしどこかが急激に悪くなるワケではないのだが、
腸の具合がどうももうひとつとか、なんだか頭痛がするなとか、
そんな程度の、地味な体調不良を感じることが多い。
我ながら矛盾した話なのだが、要は旅行が負担になってきて、
行かずに済んだらラクだろうな、などと思えて来るのだ。
なら、最初から計画しなきゃいいのに、私はバカじゃなかろうか。

この傾向は、年を取ったからではなくて、二十代の頃からそうだった。
私はかなり出歩く人間だったのに、実に変な話なのだが、
若いときから、出かけるのに気分爽快だったことなんて、
数えるほどしかなかった。
単に、コンサートなどの日取りが決まっているから出発しただけで、
ポゴレリチを聴きに行くというのに、あんまり体調が良くない、
というのはしょっちゅう経験したし、
野音で清志郎を聴くのに、なんか気分悪くなりそ~と思ったことも、
幾度かあった。始まってしまえばそんなこと関係なくなったものだが。

ったく、私はどうなっているんだ、と、かねがね思っていたのだが、
先日、ネットを見ていたら、こういう、外出前限定の体調不良は、
割と普通に他の方々も経験なさっているのだということがわかった。
宝塚関係の掲示板で、「楽しみにしていた観劇なのに、
行くと思うとにわかに負担になり、いつも体調が悪くなる」、
というカキコミをしたヒトがあって、それに続いて、
「私もです」「同じです」
というレスが複数、続いていたのだ。

考えてみたら、不慣れで不自由なところに寝泊まりすることや、
人混みで思うように動けずにくたびれることは、
心身ともに(金銭的にも)、シンドくて当然なのだ。
それを思っただけで、出発前から憂鬱で、気分が悪くなって来る、
というのは、つまるところ、軽い心身症みたいなものだろう。
それを越えても手に入れたい楽しみがあるから出かけるわけで、
そうでなければ、家で寝そべっているほうが安楽に決まっている。
このシンドさを越えさせてくれる娯楽が存在しなくなったら、
私は、もうずっと、家でごろごろする女になることだろう。

というワケで、きょうも私はなんとなく低調なのだが、
私を呼び出してくれる、たかこ(和央ようか)さんが居ることを
とても有り難いことだと思い、旅行の支度を、さきほど終えた。

逝ってきます(爆)

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昨日の記事で森雅裕氏のことを少し書いたが、
モーツァルトは子守唄を歌わない』も、
その続編『べートーヴェンな憂鬱症』も、
考えてみたら私にとっては80年代の思い出なので、
出会って既に二十年が経過した作品だった。

ベートーヴェンと、弟子のチェルニーが、
難事件に巻き込まれては、探偵よろしく謎解きをしていく話で、
出てくるエピソードには、史実とされていることもあれば、
作者の創作の部分もあるのだが、
音楽愛好家にとって実に楽しい読み物であるだけでなく、
音楽的な背景を抜きにしても、一般的な娯楽読み物として、
テンポの良い、痛快な展開で、大変面白かったと思う。

本筋とは関係ないのだが、私にとって特に忘れられないのが、
『ベートーヴェンな憂鬱症』の最初に収録されている、
短編『ピアニストを台所に入れるな』で、
何が印象的だったと言って、この中に出てくる、
『ピアノソナタ月光』創作のエピソードだ。
なんとここでベートーヴェンは、このソナタは、
「ヘタなジュリエッタでも弾けるように書いてやった」、
という意味のことを言っていたのだ。

月光、・・・・・。
確かに、第一楽章は丁寧に譜読みをすれば、
出てくる音符をその順番に押さえることは、ヘタでも出来るかもしれない。
しかし、あれほどに複雑で、テーマすらない、つかみ所のない第一楽章が、
「ヘタな」人間に弾けたりするだろうか?

第二楽章になると、リズム感だけでも相当、卓越したものが要求される。
第一楽章の終わりと、第二楽章の出だしの関係について、
いつぞや、ザラフィアンツ氏がご自身の講座で、
かなり時間を取って実演までして語っていらしたものだが、
どうやって第二楽章を始めるかだけでも、半日は考えたい問題だ。

更に、第三楽章になると、いくらアルペジオの連続だからと言っても、
あの速さで弾くのは、「ヘタな」人間には不可能と言っていいだろう。
表示速度で、譜の通りにハズさずに弾くだけでも、
技術的にかなり高いレベルだと言わねばならないと思う。
私などには勿論、弾けません(泣)。

ベートーヴェン先生の「ヘタ」の基準って、何(^_^;。
そばで天才児チェルニーが暗譜でばりばり弾いていたせいで、
その他の学習者は、どんなに上級レベルでも
全員「ヘタ」に分類されていたとしか思われない。

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午後、姑は元気よく特養に戻り、
我々はあとを片付けて、夕方前にマンションに帰り着いた。
どう考えてもたいしたことはしなかった筈なのだが、
暑さのせいでかなり疲れた四泊五日だった。

さて帰宅してみると、郵便物がいろいろと来ていた。
娘のやっている某通信添削会の月刊誌を開けてみると、
宙のタニちゃん(大和悠河・やまとゆうが)の記事が出ていた。
目標を持つこと・前向きに努力することが自分を支えてくれたとか、
中学時代は、宝塚受験のために、稽古も勉強も手抜きせず頑張った、
などなど、タニちゃんのアドバイスや体験談が
いろいろと書かれた記事だった。

写真を見て、やっぱりタニちゃん綺麗だな~と思った。
私が以前、心密かに妄想していたのが、
森雅裕『モーツァルトは子守唄を歌わない』を
宙のバウホール(またはDC)でやって欲しい、ということで、
たかこさんがベートーヴェン、タニちゃんがチェルニー、
という組み合わせで演れば年齢差もぴったり(殴)ではないか、
と思ったものだった。
美男で口八丁手八丁で痛快な台詞を吐きまくるチェルニー、
タニちゃんならピタリと演じてくれそうな気がしたのだ。
今となっては、もう実現しようもないキャスティングだけれど。

と、それはともかく、これが某K文式あたりの機関誌なら必ず、
《そんなとき力になったのがK文式でした》
みたいなオチが用意されているものだが、
タニちゃんがこの某通信添削会の会員だったという話は
最後まで読んでも、残念ながら出ていなかった。
つまり、通添そのものとは、あんまり関係なかった(^_^;。

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再会  


やもりん何号かは不明だか、久々に台所の窓に来ていた。
名前の通り、《家守》をしてくれているみたいで
この子たちに会うとなんだか和む。

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