転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



聖地巡礼(謎)にて拝領した聖体(激違)。

肖像権がどうのこうのと怒られやしないかと怖くて、
曖昧で姑息な撮り方ですが、ご報告(^_^;)。



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和央ようかの男役芸を楽しませて貰った、という意味では、
和央ファンとして見応えある舞台だったと思う。
ウィリアムという例の田宮二郎の役(違)は、
あの主演歴の和央ようかだからああいうふうになるのだ、
と私は観ていて面白かった。
脚本的には、「ただの良いヒト」程度にしか書き込まれていないのだが、
その演り甲斐のなさゆえに(爆)、彼女は今回、随分と工夫を凝らして、
男役としてのいろいろな見せ方を披露してくれたと私には思えた。

ただ、前回『風共』で昨今ないほど盛り上がってしまったので、
私は今、気分的に、もっとブっ飛んだ設定の芝居が観たくなっていて、
その点で、『ホテル・ステラマリス』は、
あまりにもまっとうな話だったのが、私的には、違った。
ウスターソースをだばだばかけてトンカツ食いたいと思っているときに、
行ってみたらコジャれたアフタヌーン・ティーだった、みたいな(爆)。
私は多分、今、キッチュで呆れ返るような世界こそを求めていて、
日常感覚で簡単に理解できるものには、興味が沸きにくいのだと思う。

一方『レビュー伝説』は、昔ファミリーランドにあったアトラクションの、
「大人形館」みたいなショーだった
(=「イッツ・ア・スモールワールド」を宝塚風に派手にしたもの)。
豪華絢爛、というかその色彩感覚なんとかならんか、という(殴)。

ショーのストーリーとしては、花總まり扮する薄幸の少女が、
白馬の王子様的存在である和央ようかに手を引かれて、
次々と夢のような世界に案内されるという展開だった。
「次の場面マダー?」と言うようなだるいテンポは一カ所もなく、
私としては、とても楽しめたショーだった。
が内容的には、草野先生とは思われぬほどの軽やかさで、
草野先生的なトンデモなさが無かったのは、
良かったというか、ちょっと寂しいというか。

ところで、こういうショーのとき、ヅカの王道としては、多分、
トップ娘役は観客の女性たちの代表として存在すべきものだと思う。
彼女を通して、女客たちがトップスターの愛を受ける気分になる、
というのが、宝塚のショーのあるべき姿のひとつではないだろうか。

が、和央×花總というコンビがやると、なぜかそうならずに、
我々は、このバ○ップル(爆)のお幸せぶりを謹んで拝見させて頂いている、
という具合になってしまう。これは一体、どうしたことだ(^^ゞ。
それを是とするか否とするかで、このショーの感想は分かれるのでは、
と私は観ながら苦笑してしまった。

ちなみに私はいつだって高見の見物ですから、
大いに楽しませて頂きましたとも(*^_^*)。
仲良きことは美しきかな。

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聖地巡礼(謎)。
八ヶ岳(違)に派遣されるウィリアム君の仕事ぶりを
これから拝見させていただきます。




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お正月気分が抜けて、市街地では早速、
「節分の巻寿司 ご予約受付中!」
などという広告を見かけるようになった。
恵方を向いて、家族揃って巻寿司を「丸かぶり」するとかいう、
最近ならほぼ全国どこででも知られているアレだ。

これが「関西の奇習」などと書いてあるのを読むと心外なのだが、
神戸生まれの私は、子供の頃から、
ただの一度もあんなのをしたことがなかったし、
友達の間で話題になったこともなかった。
東京に住んでいたときも、友人でそんな習慣のある人はいなかったし、
大家のおばちゃんだって、全然、話題にもしていなかった。
広島に来てからも勿論、1900年生まれの祖母さえ、
「丸かぶり」の「まる」の字も言い出さなかった。

私がここで言いたいのは、習慣の内容そのものがどうとかではなく、
つまり私は、あのような行為は、全然、知らなかったということだ。
私が初めて節分丸かぶり寿司について知ったのは、1993年、
新井理恵の金字塔的ギャグマンガ『×(ペケ)』を読んだときだった。

確か、その回では、母親が丸かぶりを知らなかった、とかいう理由で、
高校生の娘がつんつん怒って、ぴしゃりとドアを閉めて出て行き、
父親が『難しい年頃だからな・・・』などという展開があったのだ
(この娘の名前が、確か、「貴子」(爆))。

私はまさか本当にこんな習慣が世の中にあるとは思ってもいなかったので、
家族で恵方を向いて巻寿司にかぶりつく、という絵ヅラを想像して、
『新井理恵ってホントに天才だ!どうしてこんなの思いついたのか!』
と、そのあまりの滑稽さに笑い転げてしまったものだった。
が、あとで、漫画の世界限定の独創ではなくて、
実際にやるものだと知って、今度は恐れ入ってしまった。
簡単に笑い飛ばす前に、なんでも一応は調べてみないとな(^^ゞ。

さて、そういうことで、改めて調べてみたら、
意外なことに、もとは愛知のほうで始まった習慣らしいとわかった。

節分の由来

ごく一部地域の習慣に過ぎなかったこれに目を付けた、
大阪の海苔業界の人が、昭和30年代に海苔販売拡大の目的で、
道頓堀でイベントとして大々的に「節分寿司の丸かぶり」を行い、
それが全国に紹介されて、徐々に広まったものだということだ。

なるほど~・・・。
バレンタインでも土用のウナギでも根拠なんかどうでもいいように、
要するに節分寿司も面白いからOKってことで市民権を得たのね(^^ゞ。

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昨日の話の続きなので、一応。

日教組の教研集会が閉幕(共同通信)

『子どもの学力について、大阪府の教員が
「ふたこぶラクダ化が顕著になっている」と分析。
成績中間層が落ち込み、上位層と下位層に二極化していることに
懸念を示した。』

・・・って、そうなった原因は、あの薄っぺらい教科書なのでは?
学校でたったあれだけしか教えていないから、
真っ正直にそれだけをやっている生徒が主として下位層になり、
これじゃ足りないと塾にでも行く生徒が上位層を形成する。
これは当然の結果だと私は感じるのだが。

昔は教科書の内容がまだしも高度だったから、
うかうかしていたら学校でついて行けなくなる、ということで、
ごく普通の子供たちが、教科書をクリアしようと頑張り、
結果的に完全にクリアするところまでは行かなくても、
今よりはマシな中間層として存在していたのではないのだろうか。

現役の、教育界のプロの方々に向かって、
一介のおばちゃんがエラソーに意見せんでええ、と叱られそうだが、
我が娘を4年間、公立小学校にやってみて、
「いつになったら勉強らしい勉強が始まるのか。
このままでは、アホになる(もうなってる!?っていうか生まれつき!?)」
と私はこれでも、最近、真面目に心配しているのだ。

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突然だが、私のくだらない特技のひとつに、
「左手なら、自分で自分の背中がどこでも掻ける」
というのがある。
私は、どういう訳か左腕の関節が柔らかくて、
背中じゅう、どこであろうと自分で掻けないところがない。
孫の手も和室の柱も、私には不要だ。

だがこの特技は娘には遺伝しなかった。
彼女はまた、気の毒なほど体が硬い。
きょうも、背中カユい・掻いて、と頼って来た。
ので、掻いてやった。

私「ここらへんか?」
娘「んんん~・・・、もうちょっと・・・」
私「どっち?左?」
娘「西!

・・・・・・・・・・・どうしろと(--#)。

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札幌市で教研集会が開幕、学力低下問題も討論へ(読売新聞)
札幌で、日教組の教育研究全国集会が昨日から開催されているようだ
(札幌だし、冬だし、行ったら連休だし、先生方、楽しそうだな・殴)。

ここに書かれている、各教科のユニークな取り組みや、
「子どもたちに必要な学力とは」「学校現場での学力保障の取り組み」等の
討論や研究のテーマについては、私も小学生を持つ母として
大いに関心があり、聴講させて頂きたいと思うくらいなのだが、
全体会での、森越康雄・中央執行委員長の挨拶にあったという、

「競争をもっと激しくすれば、子どもたちの学習意欲の減退はさらに深刻になる」

の箇所は、私にはよく意味が理解できない。
全員参加だろうと選抜だろうと、順位がなく勝っても表彰のない徒競走では、
全力で走る子供などほとんど居ないだろうし、
参加者の間の平均タイムが落ちるのは避けられないだろう、
と私などは思うのだが、学力の世界では違うのだろうか。

本当のことなのではっきり書くが、私は高校2年のとき、
化学を選択していて、あるテストで学年128名中128番だったことがある。
だが学習意欲は減退しなかったよ(^^ゞ?
それどころか、あれで初めて「こりゃいかん」と知ったのだ。

競争が緩やかで、「自分なりに頑張ったから、いい」という評価だったら、
私は際限なく自分に甘くなり、自分の現状を直視することを知らず、
結果として、危機感も意欲も、さほど持たなかったと思う。
競争があり、順位がつき、受かりたい学校の門が狭かったから、
私のような者でも、勉強せねばならない、と考えることが出来たのだ。
(そんでもって、結果として希望大学には受からなかったものだったが・爆)。

人の考え方は様々だし、皆が私と同じ感覚でないことは一応想像できる。
皆が満足する教育制度などあり得ないだろうし、
世の中が、競争に傾いたり、平等主義に走りすぎたり、というように、
時代ごとに流行があるのも、ある程度避けられないことなのだとも思う。

だが、競争は、できるものなら、したらいい、
と私は、割と昔から、一貫して思っている。
集団の中で一歩でも前へ出るために努力を惜しまない、
というのは大いに称賛されてしかるべきことだ、というのが私の考えだ。
ただ、たかが局所的な学力テスト一度のことで、
負けたら(スベったら)最後、人格や将来まで否定された気分になるような、
そんな追いつめられた考え方が、間違っていると思うだけだ。
どんなふうにでも、これから良い人生はいっぱいあるし、
いくらでも、前途は洋々と開けているというのに。

敗れた屈辱、力及ばなかった悔しさをとことん味わったのち、
それを自分の中でどう受け止めるかが、
本当の能力、今で言う「生きる力」の発揮されるところではないだろうか。
競争は大いに奨励する、が、負けた側の心のフォローを手厚くする、
のが、学校教育に関する、私の個人的趣味だ(^_^;)。

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宝塚歌劇団の作家先生の中に、木村信司という方がおられて、
歌劇ファンの間では「キムシン」などと呼ばれている。
このキムシン先生が、いつからか知らないがこの年末までパリに住んで、
研修か休暇か、ともかく束の間のパリ生活を謳歌されたんだそうで、
それについて、雑誌『歌劇』に、「パリ通信」というものを書かれている。

パリの面白い演劇の話題は当然出てくるのだが、その前に、
話の冒頭、まず『フランス語は少しも上達しません』と書かれている。
相手が日本人だとわかると、現地の人はフランス語を使わず、
英語で話しかけてくれるからだそうだ。
でもキムシン先生は、それがまんざらでもないのだ。なぜって、

『英語を話すパリジェンヌって、とても可愛らしくて。
唇をとがらせ、つっかえつっかえ言葉を探す仕草は、
まるで小鳥でもあやしているかのようです』

(歌劇2005年1月号p.132)

サブイボ(=鳥肌)もん!と思ったのは私だけ!?
パリジェンヌだって、まさかこの東洋のおっちゃんが、
こんな妄想を抱いて自分の唇を眺めているなんて知ったら・・・。

・・・・・・・・と、思ったのだが。
待てよ、これって、どっかで。

確か、昔の。
あの植草甚一って、こんなんじゃなかったでしたっけ!?
「ぼくのニューヨーク」だとか「ステキな買い物」だとか。
ぼくはソーホーが好き、だったりなんか、しませんでしたっけ!?

キムシン、自分のシチュエーションを面白がって、
植草甚一をアテこんで、意図的に書いたのか!?
ほら、思い出してみて?植草風って、こんな感じ?ってか。


キムシン、怖い人・・・・!(byひとりで完結する姫川亜弓)

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宝塚歌劇関連の土産として、「炭酸せんべい」が有名なのだが、
これは一部のマニアには非常に重要なアイテムでもある。
なぜって、そのせんべいの缶のデザインは、組の数だけ種類があり、
缶にはそれぞれ、その組のトップスターの写真が使われているからだ。
そのトップが退団すると、缶デザインも変わる。
つまり、炭酸せんべい自体は同じものでも、
缶に関しては、一定の時期にしか手に入らないものだということだ。

で。
私の贔屓の宙組・和央ようかの「炭酸せんべい」缶が、
このほど、デザインが変わったそうだ。
トップ在位中に、缶デザインの変更がある、なんてこと私には初めてだ。
とゆーか、彼女がそれほど長くトップを続けている、
ということにほかならない(爆)かもしれない。

以前は、トップ娘役の花總まりとの、二番手時代のツーショットで、
トップスター単独でなくコンビとしての缶デザインは宙だけで、
コンビ売りの組なのか?ということについて、賛否両論の感想があったが、
今回は、和央ようかの一人写りになったのだそうだ。
デザインは、ショー『テンプテーション』のプロローグの写真らしい。

次回観劇時には、忘れないように、この缶を買わなくては。
私の意識の中では完全に「缶を買う」だ。「せんべいを」ではなく。

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クリスマスを子供と過ごす権利、裁判官が「コイン」で決着をと

ロイター通信によると、
『イタリア北西部の町トレントでクリスマス前、離婚した両親がそれぞれ、
5歳の一人息子とクリスマス休暇を過ごすことを望み、家庭裁判所に訴えたが、
裁判官が「コイン」を投げて、権利者を選ぶ裁きを下していたことが分かった』

ここだけ見たら、相当非常識な裁判官か、と思ったのだが、
記事を読んでみると、裁判官がこの方法を提案し、両親が同意して、
コイン投げに至った、ということのようなので、
それなら話は結局、両者の「和解」に等しく、特に問題があった訳ではない。

時間がないから「あみだ」で決めんか?みたいな話だから、
真剣な問題になんという安直な態度!という不愉快さは、
読み手としての私にはあるが(^_^;)。
でもどっちにせよ、関係者が同意したんなら、
ハタがどうこういう話ではないと思う。


東京地裁 司法修習生が盗撮 女性トイレにビデオカメラ(産経新聞)

『東京地裁内の女性トイレに侵入し、盗撮目的でビデオカメラを設置したとして、
警視庁丸の内署は五日、建造物侵入容疑で同地裁に配属中の司法修習生、
西川英樹容疑者(32)を逮捕した。容疑を認めているという。
西川容疑者は平成十五年十一月に司法試験に合格、
昨年十月から同地裁で民事裁判の修習中だった。』

私が高校生のとき、やはり女子トイレを盗撮した男子生徒がいた。
私と同じクラスの生徒だったのだが、彼は女子トイレの個室のひとつに、
カメラを携えて潜んでいて、自分の前の個室に誰かが入ると、
前方の壁と床との隙間からカメラをそっと出して、撮影していた、そうだ。
彼は停学くらったのち、クラスの女子のひとりひとりに謝罪してまわった、
という結末だったと思う。
今にして思えば、ヤったのが男子生徒であって、男性教諭ではなかった
というあたりが、当時はまだまだ、健全な世の中だったということかな(T.T)。

今や、教員も警察官も全然信用できない、と思っていたが、
オマケに法曹関係者もヤッパリ信用できない、ということがこれでわかった。
相手がセンセイだからと言って、自分本位な幻想を抱いてはいけないのだ。
というか、どこの世界にも必ずバカは居る、ということが、
改めて確認できた訳だ。

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