転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



このところ、姑はずっと変わらず元気ではあったのだが、
いつ行っても、もう、話が支離滅裂で、全然つながらず、
私にとって、オモシロいことが皆無に近くなっていた。

だが、きょうは、ちょっと違った。姑は私を見ると、
「あんたぁ、これ、これ見てみんさい!!」
と笑顔で元気よく、自分の髪を指した。

私「髪、少し伸びましたね」
姑「ほうよ!ここなんか、ほれ、こんなに短い!!」
(↑全然『ほうよ』とは相容れない返答だが、気にしてはいけない)
私「短いですか?でもきっと、すぐ伸びますよ。
 今だけ、ちょっと辛抱して下さいね。
 今度は、どんな髪型がいいですか?」
姑「ほうじゃね。前髪がね・・・」
私「はい」
姑「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
私「前髪、が・・・・?」
姑「前髪が、短いとね」
私「はい」
姑「たこはっちゃん。ふふふふふふ」

なんですか、それは

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……というほどではないのだが、私には当たり前だったことが、
世の中では全く当たり前でなくなり、様変わりしていた、
ということに、最近、いくつか気づいたので、書いておく。

中1時代、中1コースなどが廃刊になっていた
旺文社と学研がその昔、中1~高3・大学受験生までの、
各学年向け学習雑誌を出していたものだった。
旺文社が○○時代、学研が○○コースという名で、
特に新中1生に対しては、年間定期購読を予約すれば万年筆プレゼント、
みたいな特典を用意して、それなりに競い合っていた記憶があるのだが、
ふと気づいてみれば、今、これらの中で生き残っているのは、
旺文社の蛍雪時代だけなのだった。
学研では、学年誌のかわりにコギャル養成系雑誌が創刊されていた(--#)。

旺文社大学受験ラジオ講座が既に終わっていた
大学受験用学習講座の通称「ラ講」が、95年3月26日に終了していた、
ということに、遅まきながら私は昨日、気がついた。
私が受験生だった、今から四半世紀前のこと、うちの田舎にも
『生徒の駿台、講師の代ゼミ、机の河合塾』
と、各予備校のどこが、それぞれの強みでありウリであるかについて、
それなりに評判が聞こえてきてはいたのだが、
広島の中心部でさえも、当時あったのは、このうち『机』だけだった。
まだまだ全国展開の予備校などは少ない時代だったのだ。
だから、私の受験勉強の指針となるものを提供してくれたのは、
ラジオたんぱ(←文化放送が入らなかったから)の『ラ講』だった。
都会の一流予備校の講義に匹敵するものが、実に安く聴けたのに、
支持されなくなったとは、大変に勿体ないことだ。
更に、今は、その「ラジオたんぱ」すら社名変更してしまって、
ラジオNIKKEIと称していることを、私は今日初めて知った。

NHK教育テレビ ロシア語会話が冷遇されるようになった
かつて私がロシア語を勉強していた頃、NHK教育テレビは学習の友で、
早朝の放映のほかに、夕方6時半だか40分だかに再放送があるのを、
欠かさず観ていたものだったのだが(ローザ姉川先生の時代です)、
きょう、書店でロシア語会話のテキストを手にとってみたら、
なんと現在は、金曜日の早朝5:30~5:55だけで、再放送は無かった。
ロシア語会話など視聴する人は普通いない、的な冷遇を感じた(T.T)。
ちなみに、「セルビア語・クロアチア語講座」をやって欲しい、
というのは私が二十年前からNHKにときどき送っている要望なのだが、
まったく実現の気配がない。この際、放送は丑三つ時でもいいのだが。

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ひょんなことから、主人と『キャプテン翼』の話で盛り上がってしまった。
コアなファンの方にとっては、いずれも今更な話題ばかりだと思うが、
私は何しろ、80年代半ばに、テレビアニメで見ていた時代が主体で、
あとはほとんど離れていた人間なので、
久々に聞く彼らの消息は、まるで同窓生のその後を聞くような、
奇妙な懐かしさがあって、根掘り葉掘り尋ねてしまった。

尤も主人のほうも、現在進行形の熱心な読者というわけではなくて、
本誌はたまに読むだけで、あとは主として○ちゃんねるで
笑いのネタとしてエピソードを仕入れているらしいので、
結局、彼の方も同窓生の誰彼を直接知っているというより
半端な情報通で噂に詳しいレベル、でしかないのだった(^_^;)。
だから彼の話もまた、極めていい加減で、不確かなものが多かった。

私「翼くんは今、なにしてるの?」
夫「外国へ行った。スペインかどっか」
私「中学校を出てサッカー留学したってこと?」
夫「全日本に入って、まあ、いろいろ。子供も出来たらしい」
私「・・・・・・・・・・・・・」
夫「翼の子供についても、番外編やらいろいろ出てるらしいが、
 名前が、『大きく舞う』と書いて『だいぶ』だとか」
私「『おおぞらダイブ』。DQN過ぎる(T.T)」

私「私はねー、翼くんより日向小次郎のほうが好きだったんだよ」
夫「皆、そう言う」
私「そうか(^_^;)」
夫「翼はキショいじゃん。ボールが友達、とか言うたり。
 挫折せんし。いつも天才で、ムナクソ悪いんよ、どうしても」
私「まあ、実につまらん優等生キャラだとは思うが。で、小次郎は」
夫「さあ?どっかで特訓しよるんじゃないんか」
私「ほとんど業務上過失傷害なショットを編み出すのかな。
 彼は確か、親がいなくて、幼いきょうだいがいっぱい居たかなんか」
夫「だったら、ふらふら放浪しとる場合じゃないじゃん!」
私「そだね(^_^;)」
夫「左門豊作(@巨人の星)はそんな男じゃなかったぞ!」

私「岬太郎くんは?」
夫「え~っと、心臓病のヤツだっけ」
私「違う。中学時代、翼とゴールデンコンビだった・・・」
夫「ああ。もう、顔が同じだから混乱して(^_^;)」
私「岬くんは活躍してんの?」
夫「それがさ。足を怪我して、もうプレイが出来なくなるとかどうとか」
私「ありゃ~。星飛雄馬(@巨人の星)みたく、限界までやっちゃうの」
夫「っていうか月影先生(@ガラスの仮面)っぽく、
 ナイスなタイミングで足が痛くなって、また治ったりとか。
 でももう、今度発作が起きたらもうプレイは駄目らしい。
 なんか、そういうフラグが立ちよるんかなーという感じ」

私「そしたら、若林くんは?」
夫「全日本で活躍しよったが」
私「彼は偉大なキーパーだよね」
夫「スーパーグレイトゴールキーパー、だったかな?
 SGGK!SGGK!って、スタジアムで観客が連呼するんよ」
私「彼は人間的には珍しくマトモなキャラだよね?」
夫「ん~。でも外国行ってからは、苦労しよる。
 監督と口論して、ホされたり、とか」
私「口論するほど、語学が出来たのか・・・・」

私「じゃあ、若島津くんは」
夫「フォワードしよる
私「うそ~~~!!!キーパーじゃん、彼!!」
夫「転向したんよ(^_^;)」
私「失点多すぎてキーパーは駄目だったのか?FWは務まってるのか?」
夫「心配ない。漫画でフォワードは層が薄いから、キャラ投入」
私「~~~(^_^;)」
夫「もともとゴールほったらかしで、よく攻めに行っとったろ」

私「石崎くんは」
夫「翼と一緒に、全日本に入った」
私「もとはと言えば、近所のボール蹴りの仲間なのに?」
夫「ほうよ。それがどうして全日本にまで行けるかと」
私「早川みどり(@アタックNo.1)だって全日本ジュニア止まりなのに!」
夫「顔面ブロックしよるような人でも、幼馴染みだから入れたらしい」

うぅむ。
相変わらず、実にブッ飛んだ漫画だということがわかってきた。
そういえば、テレビアニメのときの主題歌の歌詞も凄くて、
「ちょーちょーサンバっ ジグザグサンバっ♪」
というのが何の話だったのか、未だに謎だし、
「あいつの噂でチャンバも走る♪」
の『チャンバ』って誰(何)なのか、もっとわからないままだ。
『ばーちゃん』のことだという説もあったが、納得できないし。
確か、これ、二番の歌詞では、謎が解けるどころか更に深まり、
「猫もくわえた サンマを落とす♪」
というのまであった筈だ。念のため言うが『キャプテン翼』だぞ?
竹本孝之が歌ってたんだと思うが(^_^;)、・・・気の毒に。

私「あの主題歌の、ちょーちょーサンバ、ってのは何?」
夫「知らんけど、サッカーだから、南米で、サンバ」
私「そ、そーだったの(^_^;)?」
夫「それしか無いだろ」
私「ジグザグは、ドリブルだと思うけど、ちょーちょー、ってのは?」
夫「サンバっていうと、なんか、こう、蝶々のイメージじゃん」

そうか~??
それは、サザンクロス・レビュー@宝塚に毒されているだけでは??

とゆーことで、今ひとつ疑問が残ってしまったのは、
心臓病を克服した?三杉淳くんが、その後、どうしたのか、
大空家にあつかましく居候していたサッカー選手の、
ロベルト本郷は、今、何をしているのか(^_^;)。

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金曜日に帰ってきたとき、主人が言っていた。
「昼に、裁判所の前を通ったら、テントが異様に並んどって、
なんか重大な事件の判決でも出るからマスコミが張っとるんか、
と思ったら、フードフェスティバルじゃった」

そうなのだ。この土日は、広島ではそれなりに盛り上がるイベント、
『ひろしまフードフェスティバル』が広島城~RCC前で開催されていた。
あたりが歩行者天国になり、県内各地の名産が露店で販売されるのだ。
主人も私も、それほど関心を持っていたわけではなかったが、
娘のほうは、行く気満々だった。

ので、きょうは昼前から、娘と私とで出かけた。
娘には実はハッキリとお目当てがあって、それは、
昨年も買った、なんとかいう、特別なソフトクリームだった。
バニラかヨーグルトかを選び、更に何種類かあるフルーツから三つを選び、
それらをブレンドしてソフトクリームにしてくれる、というものだ。
昨年食べてみたら、感涙モノのおいしさだったのだそうだ。

広島城に近づくと、人通りが多くなり、
お堀端に渡って露店が並ぶところまで来たら、
もう、勝手に前進も後退もできないくらいの人混みになった。
店は、広島城のお堀をぐるりと取り囲むようにたくさん出ていて、
目的のソフト屋さんがどこにあるのか、見当もつかなかったが、
まあ基町側から攻めてみるかと、適当に歩くことにした。
適当にと言っても、つまり、人混みに従って流されるだけだ。

「あっっ!!今、持っとる人が、おった!!!」
めざとい娘が、道行く人の持っているソフトクリームに目をつけ、
それこそが、自分の探し求める品だと言った。
「こっちだ!!」
と人混みをかき分け、娘が示す方向に、私も、ひたすら従った。
人に当たって『すみません』と恐縮し、
バギーの車輪に蹴られて『すみません』と謝られ、
さんざんな思いをして、ワケもわからず進んで行くと、
本当に、ソフトクリーム屋が、あった(爆)。
恐るべき、動物のカン!!

娘は、『うまうま猫』のごとき感激の仕方で、
「あうあう♪オイシイよぉ♪ありがとう、おかーちゃんっ(T.T)」
と、あこがれのソフトクリームを存分に、なめた。
「きょうは最高の日曜日だったよ!!みーちゃんシアワセ!!」

私としては、娘の切望していたものが意外と簡単に見つかって、
本当にシアワセだった。
ない!ない!とお堀端を何巡でもさせられたらどうしよう、
と心配だったのだ(^_^;)。
「尾道ラーメンの隣だな、覚えておこう!!」
と娘は言った。来年も来るつもりらしかった。

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午後から、A中学入試説明会に、ちゃんと化粧して行った。
学校名としてここで使っているアルファベットは、例によって「行った順」だ。
娘の希望校の中で最初にオープンスクールに行った学校なので、
ここではA中学と表記しているが、あ音で始まる学校名ではない。

キリスト教系の私立女子校で、中高6年の一貫教育、
という点は先日のB中学と同じだが、A中学はプロテスタントだ。
そのせいかどうかはわからないが、雰囲気的にはノビノビしていて、
生徒たちが、お気楽に愉快に過ごしている様子が伺われた。
校長先生は、「学校は、まず、楽しいところ」であって欲しい、
と言われ、生徒の自由な表現力を大事にしている、とのお話があった。

学校生活全般、教師と生徒の距離が近く、和やかで、
生徒主導で先生を対象に『チョイ悪オヤジコンテスト』があったり
(「栄えある一等賞に選ばれたのはワタシです(^^ゞ」
と、きょうの会で、某英語教諭の先生が仰っていた)、
英語合宿のためにわざわざ揃いのTシャツを作ったりと、
「なにごとにも、ちょっと遊び心をプラスして」
というのがこの学校の感覚だと、学校説明担当の先生も仰った。

学習面では昔から英語学習がこの学校の「ウリ」で、
一年生の初めから少人数授業、毎日1ページずつのノート学習、
途中からは原書の10分間読書や、英検受験なども加わり、
英語方面に進むか否かは全く関係なく、全生徒に対し、
「卒業後60年は続く英語人生」を想定して指導している、
とのことだった。

学校生活の土台となっているのは言うまでもなくキリスト教で、
毎朝が礼拝から始まり、生徒全員で賛美歌を歌い、
一日の終わりもクラスごとの祈りで締めくくる、ということだ。
信者でない生徒が多く、入学時に初めてキリスト教に触れた子が、
恐らくほとんどだろうということだったが、
宗教活動というだけでなく、幅広い情操教育や道徳教育として、
日々の祈りや賛美歌が位置づけられているのだそうだ。

このA中学は、我が家と同じ区内で、簡単に徒歩で行ける近さだ。
出願手続き・受験票送付・合否通知が、郵送のみとなっているのだが、
我が家なんか、走っていってシロクロつけたほうがよほど早いので、
なんでわざわざ学校より遠い郵便局まで出しに行かねばならんか、とか、
郵便局経由の速達を待つより、自分で学校まで貰いに行けばすぐなのに、
等々、入試の時期になったら、もどかしくてイライラしそうだ(爆)。

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かなり以前に買ったまま、きちんと観ていなかった、
DVD『ラ・バヤデール』(英国ロイヤルバレエ・91年)を、昨夜、観た。
王宮の踊り子ニキヤ役にアルティナイ・アスィルムラートワ、
兵士ソロル役は、イレク・ムハメドフ。
ナタリア・マカロワの演出で、カーテンコールでは彼女の美しい姿が見られる。
また、芸術監督のアンソニー・ダウエルも僧正役で出演している。

「ラ・バヤデール」は、たとえば「白鳥の湖」と較べるならば、
日本で有名な作品とは言えず、上演の機会もそこまで多くないと思う。
しかしこの作品は実に見どころが多いし、
物語としても、舞台上には様々な人間の思いが渦巻き、
なかなかに見応えがあると私は思う。
設定は、古代インドで、兵士ソロルと、舞姫ニキヤが、
身分を越えて永遠の愛を誓うが、周囲の妨害でふたりは苦悩する。
ソロルを愛する、社会的地位の高い令嬢のガムザッティ、
ニキヤに横恋慕しソロルを憎む大僧正。
エキゾチックな王宮や、深い森、死後の世界「影の国」など、
幻想的な場面が次々と展開される。

この作品を初めて観たのがいつだったか、どこの公演だったか、
誰がニキヤとソロルを踊っていたか、全然思い出せないのだが、
なんであれ、テレビか何かで観たことが、以前あったと記憶している。
ただひとつハッキリしているのは、私の頭の中では、
この作品の題はフランス語の「ラ・バヤデール」でなく
ロシア語の「バヤデルカ」が初期設定になっていることで、
そこから考えると、多分、最初に観たものは、
ロシア系のバレエ団の公演だったのだろう、と思われる。

二幕の『影の王国』の場面だけを取り出したかたちでは、
ガラ・コンサートや青山バレエ・フェスティバルの録画などで、
もっと何度も観たことがあったと思うのだが、
全幕としては、もしかしたら、今までには、
その、いつの記憶がわからないロシア系バレエ団公演のと、
今回の英国ロイヤル・バレエのDVDとの、
たった二回しか、観たことがなかったかもしれない。

その少ない鑑賞経験の中で思ったことを書いてみたいのだが、
まず、私は、この話の主人公は、ニキヤとソロルではなく、
ガムザッティではないかと思えてならない。
藩主の妹で、華やかな美貌と強い気性を持つガムザッティは、
愛するソロルが先に踊り子ニキヤと愛を誓い合っていたことを知り、
ニキヤと直接対決をしてソロルへの自分の愛を宣言をしたうえ、
ニキヤが毒蛇に噛まれて死ぬように、彼女を罠にはめる。

設定としてはヒロインを害する悪役なのだろうと思うのだが、
実際にバレエの進行を眺めていると、ガムザッティは鮮烈だ。
このDVDでは特に、ダーシー・バッセルが
あまりに名演だからというのもあるが、
しかし構成上も、ガムザッティは出番が非常に多いし、
二幕ではソロルとの、ほぼ完全なグラン・パ・ド・ドゥがあり、
グランフェッテまで披露しており、これでもか!な見せ場が満載で、
ニキヤよりある意味ずっと正統派ヒロインの場面構成ではないか、
という気がする。
何より、バッセルの演じるガムザッティは一途で可憐だ。
純な令嬢だったからこそ、男性への思慕のあまり我を忘れたのだ、
という哀しささえ感じさせる。

更に、私はもっと根本的なところで物語を誤解していた、
ということに、今回、遅まきながら、このDVDを観ていて気づいた。
どう考えても、この話の結末部分を間違えて覚えていたようなのだ。
ソロルとガムザッティの婚礼の場面が、最後、
何か崩壊したようになって終わり、
ソロルだけが、白い雲の中、ニキヤと薄布で結ばれて、
ニキヤに導かれるように天に昇る、という感じになるのだが、
私はずっと、あれは亡霊ニキヤの祟りだと思っていたのだ。

亡霊ニキヤがどんなに誘惑しても、
ソロルが結局ガムザッティと結婚式を挙げようとするので、
恨みの権化となったニキヤが、すべてを破壊して婚礼をぶちこわし、
屍となったソロルだけを拾い上げ、喜々として布にぶらさげて、
黄泉の国に連れ帰っていくのがラストシーンだと、
私は、本当に、昨夜午後8時45分まで誤解していた。
物凄い怪談だと思い込んでいたのだ。

本当は、違った。
解説書によると、最後はニキヤの亡霊が何かをしたというのではなくて、
神様が、勝手なことばかりする人間に対してとうとう怒りを炸裂させ、
雷鳴とともにすべてが一瞬で破壊されて皆が死に絶えてしまい、
魂となったソロルは、現世のしがらみから解放されて天に昇り、
純粋なる愛のもと、今度こそニキヤと永遠に結ばれる、
というラストシーンなのだそうだ。

・・・うぅむ。
長年の誤解のゆえか、どうも、釈然と、しない(爆)。
人間が勝手なことばかりする?そうだろうか?
もとはと言えば、全部ソロルが悪いのでは(爆)?

私は一応、女だが、美しい女性に心引かれるソロルの気持ちは、
これでも、ある程度は想像できるつもりだ。
ニキヤを愛しているのは決して嘘ではないのだが、
ガムザッティだって美貌だし、その上、身分制度上の制約もあるし、
現実にはなかなか、最初に誓った愛だけでは動けないのが男だ、
と彼なりに苦悩していることは、想像に難くない。

だが、ふたりの女性にふらふらした挙げ句、
どちらからも恨まれただけでなく、自分が一番不幸になっている、
というソロルの要領の悪さというか、ヘタクソさ加減がヨロシくない。
挙げ句に悩んでアヘンに逃げて、影の国で元カノと踊るなんて。
あかんたれやな、ホンマに!
女二人にもっとそれぞれ良い思いをさせてたっぷり遊んで、
バレたら潔く両手をついて謝り、花束(毒蛇ナシよ)でも贈らんかい!
度量のないヤツが身分不相応な二股かけるから、みんな大迷惑だ!
・・・という方向の怒りが、私には、あった(^_^;)。
私を怒らせつつ、しかしソロルの苦悩をもわからせた、
ムハメドフは、なかなか細やかな演技をしてくれた、
ということかもしれないが(^_^;)。

しかし何より、私にとってこのDVDが宝物なのは、
ニキヤを踊っているのが、女神のようなアスィルムラートワだ、
というのが大きな理由だ。
私は、短い間だったがアスィルムラートワが大好きだった。
異国風の美貌、凛として強い視線、情緒あふれる踊り、
高度なパでもピタリと決められる、全身の強靱なしなやかさ。
私にとって、女性ダンサーのひとつの理想型が、彼女にはあった。
最も美しい時期に咲き誇るように踊り、見事に引退してしまった彼女は、
私にとって今もなお、夢か幻のようなダンサーだ。
それゆえに、彼女の姿をとどめるDVDは貴重だと思っている。

YouTubeで探してみたのだが、アスィルムラートワのニキヤは、
良い映像が見当たらなかった。
ので、彼女がどういうダンサーだったかをご覧頂くために、
別の演目なのだが↓を一応、貼っておきます(^_^;)。

アスィルムラートワによる 「葉は色あせて」(YouTube)
(一緒に踊っているのは彼女の夫コンスタンチン・ザクリンスキー。
ご夫婦の間には、お子さんもあり、大変お幸せであるとのことだ)

最後に、このロイヤルのバヤデルカで、もうひとつ注目すべきことは、
三幕冒頭の輝く仏像ブロンズ・アイドルの役で、
まだ十代だった熊川哲也が出ている、ということだ。
このとき熊川哲也19歳、プリンシパルに昇格する二年前の映像で、
彼の地位はファースト・ソリストあたりだったのではと思う。
ブロンズ・アイドルの出番は一度しかなく、数分間のソロひとつだ。
しかし最初に飛んだ瞬間から、舞台の空気が完全に変わってしまい、
熊川哲也の強烈な才能を、やはり痛感させられる。
目の眩むようなパの連続ののち、何事もなかったかのように、
ブロンズ・アイドルはもとの坐像の姿に戻るのだが、
客席の怒濤のような拍手とブラボーの嵐は、しばらく止むことがなく、
この時点での熊川への支持が、既に絶大だったことが伺われる。

YouTubeでは、このブロンズ・アイドルの映像は見つけられなかったが、
かわりに、主役のソロルのバリエーションを踊る熊川哲也を発見した。

熊川哲也によるソロルのバリエーション(YouTube)←圧巻!

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就職して最初に入ったアパートは、今で言う、ワンルームだった。
新築ではなかったし、単身者用の、ごく安い物件だったが、
曲がりなりにも固有の湯沸かしと風呂とトイレのある部屋を借りられたのは、
「ああ、これが社会人になるってことなのね(T.T)」
と感動するほど、私には素晴らしいことだった。

なにしろ、学生時代は六畳一間の間借りで、
湯沸かし無し・エアコン無し、トイレ共同・ピンク電話共同・洗濯機共同、
電子レンジ不可・電気ストーブ不可でコタツのみ可、
風呂はついてなくて銭湯通い、・・・という生活だったのだから。

尤も、このアパートに落ち着くまでには、借りる前から紆余曲折あった。
そもそも、知人のツテで頼んだ不動産屋さんの物件だったのだが、
その不動産屋さんが、知人からの紹介の段階で私を男だと勘違いしていて、
実際に私が現れたら「女だったのか!」と驚かれた、という経緯があった。

「アナタが、おいやでなければ、まあ、いいんですけど」
と言う不動産屋さんに案内されて、現地に行ってみたら、
なるほど、そのアパートは、私以外の住人は全員男性で、
しかも、建設会社○○組○○作業所の人たちだった(たらり)。
いかに神経の太い私と言えど、当時は22歳、女子大卒業直後だ。
正直、おにーさんたちの出入りするアパートには、引いた。
しかし、安くてバス停の真ん前で、まあ古くないし、良い物件だった。
ので、数分間、思案したのち、結局、決めた(ごくり)。
もう明後日が初出勤で、あんまり時間も無かったのだ。

入居したら、まず、部屋の汚いことにはビックリだった。
私も小汚い人間だし、学生時代ずっと古い下宿に居たくらいだが、
この部屋は、流し台も風呂も磨かないとやってられなかった。
何より、最初からトイレが詰まっていたのには笑った。
大家さんに苦情を言って、費用はむこう持ちで清掃して貰ったのだが、
中から、コンビニ弁当の容器や割り箸が出てきたということだった。
前の住人は、そーゆーヤツだったのだ、とこれでわかった(--#)。

若い単身者ばかりで、隣近所との付き合いは無かったのだが、
私の斜め前の部屋の男性は、よく夜中に、酔っぱらって帰宅し、
違う部屋のドアをがんがん、ばんばん、叩いて、
「入れてよーーー」「あけてくれよーーーー」
と半泣きで叫んでいた。私もやられたことがあった。
一寝入りした、午前2時とか3時とかに、こういうことをされると、
怖いよりも、うるさすぎて、殺意を覚えたものだった。

また、窓を開けていると、下からシンナーの香りが漂って来たことも
数回、あった。私がラリったら、どないすんねん(--#)、と思った。
これは住人がやっていたのか、付近の不良中学生がやっていたのか、
確かめなかったから、定かではなかったけれども。

そのような日常で、私は次第に、ストレスを募らせていた。
それで、ある日のこと、便器に空手チョップを食らわせて割ってやった、
・・・わけではない。念のため。

聖飢魔Ⅱのミサの翌日、寝ぼけ眼で歯を磨いていたとき、
私はうっかりと、コップを便器の真上に落としてしまった。
いわゆる3点ユニットというタイプで、
トイレと洗面所とお風呂が、全部一カ所にまとめられていたので、
洗面台の鏡を見ながらコップを取ろうとして、手がすべって、
コップが、すぐ右横にあったトイレを直撃してしまったのだった。
コップは陶器のマグカップで、それが落下したとき、
トイレのほうは、運悪く、フタも便座も、上げてあった
(女性ひとり暮らしなのに、どうして便座まで上げてあったのか、
と、後でこの話をしたとき友人が違う論点で大騒ぎしたことを、
そういえば思い出した・爆)。

案の定、派手に割れた。高い音とともに、マグがこなごなになった。
あっちゃ~!
と思ったが、やっちゃったものは仕方がなかった。
ユニットバスで、素足で入る場所なのだから、このままでは危険だと、
私はすぐ掃除にかかった。

で、最初、床に気を取られて、その破片を拾っていたのだが、
ふと見ると、カップとは関係ない、
妙に分厚い破片がたくさんあることに、気づいた。
え、これって、何の破片・・・・(^_^;)?
・・・・・見たら、便器が、それなりに大きく欠けていた(爆)。
これには、さすがのニブい私も、唖然とした。
割れた便器なんか見たのは、生まれて初めてだったのだ。

欠けたのは、上辺というか、縁の一部で、便座をかぶせれば、
一応、使用には耐える感じだった。と、そのときは、思った。
だいたい、一日の大半は仕事で外に出ているのだから、
朝晩の使用にさえ問題がなければ、欠けていたっていい、
と私は大胆にも考えた。

が、細心の注意を払って、そっと使っていたにも関わらず、
欠けた箇所からの無数のひび割れが、日々進んでいき(駄洒落ではなく)
だんだんと、亀裂が、下のほうまで届き始めた。
水漏れは、時間の問題だった。
このまま放置していて、ある日のこと、ぱかーんとフタツに割れたら。
そして、もし、それが使用中だったら。
・・・・大惨事だ(T.T)。

私は観念して、再び、大家さんのところに行った。
また私で、またしてもトイレの話なので、大家さんは苦笑し、
次に、便器を割ったと聞いて絶句した。
「そんな人、初めてです」
と大家さんは目をパチクリさせ、部屋まで見に来て、
「こりゃー、全部、取り替えるしか、ないね」
と力無く、笑った。仕方がないから私も笑った。

翌日、工事は業者さんが来て半日で完了したが、○万円だった。
私の初ボーナスの半分近くが、トイレ修理代に、なった。

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気にしなければ済んでしまうほどのことなのだが、
我が家の真上の住人について、私は実は、僅かばかり、
不審に思っていることがある。
ひとつは、ピアノの音に関して。
もうひとつは、足音か何かわからない物音に関して、だ。

まず、上の家にピアノがあることは、入居したときからわかっていた。
ブルグミューラーの『やさしい花』『清い流れ』などが
とぎれとぎれに上から聞こえて来たことがあったので、
感じからして、小学生くらいのお子さんがお稽古している、
というところだろうと私は思っていた。

・・・のだが、夏くらいから気づいたのだけれど、
普通のお稽古の気配とは別に、午後になると決まって、
ひどく単調な、ゆっくりした、D音(レの音)の連続が聞こえてくるのだ。
私は音感が不確かなので、本当にD音かどうかは、
実際に我が家のピアノで私自身が出してみて確かめた。
たとえていうなら、まるで調律みたいに、上の家ではD音が鳴っている。
だが調律と違うのは、D音以外の音に移ることは決してなく、
また、他の音とのハーモニーもつくらないという点だ。
一度始まると小一時間くらい、これが続く。

もうひとつは、子供の足音のような、パタパタとした音だ。
D音の聞こえるあたりと、近い場所からしているように思うのだが、
ピアノの音と同時にこの音が聞こえてきたことはないし、
音のする時間も割と、まちまちだ。
ただ、昼間、パタパタ・・・という、何かわからない音が、
上から軽く響いて来ることが結構あるのだ。
これも、小一時間くらい続くが、耐え難いような騒音には程遠く、
気がついたら止んでいる。
実はきょうも、つい先ほどまで、このパタパタは聞こえていた。
今は、すっかり静かになっているのだけれど。

最初は、上の家に、幼稚園にも行っていないくらいの
小さい子がいて、昼間から家の中を走っているのかと思っていた。
だが、しばらく観察していて、子供かどうかはともかくとして、
少なくとも、駆け回っているのではない、ということが、わかった。
だって、この音は移動することがないのだから。
同じ場所で、ただ、パタパタ・・・パタパタ・・・と音がしている。
階下である我が家には、かなりくぐもった音になって聞こえているが、
実際には、もしかしたら、ピアノのダンパーペダルを
乱暴に踏んでいる音なのかもしれない、という気もする。

最も合理的な解釈は、やっぱり上の家には幼い子がいて
その子は、ブルグミューラーの練習の子の弟か妹で、
ピアノがあいているときに遊んでいるのだ、ということだ。
鍵盤ではおよそ真ん中あたりにあるDを叩いてふざけて、
それに飽きると、でたらめにダンパーペダルを踏んでいる、という。
しかし、ペダルだけ踏んでも、本当は面白くもなんともないのだ。
座ったらペダルを踏めない小さい子でも、遊ぶときは、
ピアノの前に立って、ペダルを踏みながら、鍵盤を触るものだ。
鍵盤だって、普通なら、もっとあちこち、鳴らしてみるものではないか。


・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・(^_^;)。
もしかして、盛り塩でもすれば、音がしなくなるかな(爆)。

いや、冗談ではなく。
例によって、娘の読んでいる怪談本に、似たような話が、あったのだ。
日本に来たばかりのカナダ人の男性が、古いアパートに入居したら、
となりの部屋から壁を叩かれるわ、呪文みたいな声が夜中にするわで、
意味がわからず、やかましくて困り果て、日本人の友人に相談したら、
その日本人は、どんな声がするか等々と彼にしばらく話を聞いたのち、
音のする側の壁際に、塩を盛った小皿を置き、柏手を打ったのだという。
そうしたら、音はその晩からピタリと止んだ。

カナダ人は、感心して思ったそうだ。
『日本では、塩を盛って手を叩くだけで、
近隣の騒々しい住人を黙らせることができるらしい。
日本には素晴らしい文化がある。
カナダに帰ったら友人たちにこの習慣を広めよう』

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夕方、私が、トイレ掃除をしていたら、主人が帰ってきた。
いつもよりずっと早い帰宅だった。
玄関に人の気配がしたとき、
私はちょうど、床を拭いていたので、ドアから顔だけ出した。

私「おかえり~」
夫「わっ。何しよるん」
私「ちょっと掃除の最中だったもんだから」
夫「びっくりした~。トイレから這って出てきたんかと思った~」

それじゃまるで、娘の読んでいる怪談じゃないか(--#)。

私「どうしたの?早かったね」
夫「いや~、なんか、具合悪くて」
私「あら!どうしたの!?」
夫「ん~、どうも、だるくて、シャアさんで・・・・」
私「あらま。それは、いけないね」

今度は主人が、赤い水洗のシャアになったらしい。
まるで彼のために磨き立てられたような美しいトイレに、
主人はさっそく籠城した。

ひとりで満員。

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娘はきょう、ノーテンキに歌を歌いながら帰ってきた。

娘「♪僕らも負けずに どなルんだ~……くふっ。たらいも」
 (↑阪田寛夫『夕日がせなかをおしてくる』より)
私「おかえり。何が『くふ』だ」
娘「あ(^_^;)。ははは。どなル、って巻き舌、うまく出来たから」
私「(………orz)」

娘「きょうはねえ、五時間目、眠かったよぉ」
私「五時間目は、何だったの?」
娘「社会
私「何か、いつもより特別しんどい授業だったの?」
娘「ん~、ビデオ、長いの観たから」
私「なんのビデオを観たの?」
娘「社会
私「(ナメとんか(--#))」
娘「じゃなくって、歴史、歴史(^_^;)!」

私「歴史は、どのへんを習ってるんだっけ?明治行った?」
娘「まだ。あ、えとね、明治に、なるとこ。文化・・・」
私「……?」
娘「文化会館
私「は?」
娘「文化、かいかん……、あり?」
私「まさかと思うが、文明開化か」
娘「……あら、おほほ、ゴミに目が……(^^ゞ」

オモシロいヤツだな、お前(--#)

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