転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



札幌市で教研集会が開幕、学力低下問題も討論へ(読売新聞)
札幌で、日教組の教育研究全国集会が昨日から開催されているようだ
(札幌だし、冬だし、行ったら連休だし、先生方、楽しそうだな・殴)。

ここに書かれている、各教科のユニークな取り組みや、
「子どもたちに必要な学力とは」「学校現場での学力保障の取り組み」等の
討論や研究のテーマについては、私も小学生を持つ母として
大いに関心があり、聴講させて頂きたいと思うくらいなのだが、
全体会での、森越康雄・中央執行委員長の挨拶にあったという、

「競争をもっと激しくすれば、子どもたちの学習意欲の減退はさらに深刻になる」

の箇所は、私にはよく意味が理解できない。
全員参加だろうと選抜だろうと、順位がなく勝っても表彰のない徒競走では、
全力で走る子供などほとんど居ないだろうし、
参加者の間の平均タイムが落ちるのは避けられないだろう、
と私などは思うのだが、学力の世界では違うのだろうか。

本当のことなのではっきり書くが、私は高校2年のとき、
化学を選択していて、あるテストで学年128名中128番だったことがある。
だが学習意欲は減退しなかったよ(^^ゞ?
それどころか、あれで初めて「こりゃいかん」と知ったのだ。

競争が緩やかで、「自分なりに頑張ったから、いい」という評価だったら、
私は際限なく自分に甘くなり、自分の現状を直視することを知らず、
結果として、危機感も意欲も、さほど持たなかったと思う。
競争があり、順位がつき、受かりたい学校の門が狭かったから、
私のような者でも、勉強せねばならない、と考えることが出来たのだ。
(そんでもって、結果として希望大学には受からなかったものだったが・爆)。

人の考え方は様々だし、皆が私と同じ感覚でないことは一応想像できる。
皆が満足する教育制度などあり得ないだろうし、
世の中が、競争に傾いたり、平等主義に走りすぎたり、というように、
時代ごとに流行があるのも、ある程度避けられないことなのだとも思う。

だが、競争は、できるものなら、したらいい、
と私は、割と昔から、一貫して思っている。
集団の中で一歩でも前へ出るために努力を惜しまない、
というのは大いに称賛されてしかるべきことだ、というのが私の考えだ。
ただ、たかが局所的な学力テスト一度のことで、
負けたら(スベったら)最後、人格や将来まで否定された気分になるような、
そんな追いつめられた考え方が、間違っていると思うだけだ。
どんなふうにでも、これから良い人生はいっぱいあるし、
いくらでも、前途は洋々と開けているというのに。

敗れた屈辱、力及ばなかった悔しさをとことん味わったのち、
それを自分の中でどう受け止めるかが、
本当の能力、今で言う「生きる力」の発揮されるところではないだろうか。
競争は大いに奨励する、が、負けた側の心のフォローを手厚くする、
のが、学校教育に関する、私の個人的趣味だ(^_^;)。

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