転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



いじめられた、というような深刻な話では全然ないのだが、
思い返してみると、私だって、子供の頃、
ヒトから不愉快なことを言われた体験は、あった。
ただ、昭和40~50年代の田舎では、皆、決して陰湿ではなかったし、
やんちゃな男子らにだって、随分と愛嬌があったように思う。
泣いたり泣かされたりは身近でもよくあったが、
当時は、自殺するという事件になったりは、しなかった。

私は小学生の頃、神戸から転校して来たために、広島では、
言葉が違うということで、当初、いろいろ言われたものだった。
私の言葉を笑う本人らが、
「わしは」「ほうよのう」「わりゃ、~じゃ」
と昔話の爺みたいな口調で喋っているのは噴飯モノだと思ったが、
そのうち、当の私自身が
「いけんじゃろ」「~なんよ」「ほいじゃけ」
と広島弁が止まらなくなったので、この話はウヤムヤになった。

それから、昔から肥満していたので、
「でぶ」「ぶー」等は、クラスの男子からよく言われた。
私は、全然我慢強くもなく、いい子でもなかったので、
そういう物言いをした子らのことは逐一、詳細に、親と先生に告げ口した。
案の定、ヤツらは叱られていたので、いい気味だと思ったものだった。

チクった私にヤキを入れると、男子らが昼休みに相談しているのを、
なんの幸運か偶然、立ち聞きしてしまい、それによると、
校庭に呼び出し、全員で雪玉をぶつけて袋叩きにしちゃる、
みたいな計画だったので(真冬だった)、こりゃ捕まったらオシマイだと、
その日は「帰りの会」が終わるや否や走って学校を抜け出し、
翌日また、朝イチで先生に、この件をチクってやった。
その後、口の悪い男子と放課後、タイマンで勝負してからは、
私のあだ名が「暗黒大将軍」になってしまい、閉口した。
母の言い様じゃないが、縁談に差し支えそうだった。

このとき闘った男子の配下にいたヤツと、後に中学になって、
学校はもう別々だったにもかかわらず隣町の学習塾で再会して、
でも恋が芽生えたなんてことは勿論なく、
それどころか、初日の授業で皆に先生から紹介され、
「○○よし子です」
と自分で名前を言ったら、すかさずその男が、
「○○ワル子、て言うんよの?」
とチャチャを入れた、という事件があった。
ったく、初めての、他校の男子も大勢いる前での自己紹介に、
なんとゆーことをしてくれるんじゃっ、と私の眉は釣り上がったが、
でも、もうアンタなんかより私はオトナなんじゃけね!
と思って、そのときはスルーした。


……と、これは私の側から一方的に語った思い出話だが、
あのときの男子らに、話を聞くことが出来たら、
暗黒大将軍という太った女がおって、ワシらはひどういじめられた、
と述懐するのだろうか。もしかして。
いじめた側(って、男子ら?私?)には自覚が全然ないのが常だからして。

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