転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



昨夜、娘が「耳が変な感じする(^_^;)」と言うので、
そばへ来させて、電灯の下で覗いてみたらば、
娘の耳からは、乾燥した白い耳垢が覗いていた。

なるほど、こりゃコソバゆいわね、と思った私は、
耳かきを取って来て、娘を寝かせ、やおら、彼女の耳の穴を掘り返した。

すると。
出るわ、出るわ(^^ゞ。

どうやら、耳垢が満杯になって溢れてきたものらしい。
一体どうすりゃこんな状態になるのかね。そんなに貯めてたか?
確かこれって「耳垢塞栓(じこうそくせん)」って病名つくんだよね。
耳垢が多すぎて死ぬような病ってあるんだろうかな(テレビの見過ぎ)。

あまり取れるので、私はすっかり面白くなってしまい、
もっとないかと耳殻を引っ張って奥を覗こうとした。
すると、娘が言った。

娘「おかーちゃん、もう、いい」
私「なんで」
娘「痛くなったら、やだから」

そう言えばそうだ。
癇性に耳掃除をし過ぎると、外耳道に傷がついて、
ひどいときは炎症を起こしたり真菌性の感染を起こしたりする、
ということが、以前読んだ育児書に書いてあったものだ。

ほな、きょうは、このくらいにしといたろか。

ちなみに、育児書で思い出したが、耳に関する項目のところに、
『耳に虫が入ったとき』
というのが、本でも雑誌でも、よく書いてある。
私は田舎育ちだから勿論、こういう経験はあるが、
そんなにポピュラーなことなんだろうか?娘は一度もないが。

耳に虫が入ったら、無理に取り出そうとせず、
耳に懐中電灯をあてて、光で虫を誘い出すのが良い、
ということが、たいてい、本には書いてある。
手当としては、それが完全に正しいのだろうとは思う。

だが、経験者の私に言わせるとだな。
耳に虫が入ると、もう、うるさいのなんのって。

ぱりぱりぱりっっっ、ぱりぱりぱりぱりっっ
ぱりぱ・・・、ぱりぱりぱりぱりぱりぱり・・・・!!!


と途方もない騒音が頭蓋内に響き渡って、そりゃもう。
虫だって『暗い~!狭い~!』と命がけの七転八倒なんである。
そんな頭で、悠長に懐中電灯なんか取りに行っていられません。
ドクターギルに苦しめられるキカイダーみたいなもんでしたね。

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いつも書いているように、私はテレビというものが大嫌いだ。
あの喧しく不快な雑音をまき散らす箱を、この世から抹殺できたら、
いや、せめて、我が家において封印してしまうことができたら、
私の人生はどんなにか平穏なものになるであろうに(仮定法過去)、
と思うことがしょっちゅうある。

が、大変不幸なことに、主人と娘はテレビが大好きだ。
更に不幸なことに、我が家は狭い。
居住スペースは実質的に二部屋だけだから、
誰かがテレビを観ていたら、私はひたすら耐えるしかないのだ。

今夜、娘が観ていたものは、本当は怖い家庭の医学
こういう番組は、『私は丈夫なのだけが取り柄でーー♪』
などと神をも恐れぬことを平気で言う人間が観れば良いのだ。
私は、十代の頃から癌ノイローゼに近い思考回路をしていて、
自分なんか簡単に病に倒れるような気がして仕方がないので、
この種の番組は本当に精神衛生に悪い。

ここで言われている症状は、ほとんどどれでも私に当てはまる。
やたらと肥満しているのは副腎癌なのだそうだし、
しゃっくりが止まらないのは脳腫瘍、しつこい肩凝りは肺癌、
ひどい生理痛は子宮肉腫、足がしびれるのは脳梗塞。
いずれも、発見されたときは手遅れで、助からない(どよーん)。

こういうものを、菓子を食いながら観られる娘の神経が、
私には全く、理解できない。
もしかして娘が全く、テレビを理解できていないのではないかと
不安になることもしばしばだ。
娘が、番組の内容にどうももうひとつ反応していないと思ったら、
実は目の異常だったとか頭の病気だったとか心がどうかしていたとか
精神回路が不完全だったとか満腹中枢が壊れていたとか(以下略)

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センター試験、全日程終了 時間足りず再試験も(共同)

なんだかいろいろあったようだが、一応、終わったのだな(^_^;)。
解答時間が足りなかった件は、他の記事で見た記憶では、どうも、
開始チャイムがよく聞こえなかった、というのが原因らしい。
現場の試験監督複数名が相談の上、開始を指示し、
終了のときは窓をあけてチャイムが聞こえるようにしたので、
開始が遅れた分の1分少々を、受験生は損したことになったそうだ。

んな、1分少々で合否が分かれたりはするまいよ、1問も解けんやろ?
とおおざっぱな私は思うが、不公平であることは確かだし、
受験生側からクレームがついたのなら、再試験も妥当なのだろう。

そういえば、私が高校生の頃、これは模擬試験だったけど、
あと5分というときに、静まりかえった教室で、試験監督の先生が、

「あと五分!」

と妙に大きな声で一言、言ったことがあった。
するとその途端、私の前の男子が、

びっくーーーーん!!

と飛び上がるほど反応して、私はそれが可笑しくて可笑しくて、
残り5分間、笑いをこらえにこらえて体が震え続け、
耐え難きを耐え、もうなんも出来んかった(T.T)、ものだった。
あれで私は最後の5分、完全に駄目にしてしまったのだけど、
私にとってのみ、不幸なアクシデントだったという訳で、
こんなのは、どこに文句言って行きようもないわよね~~(^_^;)。

・・・という話をしていたら、主人が目の色を変えて言った。
「俺なんかな、○○試験のとき、俺の前のヤツが、
いきなりテンカン発作を起こして、俺まで死ぬかと思ったことがある!」

それは某資格試験で、主人は若い頃、どうしてもこれが取りたくて、
毎年スベりながらも、果敢に(^_^;)受け続けていたのだという。
時間をめいっぱい取る論述科目で、残り5分か10分まで時間が迫り、
もう、書けるところまで書くしかない、ここが天下分け目の闘いとばかり、
胸は早鐘のように打ち続け、両手はぶるぶる震え、
一刻一秒を争う思いでひたすら鉛筆を走らせていたとき、
それは起こったのだのそうだ。

主人の真ん前に居たひとりの受験生が、いきなり

がっったーーーんん!!

と椅子音も激しく、
体をのけぞらせて後ろに倒れてきて、主人の目の前には、
引きつってアワ噴いたその人の顔が上下逆さ状態で、どアップ。

(うわあああああっっ!!!)

主人「そいつは悪くない、わかっとる!むしろ気の毒だと思う。
だけどな、俺が卒倒するかと思った!頭真っ白だよ!どーしてくれんだよ!!」

若き主人は、勿論、その年も試験に落ちたが、
この件に関する保障は、言うまでもなく、全くなかった。

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先週末は杉田かおるさんの結婚の話でテレビが騒いでいたが、
考えてみたら私は彼女と同い年で、
我が家の主人もまた、彼女の旦那様と同い年なのだった。
お互い、この年齢まで独身で仕事をしてきたあとの結婚、
となると、今の我々などとは、人生観も違うだろうし、
結婚生活に求めるものも、別の次元のものなのではと想像したりした。
ともあれ、この年齢での初婚でなければ掴めないものもあるだろうから、
他人事ながらお幸せにと願っている(^_^;)。

ところで、私が二十代の頃はバブルの真っ盛りで、
まだ「三高」なる言葉がハバをきかせていて、
当時、友人たちと喋っていたときに、なんの拍子にか、
「三高の中で最も大切なものはどれだと思うか」
という話になったことがあった。
私は迷わず「高収入」を選んだものだ(^^ゞ。
ちゃんと生活できなかったら話が始まらないじゃないか、と。

友人のひとりは
「私は、細面の顔立ちと長い指に憧れるから、『高身長』を取る。
愛がなければ、どんな好条件の相手とだって、結婚生活は虚しい」
と言い、別のひとりは、
「有名大卒ならエリートだから、いずれ収入もついて来るだろう」
と言って「高学歴」を推したが、私は、
「理屈ばっかり多くて稼ぎのない者は駄目!
学校なんかどうでもいい、社会的に成功してる人間のほうがいい!」
と断言し、頑固に(?)「高収入」を主張した。

(その挙げ句に、公務員と結婚して転勤生活してるんですから、
人生って、一体・・・・(^_^;)。)

さて、ネットサーフィンしていたら、こういうサイトに出会った。
玉の輿占い

今更、占ってどーすんだ、てなものだが、やってみた。
『浮気はほどほどならOK、でも収入が無さ過ぎるのは駄目よん、
ブランドにはこだわらないけど、私ってばイイ生活がしたいのん』(殴)、
などと、テキトーなことを答えて進んでいったら、
私は二流芸能人の妻になりそうな人間だということが、わかった。
私は「超ミーハー」な女であり、相手は「突撃レポーター」タイプの芸能人、
その彼が一生涯に浮気する回数は「300回から700回」だそーだ(爆)。

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凍った地表 丘陵や水路 土星・衛星タイタンの写真(産経新聞)
固形体が散乱するタイタンの地表(AFP=時事)

以前も書いたが、私は太陽系、特に外惑星の話がとても好きだ。
理科系科目が出来る訳ではないし、天文学の知識もろくにないのだが、
外惑星の世界を絵的に想像することが、どういう訳か楽しいのだ。

タイタンは、大気のある衛星として以前から知られていて、
昔は、その大気は地球のように澄んだものだと考えられていた。
だから私は、タイタンの空には美しい輪を被った土星が見えるのか、
と空想してウットリしていたものだった。
が、その後、アメリカの探査で、その大気は厚く衛星表面を覆っており、
タイタン側から上空に土星が見えるような環境ではないことが判明した。

ということは、土星側からも、これまで、タイタンの表面については、
ほとんど何も観測できていなかった、ということになる。
その謎に包まれたタイタンの素顔が、今回いよいよ明らかになるという。
これらの写真の解析が進み、更に多くの枚数が公表されるのを、
私は今、とても楽しみにしている。
そこには、原始地球と言えるような風景が、
本当に展開しているのだろうか。

それにしても、アメリカは航空宇宙関連では本当に先進国だ。
日本はどうして、気象衛星ひとつ、まともに打ち上げられないのだろうか。
もう、いつ天気予報が観られなくなっても不思議ではない状況のようだから、
日本は、火星探査や金星探査はあとにしてでも、
安定した気象衛星を早く打ち上げなくてはならないのではないか。
勿論、そのように努力していることは想像に難くないので、
それでも失敗が重なるというのは、やっぱり、
技術力か何か、日本には劣るところがあるということか。

いよいよ来月ということなので、こちらのほうも朗報が待たれる(^_^;)。

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昨日は、広島市内にいくつかの校舎を持つ、
中学受験専門の某進学塾に、説明会を聴きに行った。
ここは、実は私の主人も子供の頃通ったという老舗だ(^^ゞ。
公立育ちの私はこういうことがどうもピンと来ないのだが、
主人は恩義があるせいか「ここがいい」と言うので、それに従った。

昨日の説明会では、平日の昼間だというのに、十数人の参加があり、
ジャケット着用したお父さんたちの姿もあった。
子供の学年は、現3年生から5年生まで様々だったが、
ここに来る以上、皆、広島市内の私学を受けることについて、
具体的に検討している家庭ばかりということで、
話題も、市内の国立・私立に絞ったデータ説明が主だった。

広島市は今のところ、私立中学の試験日が全部ちがっているので、
極端な話、ひとりで全校受けることだって可能だ。
だから、学校は歴然と偏差値順がわかる仕組みになっていて、
簡単に言えば、全受験生のうち成績順位1位から200位の子がA校、
201位から400位の子がB校、401位から600位の子がC校、に入学する、
ということがだいたいはっきりしている、と言って良い状況らしい。
現実には、これに国立の広大附属中学が絡むので、多少、複雑になるが、
それでも、私学同士のランクというのは決まっていて、
例年、変動することはまず無いようだった。

ちなみにそこの塾では、独自の説明会資料冊子を作成していたが、
その最初のページには、子供の「自立度・積極度」を確認する、
簡単な一問一答が掲載されていたので、私もやってみた。曰く、


質問1:勉強は嫌がらずにやっているか 
 →一応、今のところは。っていうか学校の勉強だけだし。

質問2:学校の宿題は、親が言わなくてもやっているか
 →上に同じ。大した分量の宿題は出ないから楽勝だし。

質問3:学校であったことをよく話してくれるか
 →帰ってきたらすぐ「きょう学校でね~」とは言っている。
自慢話と失敗談が主。本当に必要なことは忘れがち(参観日の日取りとか)。

質問4:図鑑や事典をよく活用するほうか
 →好きな漫画を描くためには、よく活用している(^_^;)。

質問5:親にあれこれ質問することがよくあるか
 →訊かなくていいこと、訊いて欲しくないことに限ってツっこんで来る。

質問6:本を読むのは好きか
 →好きと言えば好きだが、血も凍る怪談限定。

質問7:家の手伝いは積極的にしてくれるか
 →将来パティシエになりたいのだそうで、台所の手伝いだけは好き。

質問8:決めたことは最後までやろうと努力するほうか
 →ことによりけり。出来なくなりそうだと泣くことはある。

質問9:挨拶はきちんと出来るか
 →親の目から見ると声が小さいのが不満。恥ずかしいのだそうだ。

質問10:納得できないと、大人の言うことにも食い下がるか
 →全然。娘はそういうこだわりは発揮しない。


これらは、全部YESなら大変頼もしいが、全部NOでも落胆するな、
とのことだった。
中学受験を通して、これらの態度を身につけることが出来れば成功、
と考えるらしい。

ところで、話の中で私がひとつ、びっくりしたことがあった。
それは、某男子校の新しい入試科目についてだ。
広島市内の国立・私立中学の入試科目は、
一部で多少の傾斜配点はあるものの、どこも算国理社の四科目だ。
が、某男子校1校が、ここ数年、これ以外に「CT」という特殊科目を設けている。
Comprehension Testの略で、放送(日本語)を聞いて、
その意味内容についての問いに答えるという50分間の試験だそうだ。

どうしてこういう特別なテストをすることにしたかというと、驚いたことに、
「最近、入学後に授業をちゃんと聞けない子が増えてきたから」
というのが理由だそうだ。
その男子校は県下でも有名な進学校で、高校部の東大合格者数は二桁だ。
なのに、そこの生徒ですら先生の説明を聞く力がないという!

一回のテストくらいで、入学後の授業態度が占える訳ではないが、
こういう試験があるということで、「話を聞く」ことへの意識を、
小学校のときから少しでも高めておいて貰いたい、というのが、
この男子校側の意図であり、願いなのだそうだ。なんともはや(^_^;)。

ヒトの話を聞け!

というのはもはや、クレヨンしんちゃんのギャグではなくて、
うちの子なんか勿論、出来杉くんだって該当しそうな勢いだったのだ。

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詳細はまた後日書きたいと思うが、きょうは、某・進学塾の、
保護者向け中学入試説明会に行って来た。
他の塾の例と同じく、ここに入るためには入塾テストがあり、
受からずに幾度も受け直す生徒さんも結構いるとのことで、
『入試以前に予備校に入れないっつーことがある訳だね(^^ゞ』、
と私は早くも感心してしまった。

そのテストの範囲は、内部生とは別の基準を設けているので、
学年を超えた問題などは出さず、
「どの学校でも必ず習っているところ」から出題されるそうなのだが、
となると、初めて入塾テストを受ける子供にとっては、
必ずしも「今習っているところ」から出るとは限らない訳で、
以前習ってもうすっかり忘れてしまった単元だということもあり得る。
ので、「上」「下」二冊の教科書なら「上」のほうも見ておくように、
という説明があった。

なるほど~~。

私は家に帰って早速、娘に教科書を持って来させた。
娘の算数の教科書は、学年途中だというのに、既にぼろぼろだった。
勿論、そんなになるほどしゃにむに勉強したということなどではなく、
ただ単に、娘の物品の扱い方がザツい、というだけのことだった。

今時の教科書らしくカラフルで、表紙には何か、マスコットのような、
黄色いキャラクターの絵が描いてあった。
よく見ると、そのキャラの額には、娘の字で、



と書き入れてあった。

私「キン肉マンか?全然、似ていないが・・・」
娘「のん、のん。ニン肉マンって言うんだよ」
私「そう言うのか、これ?」
娘「あたしが名付けたの」

こいつ、きっと入塾テストを百回受けるだろう、と私は思った(--#)。

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(これは、既に十五年以上に渡って参加している、ある種の同人誌に、先日書かせて貰った原稿なのだが、自分の記録としても残しておきたいと思うので、ここにUPしておく)

****************

フー・ツォン(傅聰 Fou Ts'ong)再発見

2004年に関して、音楽の面で私にとって最も重要な出来事のひとつは、フー・ツォン(傅聰 Fou Ts'ong)を再発見したことでした。

以前から私はこの人の演奏が好きで、レコードも持っていましたし、リサイタルに行ったこともあったのですが、2003年になってイギリスのメリディアンという会社が、フー・ツォンのCDを復刻してくれたお陰で、以前は持っていなかったスカルラッティやヘンデルの演奏まで、新たに手に入れることが出来たのです。

正確に言うとメリディアンは日本の代理店がないので入手は困難だったのですが、2004年の後半になって、私はふとしたことからインターネットでCD輸入代行専門のサイトをみつけ、そこから、フー・ツォンの各種CDを取り寄せることが可能になったのでした。今になってこのような巡り会いがあろうとは、全く、予想もしていなかったことでした(現在、日本ではフー・ツォンの国内盤CDはひとつもありません)。

フー・ツォンは、1934年上海生まれ。母国での苦学ののちポーランドに学び、アシュケナージが第2位となった第5回ショパン・コンクールで、第3位を取ってアジア人初の本選入賞者となり、その後はユーディ・メニューインの娘婿に迎えられて更に演奏活動の場を広げ、日本でも幾度か演奏会を行っているという、中国系イギリス国籍のピアニストです。彼は70歳になる今も現役の演奏家であり、最近でも、マルタ・アルゲリッチの主宰する、別府アルゲリッチ音楽祭にたびたび出演し、日本へ来て演奏会や公開レッスン等を行っています。

私の、彼との出会いは、80年に発売されたショパン「夜想曲全集」のレコードで、当時高校生だった私は、それまで知っていたアルゲリッチやポリーニの演奏とは全く違う、地味な輝きを放つフー・ツォンに、非常に心惹かれたものでした。ただその頃は、フー・ツォンの何が他の演奏家と違うのか、私にははっきりとはわかりませんでした。が、今回、前述のメリディアン復刻盤で、スカルラッティ、ヘンデル、バッハ、モーツァルト、ショパン、ドビュッシーなど、思いがけず多岐にわたる内容の録音を聞くことが叶い、私はそれらの中に、何か名状しがたい「一貫した流れ」を感じたのです。私がずっと惹かれて来たものは、この、彼の、おそらくは個人的な、強い意志を秘めた主張なのだと思いました。

その「主張」の内容が何なのか、私は、フー・ツォンの父親が書いた「傅雷(フー・レイ)家書」の日本語訳「君よ弦外の音を聴け」(樹花舎)を読んだことで、少し、わかったような気がしています。この本もまた2004年になって発売されたもので、私にとってはCD復刻と併せてとても不思議な巡り合わせだと思われたのですが、これには、父親のフー・レイが、異国のフー・ツォンに宛てて書き送った手紙十二年分が翻訳されていて、私にとっては初めての、私人フー・ツォンの内面に迫る記録となっていました。

その中で父フー・レイは、中国人としての文化的思想的な土台を持つ人間が、ヨーロッパの音楽を演奏することの意味を、繰り返し語っています。フー・レイ自身、中国の資産階級に生まれ、パリに学んで、帰国後はフランス文学者として地位を得、翻訳でも活躍した人でしたので、分野は異なっても、息子の取り組む課題の大きさを深く理解し、中国人であるがゆえに初めて可能になる解釈について、独特の見解を展開したのでした。

私の感じていた独自の「一貫した流れ」は、多分、この彼ならではの拠り所、父から受け継いだ、中国人としての深い教養によるものだったのだと思います。西洋の作品を、東洋という「外側」から理解し、なおかつ、根元的な部分での共鳴を持って演奏したとき、その音楽がどれほど美しく人の心を打つものになるかということを、フー・ツォンは絶えず、体現して見せてくれていたのだと思うのです。加えて、中国人としての思想を持つフー・ツォンは、キリスト教的解釈からも完全に自由な存在であり、ヨーロッパの音楽から宗教的影響力を敢えて排除し、人間本来の声のみをそこに聞き取ろうとした点でも、独特の魅力を持っていたと思います。

フー・ツォンは1954年に上海を出発、ワルシャワに留学し、ショパン・コンクールで世に出た後、イギリスに亡命しました。文化大革命のさなか、中国へ戻って西洋音楽の演奏家であり続けることは困難であると、苦渋ののちの選択をした結果でした。周恩来の格別の計らいで、それでも父親との文通は途切れることなく、両親への仕送りも続けられましたが、66年、老いた両親は、蒋介石関連の品を所持していたかどで反逆者の疑いをかけられ、自宅で首を吊って自殺しました。

夫妻連名の遺書の中で両親は、「決して国家政権を転覆させようなどという意思を持ったことはない」としながらも、その無実の罪を晴らすことも出来ずに生きることは出来ない、ましてや「裏切り者のフー・ツォンを育てたというだけでも、人民に対しては死んでも償いきれない罪なのです!」と書き遺しました。フー・ツォンがその両親の死を知ったのは、この事件から二ヶ月も経ってからだったということです。

フー・ツォンがショパンに格別の思い入れを持ち、深い苦悩と悲劇性を持ってその作品を演奏する訳が、私には、改めて想像できるような気がしました。そして、以前、大倉山の神戸文化ホールでのリサイタルに行ったとき、開演前、ステージの奥にあるらしいピアノで、フー・ツォンが、ショパンのエチュード作品25-6を、繰り返し繰り返し、弾いていたことが、とても鮮やかに、思い出されました。

今年は出来ることならもう一度、彼の演奏会を聴いてみたいと、強く願っています。

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中学校教諭をしている、年下の友人から先日、聞いた話。

受験を控えた三年生に、二学期、保護者面談を行ったのだそうだが、
ある生徒の言う志望校の資料に、本人の成績データを照らして見ると、
合格可能性は大変低いだろう、という状況だったので、
そのことを担任から生徒と保護者に、数字的な根拠を交えて話したところ、
「先生が、私の邪魔をしようとしている」
と、生徒本人が怒り出したのだそうだ。

その生徒さん曰く、
「せっかく私は、受かるような気がしているのに。
この学校の制服を着た自分の姿が、自分には見える」。

カーネギーホールでイーヴォ・ポゴレリチを聴いている私とか、
アラスカツアーに参加してオーロラ見ている私とか、
グリシコのピンクのポワントを履いてトゥールピケでくるくるまわる私とか、
マサチューセッツ工科大学で言語学の博士号を取得する私とか、
いっくらでも見えるけど、どれひとつとして実現したことがないのは、
誰が私の邪魔をしているせいなのでしょうね!?

私「エスパー嬢の気の済むように受けさせればいいじゃないか。
 万が一にも受かるかもしれないんだし」
友人「いえ、そういうことが起こらないのは、明らかなのです」
私「高校入試って、そういうもの?」
友人「ランクも定員もハッキリしているし、本人の内申点ももう出てますので」
私「だけど、受けないと本人の思いが残るんでしょ」
友人「でも、落ちたら進路指導が悪かったと親から責められます。
 実際問題として、行く高校が無いというのは今時、許されませんし」
私「一校しか受けないの?」
友人「公立は一校しか受けられませんし、
 田舎なので、落ちたときかわりに通える私立もあまり近くにありません。
 いちばん手堅い公立を受けるのが、普通です」

だったら、もう保護者を指導するしか無いのだろうな。
未成年のその子に対して、最も責任があるのは学校でなくて親なのだし、
言い方は悪いがスポンサーも親なのだから。
万に一つ(も無いと友人は言うが(^_^;))に賭けるか、
「どれほど不本意な入学先でも、15歳で浪人するよりマシ」と思うか、
本人より先に、親に決めて貰えば。

実は明日、我が娘を入塾させる予定(=希望)の、中学受験塾説明会がある。
わざわざ入塾を検討している以上、私にだってささやかな夢も希望もあるが、
しかしこの際、なるべく途方もない幻覚などは見ないように気をつけ、
先生方を驚かせない親として、粛々と参加せねば(^_^;)。

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青色LED訴訟和解、中村教授に8億4400万円(読売新聞)

青色発光ダイオードの発明者・中村修二教授が、
当時勤務していた日亜化学工業を相手に、
発明の対価として200億円を請求していた訴訟で、和解が成立したという。
和解金は8億円超。

200億円ってアナタ、懲役200年ちゅーくらいの迫力ですね、
と思っていたら、この中村氏という方は、
今は、カリフォルニア大学の教授でいらっしゃるのですね。
道理で、・・・というのも変な納得の仕方だけど、
この数字的な感覚は、フツーの日本人の生活には存在しない種類の、
度はずれな大きさがあると私には感じられる(^_^;)。

それはともかくとして。
ダイオードとは、電流を片方向のみ流す半導体部品のことだそうで、
光の三原色(赤、緑、青)を発光するダイオードの中で、
赤と緑が先に実用化され、青だけが最後の発光色として残り、
もともとは、20世紀中の開発も困難とされていたらしい。
が、日亜化学時代の中村氏がこれの実用化に成功し、
この発明は、職務発明として会社に譲渡されたそうだ。

私は、客観的に言って、これが200億円なのか8億円なのか、
自分の知識内で判断することは出来ない。
が、なんでも金に換算する、という非難もあるかもしれないが、
企業側からの意思表示として最も具体的なものは結局、現金だろう。
ノーベル賞級の発明だったようだし、評価する気持ちがあるのなら、
それを支払いというかたちで発明者に示すのが、
企業には最も求められる姿勢だと思う。
なのに当時、会社から中村氏に支払われた報奨金が、
なんとたったの2万円というのは、
いくらなんでもセコかったのではないだろうか(^_^;)?

そんな金額で済ましていいと思っているようなケチな体質だったから、
あとでこれだけ祟ることになるのだと私個人としては思う。
最初に例えば100万か200万でも、一括してドン!と支払っておけば、
こうまで言われることはなかったのではないだろうか。


いえ、だから私は青色発光ダイオードが100万円の価値しかない、
と言っているのではないのですよ。念のため。

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