転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



小倉千加子 著『宙飛ぶ教室』をネットで購入した。
『一冊の本』連載時に、たかこ(和央ようか)さんについて
小倉氏がかなりの熱意を持って書いて下さっていて、
その部分だけは先に、友人某氏の尽力により読ませて頂いたのだが、
全編を通して読むのは、単行本になった今回が初めてだった。

読んでみて、とても疑問に思ったのだが、この一連の文章は、
一体、どのような読者を想定して書かれたものなのだろうか。
少なくとも、私のように、氏の著作についての知識が乏しい者は、
その対象から除外されているように感じられた。

話が唐突で、前提に関する説明が一切なく
(最初の章からして、氏が大阪出身で、その後、名古屋や東京に、
どのようないきさつで住んでいらしたかを知らない者には、
ほぼ完全に意味不明だと思うが、違うだろうか?)、
情報はわざと伏せられていていずれ判明する手法なのかと、
続けて読んでみたが、結局、最後まで不明なままで行ってしまった、
という箇所が、いくつもあった。
また、ひとつの章の中で、話題があちこちへと自在に飛んで、
こういうばらばらな話のオチが最後につくのかと思って読んだら、
決着は、また突然新しいところに行って終わった、
みたいなのも、一度ならず、あった。

小倉氏にとっての、『当然わかっていること。言うまでもないこと』
の部分を共有していない者には、非常に読みにくい本だと思った。
氏は、私のように『わからない。予備知識が少ない』者に対して、
わかるように言葉を尽くすことは、不必要と思われているようだ。
これは、もしかしたら、小倉氏の昔からの読者とか、
常日頃身近に接していらっしゃる範囲内の友人知人に宛てて、
ごく私的な感覚で書かれた文章なのではないだろうか。
そうだとすれば、前提に関する解説などクドいだけなので、
言いたいことを言いたい順番に書かれたように見える構成も、
それなりに意味があるのだろうと思った。

とすると、小倉氏が、たかこさんについて書かれた箇所を、
連載当時、私が曲がりなりにも読むことが出来たのは、
私が、小倉氏の文章では説明されていない多くの事柄を、
たかこさんに関して、既に予備知識として知っていたからなのだ。
もし私がこれほどシツコい和央ファンでなかったら、
あのとき書かれたことの意味は、自分なりに理解することすら、
ほとんど無理だったのではないか、という気がした。
その証拠に、・・・というのもおかしいかもしれないが、
私は小倉氏が、わたる(湖月わたる)くんの何を、
そのように否定なさっているのか、
この単行本を読んだ範囲では、全然理解できなかった(^_^;。

この件は、機会があれば、また、いずれ。

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