転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



私は自分が「コロナ脳」で「危険厨」だという自覚のある人間なので、
2月15日を最後に、今日に至るまで外食を一度もしていないのだが、
もし、「店内の誰も喋らない」レストランがあったら、
現在の私でも外食が可能だろう、と昨日、思い至った。

それは、昨夜ひとり静かな部屋にいて、ふと、
「サイレンスカー」の記憶が、脈絡なく蘇ってきたからだ。
昔、山陽新幹線「ひかりレールスター」4号車が「サイレンスカー」と呼ばれていて、
車内放送もなければ、車内販売も無言で通るだけ、
当時あった車内改札もチケットホルダーの切符を車掌さんが無言でチェックするだけ、
……という、本当に静かなサービスが行われており、私は大好きだった。
人と喋らなくていい、人が喋っているのを全く聞かなくていい、
というのはなんと、心和む、やすらぎの時間なのだろうとしみじみ思い、
私は選べるときは率先してサイレンスカーに乗っていたものだった。
今、あのようなサイレンス・レストランがあったらいいのに、
と私は思っている。

感染症対策として、「静かなマスク会食」が推奨されているようだが、
最も手堅いのは、孤食だろう。
『孤独のグルメ』とか『ワカコ酒』を徹底させた感じの。
店に到着して食券を買うなり、アプリで注文するなりして、
席に着いたら、無言で待ち、運ばれてきた料理を黙って食べ、
支払いをして、帰る。
要は、感染症対策としては、食事をする空間で誰も喋っていなければ、
かなり安心して良いのではないか。
これだったら、私でも感染を恐れず外食できる。

更に、現時点では、飛沫を交換しないために無言+孤食が理想的なのだが、
コロナ騒動がなくなっても、もしこういうスタイルのレストランがあったら、
私はかつてサイレンスカーを選んで乗ったように、
やはりその店を、ほかより優先して使い続けるだろうと思う。
私は以前から、「食事は会話を楽しみながら」というのと、
「口の中にものを入れたまま喋ってはいけない」というのが、
どうやったら両立するのか、実は、わからなかった。
相手の話に適切なタイミングと内容であいづちを打つときに、
咀嚼している真っ最中でないようにしようと思ったら、
いつ食べたら良いのか、私にはわからなかった。
本当のところ、今もわからない。

食べずに、聞き役専門で座っているのであれば巧く行きそうだが、
それでは「会食」にならないし、同席している人も変に思うだろう。
ならば、あきらかに返事や相づちが必要なタイミングになっても、
こちらは、食べている最中なので黙っている、ことは許されるのか?
自分がするほうの話については、食べるときは喋らなければ良いし、
咀嚼と嚥下が一段落ついたときに、話の口火を切ることはできるのだが、
人様のお話は、そのようにはコントロールできない。
私は、会話のある食事は食べるのが二の次になり、時間もかかり、
一方、自分がマイペースで食事をしようとすると、会話のほうがお留守になる。

それでも、人数がある程度多ければ、私が御返事役をしなくても、
誰かが常に何か言っていてくれるので、だいたい大丈夫なのだが、
2人とか3人となると、実に難しい。
よく、「会話のキャッチボール」というが、
双方が食べている最中に、どうやったらキャッチボールが成り立つのか。
ひとりが一方的にまくし立てているのは「会話」ではないだろう。
2人あるいは3人が、ひとつの話題を巡って、
互いに話したり答えたりコメントしたりする快適なリズムを保ちながら、
どの暇に「食べる」ことが可能なのだろうか。
本当のところ、かなり高度なことではありませんか(汗)?
お茶だけなら、およそ、なんとかなるんですが(汗)。

というわけで、私はこれまでも基本的に食事はひとりでするのを好んで来たが、
今後も、喋らなくていい・人様に構わず食事に集中しても許される、
サイレンス・レストランが出現してくれないかと、待ち望んでいる。
そうなれば、自分だけでなく周囲も静かで、食事のことだけ考えていられる。
食器の触れ合う音や咀嚼音が気になるというのなら、
言語音のない、クラシックの有線放送でも流しておいてくれたら完璧だ。
コロナ禍をきっかけに、そういうものが、出てきませんかね(^_^;。
サイレンスカーが廃れたところを見ると、人気がなかったのだろうから、
サイレンスレストランも一般的には面白くなくて、需要がないのだろうかね。

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