転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



自民有志が「夫婦別姓」勉強会 抜本改革に慎重、推進派批判も(産経新聞)
『自民党の保守系有志議員でつくる「保守団結の会」は26日、選択的夫婦別姓の是非について、国会内で勉強会を開いた。勉強会では高市早苗前総務相が講師を務め、旧姓の通称使用の拡大を代案とし、抜本的な改革を行うことには慎重な姿勢を示した。』

という記事を読んでいたら、途中に、
「祖父が山本で、父が鈴木で、孫が田中みたいなことになる。混乱を生じさせないことが大事だ」
という発言があり、二度見した。
私の場合、曾祖父がSで祖父がUで父がY、私自身はKという姓だが?
世の中の大抵の女性がそうだと思うが、そんなもんで混乱するってどんだけ頭が弱いのか??

前も書いたが、今の民法は女性差別をしていない。
婚姻に際し、夫も妻もそれまでの戸籍から除籍されて新戸籍をつくり、
夫または妻のいずれかの姓を選択すること、
と定めているだけで、男の姓が優先されるとは全く言っていない。
女のほうの姓を新夫婦が名乗ったって、全く何の問題もないのだ。
妻の姓を、夫も子供たちも全員で名乗ることができる文化なんて、
むしろ世界でも稀なほど進歩的なのではないか?ほかの国で普通にあります??
民法は時代を先取りし過ぎたというほどリベラルなのに、
男側が未だに、自分が妻側の姓を名乗ることを、あり得ない冒険だと思うほど頭が固い、
ということが問題なのだと私は思っている。

私個人は、自分の祖父母や両親や孫との姓のつながりなどどうでも良いが、
新しい夫婦を単位としてつくる新戸籍に属する人々が、
同一のfamily nameを共有するのは好ましいことだ、とは感じている。
「夫と妻」あるいは「おとうさん、おかあさん、子供(たち)」の単位で
同居していることが大半だろうし、その人たちが同一の姓を共有していること自体は、
圧倒的にメリットが多いと私は思っている。

だから、自分の問題としては私は、今後も「選択的夫婦同姓」の立場を取ると思うが、
一方で、今議論されている「選択的夫婦別姓」の支持が多いなら、
私はそれにも、とりたてて反対はしない。
どうしたって改姓する側のほうが手続が大変だし、
仕事などの面でも名字が変わると混乱が起こりやすいのは事実だから、
これまでの各々の姓名の維持を重視するか、family nameを持つことを優先するかは、
個々の事情や考え方で決定されて良いと思う。
勿論それは、妻となる側が改姓するかしないかだけの話ではなく、
夫のほうも妻と全く同様に、改姓するかしないかを検討した上でのことだ。

ただ、そうなったあかつきに、婚姻した男女の選択の結果として、
「夫婦で、それまでの夫側の姓を名乗る」
「夫婦で、それまでの妻側の姓を名乗る」
「夫婦どちらもそれまでの姓のまま、改姓しない」
のいずれに決めたとしても、これら三者は対等なものとして互いに評価されるべきだ、
と私は考えている。
「奥さんの姓にしたの?なんで?婿養子?」
「旦那の名字を名乗るなんて、あなた従属物?」
みたいな、変なマウントが今後も通用するようでは、
少なくとも思想の面で、選択的夫婦別姓はなんらの進歩もしていない。
旧民法の「家制度」から少しも自由になっていない、と私は思う。

結婚したら、男女とも、それまでの家からは除籍されているのだ。
名字が変わろうが変わるまいが、既にどちらの実家からも切り離されているのであって、
名乗った姓の家に所属することになった、のではない。
そもそも、明治民法以前の「家」制度においては、
文字通り「お嫁に来た」にも関わらず、女性は夫側の姓を名乗らせて貰えなかった。
進歩的な夫婦別姓であったのではなく、女など婚家の人間とは見なされなかったのだ。
今でもそういう文化的背景を持った国や地域もある。
夫婦の同姓を平等と思うか別姓を平等と思うかは、相対的なものでもある。

私がもうひとつ個人的に気に入らないのは、
ある種の女性たちが自分のアイデンティティとして固執する「旧姓」は、
実家の姓である訳だが、それは代々、男から男へと受け継がれたものであって、
多くの場合、そこに「女」が全く登場していない、という点だ。
私が、自分流のフェミニズムの一環として願っていることは、つまるところ、
婚姻に際し、男も普通に改姓する感覚を、早く身につけてください
ということだ。
女性側はもう、改姓を現実問題として考慮する感覚は十分に身についている。
あとは男性側に、自分も改姓する側としての発想が、圧倒的に不足しているだけだ。

結婚後の姓をどうするか、は完全に男女対等の立場で話し合われて然るべきだ。
その過程を経て、結果として「夫側の姓を選択する」という結論になるのなら、
それは夫婦ふたりが選んで決めたことだから、まったくもって結構だが、
現状では最初から、「選択的夫婦別姓」で選択を強いられるのは、女性だけだ。
女性は、父親の姓にするか夫の姓にするかという、男二者の姓の間で選択する。
男性は、オレは改姓なんかしないのが最初から当然のことだと思っており、
妻となる女性に対し、キミはどうする?名字変えるの?変えないの?という、他人事。
これが、皆が目指そうとしている「選択的夫婦別姓」の実態である。
結局、「男」主体の、家制度の感覚から自由になっていないじゃないか、
と私は大いに不満である。

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