転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



数日前、主人のお友達のお父様がお亡くなりになり、
取り急ぎ、主人のかわりに私が本日昼の告別式に出席した。
代理の身ではあるし、直接の知人も私には居ないので、
目立たないところから静かにお見送りさせていただこうと思っていた。

・・・のだが。
現地に着いて、受付を済ませたあと、まだ時間がありそうだったので、
それならちょっと、と思って化粧室に寄っていたら、
その間にほとんどの方々は一斉に式場内に入ってしまわれたらしく、
出てきた私は、がらんとなったホールを見てビビった。
人の流れの中を、さりげなく頭を下げて入るつもりだったのに、
既にどこもかしこも静まりかえり、今更入場する人など居なかった。
ホール入り口右手に並んで立っていらしたご家族の前を
私はたった独りで通らねばならなくなった(汗)。
これではまるで、遅刻して来たみたいぢゃないか(大汗)。

仕方がないから、意を決してご家族に頭を下げつつ通り、
主人友人の某氏に、主人の名前を言ってご挨拶をし、
喪主でいらしたお兄様にもお悔やみを申し上げた。
というと、とてもウツクシく聞こえるかもしれないが、
私はこういうところのマナーが全然駄目で、ぎこちないうえに、
実は朝からピアノの稽古に行った帰りだったために、
楽譜だの着替えだのと、葬儀に関係のない大荷物をいくつもさげて、
プラス受付で頂いた香典返しの入った紙袋まであって指がちぎれそうで、
それらを落とさないよう気をつけつつ、無理なお辞儀を繰り返しながら、
ヨタヨタ歩く私は、かなり意味不明の風体だったはずだ(汗汗)。

****************

亡くなられたお父様は79歳で、以前からご病気もおありだったそうで、
平均寿命などの感覚だけから言えば、歳に不足があるというほどでは
特別には無いと、世間的には思われるかもしれないが、
やはり何歳になろうとも、親を送るというのは、
子供やその親族にとって非常につらいことだというのを改めて感じた。
喪主をお務めになったお兄様のご挨拶からも、
語り尽くせぬ思いや感謝、この世での別れのつらさが強く伝わってきて、
私はつい、うちのじーちゃん・ばーちゃんのことを思い出して、泣けた。
心より、ご冥福をお祈り申し上げます。

****************

「最後のお別れ」を直接にさせていただく間柄ではないと思い、
式後はすみやかに会館の外へ出て、出棺を見送る玄関前の場所まで行った。
まだまだ暑いので、玄関前には巨大扇風機が二台設置されていて、
ぶんぶん回っており、付近に立つ人たちに風を送る仕組みになっていた。
早く来た特権で、私は、日陰で、かつ扇風機の直風を浴びない場所を
首尾良く見つけ出して、立った。

最初は私を含め十人くらいしか玄関前に来ていなかったのに、
すぐに、お別れを終えた人たちも含めて、式場からどっと人が出てきた。
あまり近しい方々ではなかったのか、中年・老年の女性たちが喋りながら
どやどやと一気に玄関前に陣取り、私の前や隣にかなり密着して立った。
彼女らは更に、世間話をしながらぐいぐい押してきた。
挟まれた私は、仕方がないから、少し譲った。

そのうち、「御出棺です」と係の女性が告げながら、
何か用事があったのか、私のヨコを「すみません」と言って通った。
私はその女性が通れるように、道をあけた。
するとそのスペースに、さきほどの中年・老年女性たちが
すかさず、入り込んで来た。
私がせっかく確保していたベストポジションは、
こうして、あっけなく、彼女らに取られたのだった。

押し出された私は、巨大扇風機の真ん前に立つハメになった。
突風のような風に、直接、左からなぶられ、髪の毛が雪女のようになり、
香典返しの紙袋を吹き飛ばされそうになって焦り、
両手で大荷物を抱えて、足を踏ん張った、そのとき。
係の女性のマイク越しの声が無情にも告げた。
「それでは御出棺です。皆様、心を込めてお見送り下さい。合掌――」

無理っ

Trackback ( 0 )