転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



18日(土)は、とにかく一日じゅう寝た。
娘は午後から新幹線で出発し、京都で某嬢と無事に合流、
予定していたホテルにチェックインしたとのメールがあり、
安心できたので、ひたすら音楽を聴きながら惰眠を貪った。
昼に一合だけ御飯を炊いて、晩に味付け海苔をおかずに食べたら、
このあたりから有り難いことに、急に体がしゃっきりした気がした。
一過性の病気だとすると、やはり食中毒のたぐいだったのか。
ともあれ、
「明日はそちらへ行こうと思う」
と某嬢と娘にメールをした。

19日(日)の朝起きても熱はなく、お腹も落ち着いていたので、
洗濯と、簡単な掃除をして、昼頃、家を出ることにした。
さすがに病み上がりなので、歩くとフラフラしたが、
ホテルは京都だし、とにかく新幹線で辿り着くだけだから、
と自分を励まして、出かけた。

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ところで、イナズマ・ロックフェスというのは、
西川貴教が「滋賀ふるさと観光大使」に就任した際に、
「音楽を通じて地元にお返しがしたい」
と語ったことを具体化して、昨年から始まった野外フェスだ。
琵琶湖のほとりの草津市烏丸半島芝生広場が会場で、
9月19日の西川貴教の誕生日を挟んだ土日に開催され、
二日間で3万人を動員する巨大イベントとなっている。

主催者の西川貴教は、昨年も今年も、
土曜日は自身のバンドabingdon boys schoolのヴォーカルとして出演し、
日曜日はT.M.Revolution名義のソロ歌手として大トリを務めている。
娘は西川ファンだが、absよりTMのほうが好きなのだそうで、
彼女は土曜が前夜祭、日曜が本番、という気分だと言っており、
私としても、馴染みのあるのは断然、TMのほうだった。

娘はまず、初日のabsのライブを聴き、某嬢から様々に手ほどきを受け
(JR草津駅からシャトルバス乗り場への道順、会場内の様子、
ライブ後に退場するときのタイミング、等々について)、
いろいろと学ぶところが多かったとのことだ。
日曜の朝にはもう、「京都から会場まで独りでも行ける!」と
自信をつけていた(^_^;)。
だから私は、ただホテルの支払のために京都に来れば良いのであって、
別に会場まで付き添ってくれなくてもいい、というのだった。

しかし、こんな思いをして、せっかく京都まで辿り着いて、
みすみすイナズマを逃すものか。
このワタクシが!

(続)

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まったく、この連休はエラいめにあった。
そもそも、17日(金)に私が文字通りカクランしたのが始まりだった。
この日は朝から普通程度に元気で、午前中はピアノの稽古があり、
昼には娘の学校のママ仲間とランチの予定があって、出かけた。
そして午後2時頃、私はこれまたごく普通に帰宅したのだが、
このあとから、急激に雲行きがおかしくなったのだ。

最初は、普段でも経験しないことはない程度の腹痛だった。
それがだんだん、下腹部に何か膨満してどうにもならない感じになり、
同時に両腕がだるくなり、なんともいえない不快な気分になった。
仕方がないから横になっていたら、今度は両手が冷たくなってきた。
ここまで一時間弱しかかからなかった。
どう考えても私は病気だ、熱があるのだ、とわかった。
手持ちの体温計で測ったら37度7分だった。
やはり気のせいではなかった。

近所の内科に駆け込んだときには38度2分になっており、
お腹がごろごろ鳴っているのが聴診器で聞こえると言われた。
腹痛は小康状態だったがとにかくだるかった。
その時点では食中毒か、腸炎か、胃腸風邪か、なんとも診断できず、
「でもまあ長く続くこともないでしょう」と先生に慰めて貰い、
クラビット500とガスモチン、それにアセトアミノフェンを貰った。

17日の夜は高熱と腹部不快とで我慢がならず、
とてもじゃないが、翌日に野外ライブに参戦できる体調ではなかった。
幸い、東京の西川ファンの某嬢が娘の引率を快く引き受けてくれたので、
私がもし奇跡的に回復できたら一日遅れで行くから、と娘に言った。
娘はハハより西川を取るヒトで、翌18日の午後、ちゃんと予定通り出発した。
新幹線の指定席をエクスプレスカードで予約していて、
娘はカードを使うのが初めてだったので、何か間違えないかと心配し、
『指定券は出せたかね』とわざわざメールしたら
『はい♪いとも容易く』と返信があり、アホらしくなった(--#)。

私は18日の朝には、お腹は壊していたがとにかく熱が下がっていたので、
この日はひたすら養生した。

ときに、ここまでの話に主人が一度も登場しないのは、なぜか。
実はこのヒトは、9月の三連休は岩手・秋田の旅をする、
と前々から決めていたのだ。
だから、彼は17日の夕方、突然に病人になった私を眺めて
「ほんまに大変じゃね~。ま、寝ときんちゃい」
と何か感心するかのような調子で言いおいて、
仙台へ飛ぶため、広島空港に向かったのだった。

(続)

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