まったく、この連休はエラいめにあった。
そもそも、17日(金)に私が文字通りカクランしたのが始まりだった。
この日は朝から普通程度に元気で、午前中はピアノの稽古があり、
昼には娘の学校のママ仲間とランチの予定があって、出かけた。
そして午後2時頃、私はこれまたごく普通に帰宅したのだが、
このあとから、急激に雲行きがおかしくなったのだ。
最初は、普段でも経験しないことはない程度の腹痛だった。
それがだんだん、下腹部に何か膨満してどうにもならない感じになり、
同時に両腕がだるくなり、なんともいえない不快な気分になった。
仕方がないから横になっていたら、今度は両手が冷たくなってきた。
ここまで一時間弱しかかからなかった。
どう考えても私は病気だ、熱があるのだ、とわかった。
手持ちの体温計で測ったら37度7分だった。
やはり気のせいではなかった。
近所の内科に駆け込んだときには38度2分になっており、
お腹がごろごろ鳴っているのが聴診器で聞こえると言われた。
腹痛は小康状態だったがとにかくだるかった。
その時点では食中毒か、腸炎か、胃腸風邪か、なんとも診断できず、
「でもまあ長く続くこともないでしょう」と先生に慰めて貰い、
クラビット500とガスモチン、それにアセトアミノフェンを貰った。
17日の夜は高熱と腹部不快とで我慢がならず、
とてもじゃないが、翌日に野外ライブに参戦できる体調ではなかった。
幸い、東京の西川ファンの某嬢が娘の引率を快く引き受けてくれたので、
私がもし奇跡的に回復できたら一日遅れで行くから、と娘に言った。
娘はハハより西川を取るヒトで、翌18日の午後、ちゃんと予定通り出発した。
新幹線の指定席をエクスプレスカードで予約していて、
娘はカードを使うのが初めてだったので、何か間違えないかと心配し、
『指定券は出せたかね』とわざわざメールしたら
『はい♪いとも容易く』と返信があり、アホらしくなった(--#)。
私は18日の朝には、お腹は壊していたがとにかく熱が下がっていたので、
この日はひたすら養生した。
ときに、ここまでの話に主人が一度も登場しないのは、なぜか。
実はこのヒトは、9月の三連休は岩手・秋田の旅をする、
と前々から決めていたのだ。
だから、彼は17日の夕方、突然に病人になった私を眺めて
「ほんまに大変じゃね~。ま、寝ときんちゃい」
と何か感心するかのような調子で言いおいて、
仙台へ飛ぶため、広島空港に向かったのだった。
(続)
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